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2020年8月

2020/08/31

■節子への挽歌4747:8月は何もしなかった気がします

節子

先週から庭のコオロギの鳴き声が大きくなってきました。
まだ暑さはつづいていますが、秋を感じます。
しかしまだ畑に行ったり庭の手入れをしたりする気分にはなれません。

最近はテレビの報道番組を見なくなりました。
新型コロナ関連にはまったく興味を失いましたが、最近は、安倍首相の辞任ニュースで持ちきりですので、見る気にもなりません。
リフォームの準備もほぼ完了したので、時間ができていますが、そうした時間の埋め合わせにテレビの刑事ものドラマをよく見るようになりました。
節子がいたら驚くでしょう。
娘からは呆れられています。

しかしテレビドラマでも時々、涙が出そうになることもあります。
名言もあり、そんなときには、この挽歌でも取り上げようと思うのですが、少し経つともう忘れてしまい、その感動的な名言も思い出せません。

今日で8月も終わります。
思い返せば、何もしなかった8月でした。

さて明日からはもう少ししっかりと生きようと思います。

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■「なぜ安倍首相に辞めてもらいたくなかったのか」

安倍首相辞任報道に対して、「安倍さんには辞めてほしくなかった」と書いたら、「なぜ安倍に辞めてもらいたくなかったのか、よくわかりません」というコメントをもらいました。たぶんほかにも同じような疑問を持った人もいると思うので、少しだけ説明することにしました。

一言で言えば、安倍さんが病気を理由に勝手に辞めてしまえば、安倍政権は傷つかずに持続できるからです。事実、菅さんや岸田さんが政権を継承する可能性が強まってきています。それに安倍首相は、その後のテレビ報道ですでにみられるように「美化」されていく可能性もあります。

問題は「安倍さん」にあったのではなく、「安倍政権」や「政権のあり方」にあると考える私にとっては、ある意味でのトカゲのしっぽ切りのようにも感じますし、見事にしてやられたという(システムの)狡猾さも感じます。
政治のあり方を問うのではなく、権力を持った目立つ個人を標的にし、そこに怒りや批判の目が向けられ、個人攻撃に行ってしまうと問題が違ってきてしまいます。鳩山さんがツイートしたように、それでは標的を利してしまいかねません。

私自身は日本の政治がおかしくなったのは、森首相を自民党の数名の幹部の密室会議で成立させた時で、あの頃から首相の座が私物化されてしまったように思います。
首相の私物化というよりも、制度としての首相の私物化で、その「私」とは一人ではありません。首相はその象徴でしかありません。

安倍さんは、第一次政権時の教育法をこわして以来、私は顔を見ただけで気分が悪くなるほどですが、だからと言って、安倍さん個人を怒りの対象にはしていません。第一、私にとっては、安倍さんはそんな価値さえない。価値のないものは非難する気にもなれないからです。彼の政策はもちろん非難もしてきましたが、個人を非難するつもりもない、価値のない存在が辞めたところで実態は何も変わらないと思っています。責任を取らずに、最後まで何もせずに(赤木さんの奥さんが言うようにせめて事実究明をする約束くらいはしてほしいですが、それさえしないで、病気を理由に首相の座を投げ出すのはあまりにも身勝手です。そんなことで、公務にある人が責任を投げ出すことが許されていいのか。しかも「同上」を得る形で。

だから「辞めてほしくなかった」。せめて「辞めさせたかった」。でもその相手はもういません。安倍辞めろ!と言っていた人たちは、どうするのか。問題の立て方がとても大切なのです。

以上でもなかなか納得してもらえないかもしれませんね。

そう言えば、私が山本太郎さんを支持したことに関しても、いまもまだ異論が寄せられています。それも舌足らずのコメントは、FBでもしていますが、なかなか伝わりません。
それもあるので、そんなことを話し合うサロンをやろうと思います。
やはり直接話しあう場でないとなかなか異論はぶつけ合えないような気がします。

