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2020/07/29

■節子への挽歌4709:死は、人を幸せにもする

節子

節子の友人の友澤さんから暑中見舞いが届きました。
友澤さんも伴侶を亡くされ、いまは一人で倉敷にお住まいです。
節子よりも少しだけ年上ですが、お元気そうです。
コロナにお気をつけてと書かれていました。

節子が亡くなった後、友澤さんはご夫妻でわが家まで来てくださいました。
節子と友澤さんとの共通の友人が北九州市にお住まいで、なぜか私も節子と一緒に小倉の駅前でみんなでお会いしたこともあります。
私はいつも節子の後ろで小さくなっていましたが。
節子ががん宣告を受けた後、節子は友人たちに会う旅を始めましたが、私も付き合いました。

友人たちと会っている時の節子はいつも幸せそうでした。
その笑顔を見ている時は、私もとても幸せでした。
死は、人を幸せにもするのです。

節子がいなくなってからも、友澤さんはいつも年賀状や暑中見舞いを下さいますが、手紙が苦手の私はいつも失礼を重ねています。
節子は手紙好きでしたので、その後を継ぐのは大変です。
しかし、私のぶしつけさのおかげで、最近は手紙もあまり来なくなりました。
昔は私も手紙好きだったのですが、手紙が書けなくなったのはいつからでしょうか。

友澤さんは節子が亡くなった後、節子からもらった手紙を1通だけ私に送ってきてくれました。
そう言えば、友人に手紙を書いている時の節子も幸せそうでした。
いつもゆっくりと書いていました。
ワープロで長い手紙を事務的に打っている私には、そんなに早く事務的に書いてしまうのは手紙ではないと言っていました。

私が年賀状を1000枚以上出していたころ、節子は100枚くらいしか書いていなかったのですが、私も節子もたぶん同じくらいの時間をかけていました。
ちなみに私も、かならず宛先に応じた一言を手書きで書いていたのですが、節子は11枚をゆっくりと書き上げては読み直していました。そして私も知っている相手がいると、私にも一言書くように回してきました。
そういう風景が毎年の年末の風景でした。

その風景がなくなって以来、私は手紙を書かなくなりました。

 

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