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2020/07/01

■共感と差別

山本太郎さんを支持した投稿をFBに書いたのを契機に、FB上でレイシズムに関する論争まで起こしてしまいました。それを読みながら考えたことを書いてみました。

レイシズムは、人種差別主義と訳していいでしょうが、その起点にあるのは、人間に優劣をつける発想だと思います。私には一番なじめない意識です。
しかし、私の心身にも、そういう発想が全くないとは言えません。
人間は、共感すると同時に、差別することが埋め込まれているのかもしれません。

私の子どものころ、日本にはレイシズムが横行していました。白人を崇拝し、朝鮮人や中国人をばかにする空気がまだ残っていました。子どもの世界にも、そういう風潮(弱者を差別する風潮)があったような気がします。そもそも学歴主義は、そういう文化から生まれたとも言えます。

レイシズム論争とは別に、私が信頼していた知人が、山本太郎さんを暗に指して「輩」という表現を使いましたが、これはまさにレイシズムにつながる発想です。本人はさほど意識していないと思いますが、だからこそとても残念でなりません。

こういうことは湯島のサロンでも時に起こります。とりわけ「権力者」に対して、差別的な表現がなされたり呼び捨てにされたりすることがあります。権力者の名前は一種の「記号」ですから、呼び捨ては許されるのかもしれません。ある人からは、じゃあ、トランプさんと言わなければいけないのかと反論されたこともあります。呼び捨てが問題なのではなく、個人名を言う時に込められる感情の問題なのかもしれません。そう考えると、私も同罪かもしれません。FBへの私の投稿記事にも、差別意識が出ているかもしれません。たしかに、悪意をこめながら書いていることがないとは言えません。

人種ではありませんが、障害を持つ人や生活困窮者にも、同じような視線を感ずることもあります。私が特に気になるのは、そういう人たちを観察的に見て、一見、同情的な姿勢をとる人です。そういう人は、自分は別の世界にいると無意識に位置づけているように思います。これは私にはレイシズムにつながる発想のような気がします。
サロンでのあまりの発言には注意を喚起しますが、私自身も時にそういう表現を使っていないとは言えません。

Black lives matter運動が世界中に波及していますが、日本でなぜ高まらないのかは、レイシズム意識が日本人には心身に埋め込まれてしまっているからかもしれません。つまり、レイシズムであることを意識できない人がとても多いような気がします。そのため、ヘイトスピーチも、どこかで見逃してしまっているような気がします。

昨日、旧優生保護法のもとで不妊手術を強制された70代の男性の賠償請求裁判の判決が東京地裁で出されました。賠償請求は退けられ、旧優生保護法の違憲性への判断は出されませんでした。これがいまの日本の実情かもしれません。

私の中にある、こうした差別主義意識を克服したいと思っていますが、私の周りに山のようにある、そうした意識や無意識と付き合うだけで、へとへとになります。
人と付き合いは、本当に疲れます。

差別する付き合いから共感する付き合いへと、生きる主軸を変えなければいけません。

 

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