最近の新型コロナを口実にした集会回避現象は、まさに政治システムにつながっているような気がします。

■「なぜ安倍に辞めてもらいたくなかったのか」(2020831日)

安倍首相辞任報道に対して、「安倍さんには辞めてほしくなかった」と書いたら、「なぜ安倍に辞めてもらいたくなかったのか、よくわかりません」というコメントをもらいました。たぶんほかにも同じような疑問を持った人もいると思うので、少しだけ説明することにしました。

 

一言で言えば、安倍さんが病気を理由に勝手に辞めてしまえば、安倍政権は傷つかずに持続できるからです。事実、菅さんや岸田さんが政権を継承する可能性が強まってきています。それに安倍首相は、その後のテレビ報道ですでにみられるように「美化」されていく可能性もあります。

問題は「安倍さん」にあったのではなく、「安倍政権」や「政権のあり方」にあると考える私にとっては、ある意味でのトカゲのしっぽ切りのようにも感じますし、見事にしてやられたという(システムの)狡猾さも感じます。

 

政治のあり方を問うのではなく、権力を持った目立つ個人を標的にし、そこに怒りや批判の目が向けられ、個人攻撃に行ってしまうと問題が違ってきてしまいます。鳩山さんがツイートしたように、それでは標的を利してしまいかねません。

 

私自身は日本の政治がおかしくなったのは、森首相を自民党の数名の幹部の密室会議で成立させた時で、あの頃から首相の座が私物化されてしまったように思います。

首相の私物化というよりも、制度としての首相の私物化で、その「私」とは一人ではありません。首相はその象徴でしかありません。

安倍さんは、第一次政権時の教育法をこわして以来、私は顔を見ただけで気分が悪くなるほどですが、だからと言って、安倍さん個人を怒りの対象にはしていません。第一、私にとっては、安倍さんはそんな価値さえない。価値のないものは非難する気にもなれないからです。彼の政策はもちろん非難もしてきましたが、個人を非難するつもりもない、価値のない存在が辞めたところで実態は何も変わらないと思っています。責任を取らずに、最後まで何もせずに(赤木さんの奥さんが言うようにせめて事実究明をする約束くらいはしてほしいですが、それさえしないで、病気を理由に首相の座を投げ出すのはあまりにも身勝手です。そんなことで、公務にある人が責任を投げ出すことが許されていいのか。しかも「同上」を得る形で。

だから「辞めてほしくなかった」。せめて「辞めさせたかった」。でもその相手はもういません。安倍辞めろ!と言っていた人たちは、どうするのか。問題の立て方がとても大切なのです。

以上でもなかなか納得してもらえないかもしれませんね。

そう言えば、私が山本太郎さんを支持したことに関しても、いまもまだ異論が寄せられています。それも舌足らずのコメントは、FBでもしていますが、なかなか伝わりません。

それもあるので、そんなことを話し合うサロンをやろうと思います。

やはり直接話しあう場でないとなかなか異論はぶつけ合えないような気がします。

 

最近の新型コロナを口実にした集会回避現象は、まさに政治システムにつながっているような気がします。
まさにオーウェルが懸念した世界です。

 

 

 

 

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2020/08/30

■安倍さんには辞任してほしくはありませんでした

安倍首相が辞意を固めました。
安倍首相の退陣を求めていた人の反応があまり聞こえてこないのが不思議です。
どこかで祝杯をあげているのかもしれませんが、安倍首相が辞めたところで、私にとってはたぶん状況は変わらないでしょう。
そのことは、数年前の民主党政権が成立した時に学びました。

湯島のサロンでも時々話題になっていましたが、問題は安倍首相にあるのではなく、安倍首相のような人が長く首長の座を占め続けられる政治体制(システム)なのだろうと思います。
もちろん、その「システム」を構成している重要な要素のひとつは私たち国民です。
そして政治の構造原理は、システム対個人へとパラダイムシフトしています。

たぶん首相が安倍さんから石破さんに変わっても、さらには枝野さんや志位さんに変わっても、いまのシステムからは抜け出せないでしょう。そこに「個人」起点の発想がないからです。
ますますシステム自体が主役になっていく不安を感じます。

