■節子への挽歌4697:だれも死からは免れることはできない
節子
今日は朝の7時半から午後1時近くまで病院で過ごしました。
ユカの手術でした。
無事、終わりましたが、さすがに疲れました。
最近はまた病院と縁が増えてきました。
待合室では、ほぼ私だけでしたが、時々、誰かがやってきて、電話したりしていましたが、11時ころに姉妹2人がやってきて、ながく話し込んでいました。
妹さんがどうも午後、手術のようです。
ユカの後の手術かもしれません。
明るく話していましたが、かなり深刻な内容でした。
妹さんはまだ独身のようです。
しかも姉の方も、もしかしたら同じ病気の疑いがあるのかもしれないような口調でした。
今日手術予定の妹さんの方が、時々、「怖い」という言葉を出していました。
まだ最終的な診断が出ていないようです。
宮沢賢治の「雨にも負けずの一節を思いだしましたが、さすがに声はかけられませんでした。
終わったら温泉に行こうという話も聞こえてきましたが、コロナだからだめかもしれないとも聞こえてきました。
2人にとっては、しかし、コロナなどはさほど問題ではないでしょう。
もっと身近な具体的な不安があるからです。
持っていった本も最初の2時間で読み終えてしまったんで、後半は退屈していました。
途中で、病院内の見学を試みましたが、コロナの関係でほとんどが入れません。
それで待合室でほとんど過ごしていましたが、いろいろと考えることが多かったです。
とりわけ思ったのは、やはり「生きること」のはかなさともろさです。
今日はまた、入院していた友人の退院日です。
私の同級生姉妹が行ってくれていますが、どうなっているでしょうか。
彼は、自分が「死から免れた」と昨日電話で喜んでいました。
しかし、だれもみな、死からは免れることはできません。
それに気づくことが、すべての出発点だなと、改めて思いました。
疲れ切って帰宅。
久しぶりの晴れ間なので畑に行きたかったのですが、その元気が出ません。
新潟の金田さんから恒例の黒崎の茶豆が届きましたが、電話する元気が出ません。
困ったものです。
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