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2020/07/16

■知っているのになぜ隠すのか

最近は新型コロナ関係の報道番組はあまり見ていないのですが、今日は久しぶりに少しだけ羽鳥さんのモーニングショーを見ました。
岡田さんと玉川さんと羽鳥さんの茶番としかいえないやり取りがありました。
今朝、ノートにアップしたことにつながるのですが、以前から不快に思っていたことなので、書くことにしました。

話題は、なぜPCR検査が広がらないのかということです。
それに関して、岡田さんが「PCR検査をやりたくない人が政府にいる」というような発言をしたのですが、それに対して羽鳥さんが「それ誰ですか?」と質問しました。
岡田さんは、その人の名前は「電波にはのせられないですよ」と笑いながら答えました。

こういうやり取りは、テレビではよくあります。
物知り顔にいろいろと話し、でもその人の名前は言えないという人は少なくありません。
すぐにも思い出すのは、貴乃花の母親です。
有名な評論家や政治解説者にもいます。

そういう発言をするような人は、私にはまったく信頼できません。
そういう一言を聞いてしまうと、その人への信頼を持てなくなります。
嘘や隠し事が、私は生理的にだめなのです。

今朝、前の記事に書いたように、「知った者の責任」をとれないような人は、まともな社会人ではないと思うからです。
しかも、自分だけは知っているということに優越感を持つような勘違いをしているのですから、救いようがありません。
知っていて、しかも知っていることを公言したのならば、最後まで話すべきでしょう。
話す気がないのなら、せめて知っていることを話すべきではありません。
人に話せないことは、知らないことと同じだからです。

「このことは墓場まで持っていく」という言葉が、好意的に使われることがありますが、私にはそれはとんでもない無責任な生き方です。要は、問題から逃げるだけの卑劣でみじめな生き方でしかありません。偉そうに公言する言葉ではないでしょう。

もし名前を公開したら、どうなるのでしょうか。
もう2度と情報が取れなくなるとか、当事者に迷惑がかかるとか、いろいろと理由はあるでしょうが、たぶんどんな理由も正当化はされないでしょう。

「知った者の責任」は大きいです。
「知った者」は、知り得る立場にあることの意味を認識しなければいけません。
そして、「知る」ということは、「知るべきして知る」のであり、それにはきちんと意味があるのです。自分だけで秘蔵してはいけません。
赤木さんのメッセージをしっかりと受け止めてほしいです。

そういう人がもう少し増えていたら、この半年のコロナ騒ぎはかなり違ったはずです。

 

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