安倍さんには辞任してほしくはありませんでした。
これですべてが免責されるような気配もあります。

政党政治はもう終わりにしてほしいです。

 

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■節子への挽歌4746:暑さもまた良し、と思えなくなりました

節子

暑い日が続いています。
あの年を思い出します。
あの年も暑かった。

同じ自然現象も、自分が置かれた状況によって全く意味を変えてしまいます。
若いころは、この暑さが魅力でした。
暑さが苦手になったのは、いつのころからでしょうか。
そのうえ、暑さには節子の闘病の記憶が重なってしまった。
そのため、暑さはただ暑いだけではなくなってしまいました。
困ったものです。

今週から自宅のリフォームが始まります。
ほぼ準備は終わりましたが、この2か月は大変でした。
なにしろ過去を消去する作業でもあったのですから。
暑くて暗い夏の思い出も消去できればいいのですが、それは難しいでしょう。

節子が新聞に投稿した「いいとこだけ日記」の記事も出てきました。
「いいとこだけ記憶」ができるようになればいいのですが、どちらかと言えば、記憶には「いいこと」よりも「悪いこと」が残ります。
しかし、これもまた暑さと同じで、同じことでも、状況によって「良い」か「悪い」はは変わり得ます。
というよりも、人生においては、「悪いこと」がなければ「良いこと」も起きないのです。

暑さもまた良し、なのですが、なかなかそういう気分にはなれないのが最近です。
これも歳のせいかもしれません。

 

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2020/08/29

■節子への挽歌4745:生きる意味

節子

昨日、生きていること自体が奇跡という思いを書きましたが、それを少し発展させると、生きる意味や目的にたどりつきます。
前にも書いたような気もしますが、改めて書いてみます。

私にとって節子は「生きる意味」を与えてくれる存在でした。
葬儀の時、隣人にそう話したことを思い出します。
奥さんが「生きる意味」なんて言えることに感動しますと言われたような記憶がありますが、しかし、ちょっと考えれば、これは当然ともいえることで、当時の素直な気持ちでした。

もし私が天涯孤独で、誰とも交流のない山奥か無人島で生きることになったとします。
私の生き続けるモチベーションはどうでしょうか。
いつかまた誰かに会えるという希望があればともかく、それが全く断ち切られたとすれば、たぶん生きる意味を失うでしょう。
生きている意味がないと言ってもいいでしょう。

将来誰かに会うことがあるかもしれないという思いがあれば、たぶんそれが生きる目標になります。
つまり「生きる意味」とは自分以外の人が与えてくれるのではないかと思います。

もしかしたら、それは必ずしも人間でないかもしれませんが、いずれにしろ「生きる意味」は自らの中にあるのではなく、他者にある。そう思います。
そうした「生きる意味」を与えてくれる人として「伴侶」を見つける。
私の場合、節子がその伴侶でしたが、伴侶が結婚相手とは限りません。
それに、伴侶が相互関係にあるわけでもありません。
恩師や親友、親子の場合もある。片思いのことは少なくないでしょう。
しかし、自分が生きていることに、意味を与えてくれる存在がなければ、人は生き続けることが難しいのではないかと思います。

人を殺してはならないのは、その人が生きる意味を与えている人の生を奪うからです。
これはもう少し敷衍しないとうまく伝わらないでしょうね。

もう少し書いてみようと思います。時々、になるとは思いますが。

 

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2020/08/28

■節子への挽歌4744:生きているということは奇跡的なこと

節子

テレビを見ていると不条理ともいえる多くの死が毎日報道されます。
泳ぎに行っての水死、行く途中や帰宅途中での交通事故死。
仕事途中での事故死や日常生活での不運な事故死。
犯罪に絡んだ殺人や身勝手な殺人も少なくない、
自殺者も決して少なくありません。

