■節子への挽歌4700:思考力が少し戻ってきたような気がします
節子
昨日は入院している娘も退院した友人も、電話やメールが夕方まで通じませんでした。
それでちょっと、いやかなり心配していましたが、いずれも元気でした。
娘はずっと動けず、友人はどうも寝込んでしまっていたようです。
私自身が少し過敏になってしまっているようです。
困ったものです。
もう少しゆったりとしなければいけません。
もっとも生活自体は、ゆったりどころか弛緩しきっています。
昨日は食事も入浴もしましたが、一人だと何もしなくても過ごせます。
独り住まいで自分を律するのは大変なことです。
独り住まいしている友人たちに、改めて敬意を表したいです。
私にはあんまりできそうもない。
湯島のサロンで、また病原体のサロンをやるので、昔読んだ、多田富雄さんの「免疫・「自己」と「非自己」の科学」という本を読み直しました。
読みながら、「自己」と「非自己」と二元論で考えるのが間違っているのではないかという気がしてきました。
会社時代に、「自己」と「非自己」も意識しながら、会社のアイデンティティのプロジェクトに取り組んでいる時に、並行してずっと気になっていた言葉が「寛容」でした。
後輩と大阪の喫茶店で、「寛容」について議論したことがいつもどこかに引っかかっているのですが、ようやく、「自己・非自己」と「寛容」が結びついた感じです。
それはまた「越境」という、もう一つの関心事にもつながりそうです。
思考力が少し戻ってきたような気がします。
いらだちも少しおさまってきました。
今日は動けそうです。
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