■節子への挽歌4688:死ぬためには生きたいと思わないといけない
節子
メダカの子どもが生まれました。
急いで水槽を大人用と子ども用にわけました。
よく見ないと見つけられないほどの大きさですが、なんとか10匹くらいを子ども用の水槽に移しました。
以前、歯医者さんにもらった観葉植物も、挿し木をした親木は枯れてしまいましたが、そこから新しい株が育ってきています。
株分けしたのですが、いずれも元気です。
こうやって自然は常に前に向かって成長しています。
いつも思うのは、新しい世代はみんな美しいのです。
今年はあまり新緑を楽しむことはありませんでしたが、野草との闘いはかなりやりました。
刈り取りこそすれ、そうした野草はみんなとても美しく、気持ちがいいのです。
たくさんの英気ももらっているはずです。
子どもたちも、死にゆく親たちにも力を与えてくれるのです。
子どもを産んだ親メダカは、たぶん間もなく死んでいくでしょう。
そうやって社会は生き続けてきたのです。
昨日、入院中の友人と電話で話しました。
彼は、死ぬ前に一度、家に帰る気になったと言いました。
よかったです。
生きる気がなければ、死ぬことだってできないからです。
彼は独り身なので、帰宅しても大変ですが、どういう仕組みを作ればいいか考えなければいけません。
でもまあ、そう長いこともないでしょうから、工夫はできるでしょう。
彼ももちろんそう考えています。
今日、私も病院に行って、主治医と話す予定です。
死ぬことは何ともないのですが、死に方はそれなりに難しい。
最近のコロナ騒ぎで、死に方さえ拘束されているのがやりきれません。
そうした風潮に、何か風穴が明けられるといいのですが。
彼は、修の葬式に出ないでよくなったのでよかったと電話で話しましたが、仲間内であれば、先に行くのが幸せに決まっています。
メダカの子どもを見ていると、死はやはり生のことなのだと、何となく感じられます。
そして、死ぬためにも生きる意思がなければいけないと、気づきました。
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