毎日、新型コロナ感染症での死者数が報道されますが、それ以外の死者数は桁がいくつも違います。
コロナでの死者数には関心を持っても、それ以外の死者数には思いも馳せないでいるのが現代社会かもしれません。
つまり、死者数の意味が全く違ってしまっているのです。

殺人や自殺や自らにかなり原因がある事故死の報道を見るために、人はなぜこんなに簡単に人を殺し自分を殺すのだろうと思います。
この感覚を強く持ち始めたのは、死を直前に闘病している節子と一緒にいるときに、知人が「いま自殺しようと思っているがなかなか死ねない」とメールを送ってきたときです。
その時には、生命を節子と変わってよ、と言いたかったですが、ただただ腹立たしかっただけです。彼が、節子と同じように、一生懸命に生きたいと思っていたことに気づいたのはしばらくしてからでした。

その後、死に関する報道に接するたびに、どうして人はこんなにも簡単に人を殺すのだろうという疑問とともに、生きているということは奇跡的なことなのだと思うようになってきました。

それにしても、「どうして人は人を殺せるのか」。
私には理解しがたい難問です。

 

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■節子への挽歌4743:「新しいこと」が起きない生活

節子

最近、身体の衰えを感じます。
まあ今に始まったことではないのですが、夏バテも重なってか、疲れがいつも残っている感じです。そのため、さあやろうか!という気分がなかなか出てこずに、暑さを口実に、今日も畑はやめよう、とか、本はやめてテレビでも見ようか、などとついつい消極的な選択をしてしまいます。

消極的な選択。
節子はいつも「積極的な選択」を選ぼうとしていました。
実際には、私が知る限り、むしろ消極的な選択も多かったのですが、意気込みや意識的な判断基準は「積極的な判断」でした。
試みないで後悔するよりも試みて反省するほうがいい、というのが節子の信条でした。
私もその信条は共有していましたので、どちらが先だったかはわかりません。

しかし、そういう信条をシェアしている人が隣にいると人生はとても楽しくなります。
節子がいなくなった数年して、そのことに気づきました。
つまりその後の人生は、そう楽ではないのです。

14年前の節子は、昨日と同じような1日を過ごせて幸せだったと眠りにつき、朝起きて、今日も昨日と同じような1日になりますようにと祈りました。
そこにはもう、積極的な選択とか消極的な選択とかはなく、ただただ静かな時間への祈りがありました。
なにも「新しいこと」が起きない生活。

コロナ騒ぎでいま広がっているのは、もしかしたら「新しいこと」が起きない生活かもしれないと、今朝、ふと思いました。
また節子の命日が近づきました。

 

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2020/08/27

■節子への挽歌4742:気が緩んで挽歌を早速に書き忘れました

節子

追いついたと思って気を許してしまい、昨日も今朝も挽歌を忘れていました。
困ったものです。

まあそれでも自宅の改装のための準備に毎日取り組んでいるのです。
節子のものもいろいろと出てきて、その整理にも取り組んでいます。
懐かしいものや意外なものにも出会います。
コーラスグループの発表会の音声テープも出てきました。
しかしあまりにも多いので、思い切って多くは廃棄。
使っていた書類棚も廃棄することにしました。
こうしてだんだん節子の気配はなくなっていくわけです。

わが家は中途半端に広いので、これまで不要なものもついつい廃棄せずに溜め込んでおく傾向があります。
しかし今回そうしたものを整理するのがいかに大変かがよくわかりました。
節子でもこれほど大変なのですから、私の場合はもっと大変でしょう。
それに妻の遺品の整理と親の遺品の整理とは全く違うでしょう。
元気なうちに、私も遺品は思い切り少なくしておこうと思いますが、今回は選別しているのが大変なので取りあえず迷うようなものはすべて箱に詰めて、家のどこかに3か月は保管です。
そうすると実際の生活空間が狭くなる。
そんなわけでいまはちょっと不便な生活をしています。

私の仕事場はもう空にしたため、いまはリビングの片隅にデスクを持ってきてそこでパソコンをやっています。
そう言えば、ここには以前、節子のミニデスクがあって、節子はそこでパソコンをやっていました。
その姿を思い出します。

