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2020/07/12

■節子への挽歌4686:楽しい「死別」を目指す

節子

節子も知っているMさんと話しました。
Mさんは、今年(正確には来年の1月まで)、自分は死ぬだろうと思う。
そうあっけらかんと言いました。
今年の初めから、そういう感じがしているのだそうです。

しかし、それに続いてこうも言うのです。
でも、修よりは先に死ねない。修の死に方を見てから死にたいので。
ということは、私が今年死ぬということです。

私の死に方をなぜ見たいのかわかりませんが、せめて死ぬ時くらいはみんなに予告して、生前葬をやりたいとは思っています。
早いうちにやってもいいのですが、実は何人かに話してしまいましたが、つい最近、少し死ぬのを遅らせることにしました。
その矢先に、この話です。
困ったものです。

共通の友人が、たぶん今年死ぬでしょう。
そう先の話ではありません。
なぜかそれに巻き込まれてしまい、彼をどうするかという話をしている時でした。
いや話はややこしい。

まずは共通の友人を明るく送らなければいけません。
笑いながら死んでしまうような仕組みができないものか。
横で聞いていたら、とんでもない話をしていると驚かれたかもしれません。

この歳になると、これからたくさんの友人と死別に会うことになります。
もし「死別」が悲しいことであるならば、早く逝った方がいいでしょう。
でも早く逝けるかどうかは自分では決められません。
とすれば、「死別」は楽しいものにしたいものです。
もちろん自分のことも含めてです。

それにしても、といつも思います。
長生きはあんまり幸せな話ではありません。
最近、生きているだけで疲れてしまうようになってしまっています。
死に方まで考える余裕はだんだんなくなりそうです。

やはり、死ぬのを遅らせる計画は見直した方がいいかもしれません。
しかし、今年ということになると、ちょっと早すぎると思う人もいるでしょう。
まあ、しかし、まずは一人を見送らねばいけません。
先を越されたのが、いささか残念です。

 

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