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2020/07/21

■節子への挽歌4699:一人で目覚めている人は決して少なくない

節子

前の挽歌を書いてアップした後、テレビ体操をしました。
そして一人の朝食をすませました。
娘がつくる青汁バナナジュース以外は、いつもと同じ朝食です。
久しぶりの一人の朝食をしながら、気づきました。
一人で目覚めている人は決して少なくないのだ、と。

昨日、退院した友人は今朝自宅で一人で目覚めるでしょう。
入院している娘は病院で一人。
友人の帰宅を手伝いに行ってくれた友人もひとり住まい。
その姉もひとりのはずです。
独り住まいの人はほかにもいます。

みんな、毎朝、ひとりで朝食です。
そんなことは考えたことがありませんでしたが、一人で目覚めている人は決して少なくないのです。

今日で3日間、私は一人でしたが、時々、娘がいるような気がしていました。
節子がいなくなって13年もたつ今も、どこかに節子がいるような気がしています。
一人という感覚が私にはあまりないのです。
いつも誰かといる、それが私の生き方でしたから。
しかし改めて考えてみると、独り住まいの人は決して少なくありません。

四国遍路の巡礼では「同行二人」と言われます。
いつも弘法大使と同行しているわけです。
いつも一人ではない、それこそが信仰かもしれません。
そういう意味では、私もまたいつも一人ではないのかもしれません。

そして、今朝もひとりで目覚めたと思った友人や娘も、たぶん一人ではないのでしょう。
でもみんな、一人で目覚めている。
そして、時に不安になる。

だからこそ、一人ではないことをもっとみんなが感じられる社会を目指していく意味がある。
モチベーションが下がっていたサロンへのモチベーションがまた少し回復しそうです。

 

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