まあそんなことを思い出したりしているため、改装場所を空にする作業がなかなか進みません。
まあだからと言って、挽歌をさぼる理由にはならないのですが。

 

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■湯島サロン「国際労働機関(ILO)と新型コロナウイルス」報告

小野坂さんの「国際労働機関(ILO)と新型コロナウイルス」は、さまざまな問題提起が示唆される刺激的なサロンになりました。
小野坂さんのお話の概要は、当日配布された資料にていねいに書かれていますので、関心のある方はご連絡いただければお届けします。ぜひお読みいただければうれしいです。
ここでは、私の関心に沿ったきわめて断片的・主観的な報告にさせてもらいます。

小野坂さんはまず歴史編として、ILOの成り立ちや変遷に関して、簡潔にわかりやすく、しかし具体的な事例も含めながら紹介してくれました。つづいて、現代編に移り、新型コロナウイルスの話題を切り口に国際機関としてのILOの役割や課題を話してくれました。

ILO創設の契機になったのは、はじめての「総力戦」として、「労働者」を動員することになった第一次世界大戦です。その背景にあるのは「労資」の対立と「国民国家システム」の存立の危機です。平和を目指して世界の労働者の労働条件と生活水準の改善こそが世界の永続につながるという理念でつくられたのがILOでした。小野坂さんの話もそこから始まりました。

産業革命によって、「労働」の様相は一変しました。そして児童や女性も、工業的な生産現場に労働力として取り込まれることになりますが、そこからさまざまな問題が発生します。
ILOが最初に取り組んだのは労働条件、とりわけ労働時間の規制です。そして第二次世界大戦後は労働よりも労働者(人権)という視点が強まっていき、さらに21世紀に入り「人間らしい生活」への関心が高まってきます。そうした流れの中で、生活保障や公衆衛生の問題も視野に入ってくるわけです。

しかし改めてILOの通史の話を聞いていると、そこに流れる大きな方向を感じます。
私にはそれが、人々をどんどんと賃金労働者に変えていく流れのように感じました。言い換えれば、金銭資本主義を支えるという役割です。
最後のほうで、小野坂さんは移民や「家事労働者」の話をしてくれましたが、ILOの歴史を見ると対象にする労働者の範囲がどんどんと広がってきている先に、家事労働者があるようにも感じます。
そしてそこにこそ、ILOの限界があるのかもしれません。

小野坂さんは、ILOの役割として「国民国家システムの延命」という話もされました。そもそもILOは労働者代表、使用者(資本家)代表、政府代表という三者構成でガバナンスしていますが、実際には労資(労使)という民間と政府という国家の対立構造が創立当初から埋め込まれていますので、基本にあるのは国家システム基準です。
これに関して、インターナショナルかグローバルかという議論も少しありました。「世界連邦構想」と「国民国家を基本とした国際世界構想」との対比がそこから出てきますが、現在のところ、国家を超えた世界構想は現実味がなくなってきています。国際機関は、国家が使い込むサブシステムになってきていると言ってもいいでしょう。
しかし、小野坂さんは、ILOとNGOの連携や他の国際機関との協働などを引き合いに出しながら、新しい可能性を示唆してくれました。特に私が興味を感じたのは、宗教(サロンでは上海YWCAの活動が紹介されました)の役割が示唆されたことです。
問題は、国際機関をだれがガバナンスするかだと思いますが、小野坂さんは国際機関やNGOが、さまざまな状況変化に合わせて自己変革していく先に、新しい構造を見ているのかもしれません。
いずれにしろ、国際機関とは何なのかという本質的な問いかけを私は感じました。

ILOは、International Labor Organizationの略ですが、レーバー(労働)という表現がどうもなじめないという指摘が参加者からありました。創設当時の世界情勢の中で選ばれた言葉でしょうが、100年を経た今となっては、たしかに活動のシンボルワードとしては問題があるかもしれません。

それに関連して、参加者から「労働(仕事)と生活(くらし)を切り離さないでとらえることが大切」だという指摘がありました。ILOは労働基準と生活基準のいずれをも課題にしていますが、それらをもっと統合的にとらえる必要があるという指摘です。
たしかにそう思いますが、私はそもそも生活(くらし)とは仕事をすることだと考えていますので、「労働(仕事)」と「生活(くらし)」を二元的の捉えること自体に問題の本質があると考えています。二元的に捉えると、たとえば「ワークライフバランス」を考えればわかりますが、両者に目的-手段関係が発生します。ワークとライフを対置するところからは流れを反転させることは難しいでしょう。

国民国家システムを延命するために国際機関を育てていく方向はシステム(制度)を基軸にした発想ですが、その枠を超えて、システムと人間の対立構図で考えると違ったビジョンが見えてきます。労働運動の捉え方も変わってくるでしょう。
小野坂さんの話にも出てきましたが、ILOは労働者とは直接につながるルートもあります。日本でも労組がILOに相談して、国家の労働法を変えていった事例もあります。日本の労働実態に対するILO勧告の報道を記憶している人もあるでしょう。
私自身はそこに新しい世界を垣間見ますが、だからこそILOのガバナンスが気になります。「個人の生活」に起点を置いて考えると新しい風景が見えてくるように思います。

小野坂さんは、現代編として新型コロナウイルス感染症も話題にしてくれましたが、そこで「ソーシャルディスタンス」という言葉に疑問を呈したのが印象的でした。
ILOが現在重視しているテーマに「ディーセントワーク」(人間らしく働く仕事)というテーマがありますが、そこで重視されているのがソーシャルダイアローグ(社会対話)です。
ディスタンスとダイアローグは次元の違う話ですが、私にはとても象徴的なビジョンの違いに思えてなりません。

勝手な報告になってしまい、小野坂さんの主旨からずれてしまったかもしれません。
小野坂さんの話をきちんと読まれたい方は、私宛(qzy00757@nifty.com)に連絡いただければ、小野坂さんのペーパーをお届けします。

最後に私の好きな言葉を紹介させてもらいます。
21世紀初頭にILOの事務局長を務めたファン・ソマビアの言葉です。

個人が尊厳を、
家族が安定を、
社会が平和を求める心の中心にあるのは、
ディーセントワークである。

Ilosalon

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2020/08/25

■節子への挽歌4741:節子が逝ってから4741日目

節子

今日で節子が逝ってから4741日目です。
この挽歌の数字は、節子がいなくなってからの日数に合わせていますが、毎年どこかでさぼって一致しなくなってしまいます。
今年の春にはたぶん2か月近くずれてしまったことがあったと思いますが(つまりそれだけ書かない日があったということです)、なんとか今日、追いつきました。
毎年、節子の命日には正しい数字で挽歌を書きたいと思っているので、夏になると毎日複数の挽歌を書くのがこの数年の有様です。

しかし、彼岸で平安に生きている節子と違って、現世にいると実にいろんなことがあります。
節子を忘れなくとも挽歌を書けない日もある。
節子を思い出せないほど忙しいか落ち込んでいるかの日もある。

それよりもこの数年は、春ごろになると、人嫌いの気分に陥ってしまい生きる気が減退してしまうのです。
そうなると挽歌も時評も書けなくなる。
今年の春もそうでした。
実はいまもまた、どうも人嫌いになりそうな状況です。

私の場合、人嫌いというのは、誰かが嫌いになるということではありません。
人への違和感が強まって、自らが人であることへの嫌悪感が強まるのです。
そして友人知人とのコミュニケーションがうまくいかなくなる。
いつもは、人の「良い点」に着目して人と付き合うのですが、逆に人の「共感できない点」に関心が向かい、ついつい非難したくなったり話したくなくなったりしてしまう。
自分の気持ちに素直に生きるのが私の信条なので、そうなると自分がどうも嫌いになってしまう。
困ったものなのです。

来週は節子の14回目の命日がやってきます。
秋の気配が高まって、今日も暑くなりそうですが、秋の暑さに変わってきました。
なぜか最近は、人嫌いに加えて、不安感が生まれだしています。

秋のせいでしょうか、あるいは14年前の記憶のせいでしょうか。

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2020/08/24

■節子への挽歌4740:兄夫婦との会食

節子

兄夫婦と会食しました。
今年になってから初めてでしょうか。
2人ともいろいろ病気を抱えているのでコロナには慎重なのです。
兄は86歳、姉は83歳で、それぞれに心臓や腸に問題は抱えて病院通いですが、基本的には元気です。

兄はいまも松戸の小学校に頼まれて子どもたちを教える活動をしています。
今日は始業式だったので、午前中は学校に行っていたそうです。
他にも地元で囲碁を教えたりいろいろやっています。

兄と私だけで会うとすぐにぶつかり合いますが、今回は先方は夫婦、私も娘に同行してもらったので、和気あいあいの会食になりました。
お互いこの歳になるといつ突然に死んでしまうかわかりませんので、まあ時々会っておくのもいいかもしれません。
年齢的には私が一番若いのですが、こればかりは歳の順とは言い難い問題です。

年齢の関係で、私たちは会うと必ず兄がご馳走してくれることになっています。
数年に一回だけ、私がご馳走することもありますが、まあこのあたりの価値観はまだ昭和感覚なのです。

久しぶりに会うと話は広がりますが、しかし後で振り返ると病気の話が多かったです。
まあそれもまた「健全」なことかもしれません。

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■家の前にトイレットペーパーがワンパック置かれていました

私の住んでいる地域では月に1回、新聞紙を回収してくれる業者がいます。
新聞紙一袋に対してトイレットペーパー2つを置いていってくれます。
雑誌や書籍も置いておけば回収してくれます。
行政のごみの回収でも持っていってくれるのですが、わが家の場合、ごみを出す場所がちょっと離れているので、重い書籍や雑誌はそこまで持っていくのが大変なので、ついついその業者の方にお願いしてしまいます。
ただわが家は道の突き当りに位置していて、業者の方が回ってくるのがいつも最後のようで、用意してきたトイレットペーパーがなくなってしまい置かれていないことが時々あります。

昨日はその回収日でした。
昨日、駅まで迎えに来てくれた娘が自動車の中で、家のドアを開けると驚くものがあるよ、というのでなんだろうと思ったら、トイレットペーパーの大きなパックでした。
回収後、家の前に置いてあったそうです。
昨日出しておいた新聞紙は一袋、それに雑誌類と書籍がありましたが、本来であればトイレットペーパーは2つでいいのです。
それがなんと18個も入っています。

以前、回収時に孫がちょうど来ていて、その方にお礼を言ったら、1つおまけにトイレットペーパーをくれたという話は聞いていましたが、私は一度しかお会いしていません。
しかしなぜかとてもうれしい気分になりました。

こうしたちょっとしたことで人は幸せになるのです。
さてどうしたら回収する方に謝意を伝えたらいいでしょうか。
そんなことを考えるのもまた楽しみです。

ビジネスは金銭の交換ではありません。
金銭の交換はほんの一部でしかありません。
そのことが忘れられているのがとても残念です。

昨日のサロンでも、ちょっとそうした話にも触れさせてもらいましたが、あまりにも金銭中心での生活になじみ過ぎてしまっているためか、誰もそこから抜け出せないでいるのが残念です。

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■節子への挽歌4739:古いノート

節子

毎日、古い書類や資料などの整理を少しずつしているのですが、いろんなものが出てきます。
もうすっかり忘れていた手紙や報告書なども、時に読みだして過去の世界に入ってしまうこともあるのですが、もうひとつかこのことを思い出してしまうのが私がかいたノートです。

節子がいなくなってから、なぜか自分のノートづくりはなくなりましたが、それまではノートづくりが大好きでした。
デスクの前には、私が関心を持っていたテーマ別に数十冊のノートがいつもおかれていました。
当時は、私だけの知の分類コードもあり、新聞や雑誌のスクラップも、その分類コードに応じて索引もできていました。
スクラップブックも数十冊あるのですが、これは仕事場の湯河原の仕事場に置かれていますので自宅にはありません。

ノートにはテーマ別のほかに、たとえば「時に立ち止って」「道を歩くために」「もう一つのあした」とかいうのもありました。
問題は大体においてノートの半分も行かないうちに放棄されて、空白の方が圧倒的に多いのです。

読書記録ノートも出てきました。
全く忘れていましたが、岩波書店の現代都市政策の叢書に関しては、1冊ごとに1冊のノートが取られていて、内容がていねいに要約されていました。
むかしはこうやって本の要約をノートしていたのです。

この全集は出版されたのがたしか私が会社を辞める前年だった気がします。
湯島をオープンした時には、湯島の書棚にこの全集を並べていました。そして湯島のオープンの時に来てくれた、都庁の我妻さんがその全集を見ていたのも思い出します。
我妻さんとは付き合いが切れてしまいましたが、いまはどうされているでしょうか。
そういうことが、思い出されてしまうので、整理はなかなか進まないのです。

もっと驚いたのは、大学時代の受講ノートが出てきました。
憲法と行政学です。
憲法は私の気に入った授業だったのでわかるのですが、行政学のノートもきちんととられていたのには驚きました。たしか先生は辻さんでしたが、この授業はいつか君たちの役に立つはずだと話していたのを思い出しました。
私自身はすっかり忘れていましたが、たぶんどこかで私の読書を方向づけていたかもしれません。

いささかたじろいだのは、節子が遺した何冊かのノートです。
その1冊は、闘病時代の検査記録です。
これはいまはまだ読み直す気力は出ませんが、残しておくことにしました。

今日も暑くなりそうです。
午前中は在宅なので、もう少し片づけをつづけようと思います。

 

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2020/08/23

■節子への挽歌4738:毎日重労働です

節子

リフォームのために、まずは2階の改装部分を空にしなければいけません。
それで毎日少しずつですが、荷物を処分したり、場所を移動したりしていますが、ベッドを1階に下ろしたり、かなりの重労働です。
特にたまりにたまっていた資料や雑誌の廃棄も大変で、書籍の廃棄は面倒になってきたので、とりあえずの移動にしました。

それがかなりの重労働なのですが、そのせいか、昨日からまた腰に来てしまいそうです。
毎朝のテレビ体操のおかげで、腰痛の心配からは解放されましたが、今度は別の意味での注意が必要です。
重い荷物を持ち上げるときには注意しないといけません。

それでもかなり片付きました。
片づけると書庫も書斎も思った以上に広いことがわかりました。
所有物が多いといかに生活空間が狭められるかがよくわかります。

しかしその一方で、所有物は精神的な世界を広げてくれます。
書籍や資料はただ読むだけのものではなく、異質な世界への通路にもなっていますので、そこにあるだけで意味があります。
それに気づいたために、書籍の廃棄が途中で止まってしまったのです。
間違いなくもう読むことのない書類も廃棄できなくなってしまったのです。

そもそもかなりの蔵書、とりわけ講座叢書類はほとんど読んでいないものが多いのですが、書棚にあって時々背表紙を見るだけで、なんとなくその世界に遊べるのです。
それがなくなると、ちょっとさびしい気分にはなります。

リフォーム工事が終わるまでの2か月間、これまで馴染んできた書棚や資料の山とは切り離されて、倉庫のような空間で過ごすことになりそうですが、どういう変化が出て来るか楽しみです。

室内の重労働もほぼ終わったのですが、今度は庭の植木鉢の整理もあります。
これもかなり腰に来る仕事なので注意しないといけません。

しかし重労働で汗をかくのは実に気持ちがいいです。

 

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2020/08/22

■節子への挽歌4737:今日はエアコンなしに挑戦

節子

暑いけれども今朝はさわやかな朝です。
もっとも昨夜も熟睡はできませんでしたが。

最近はテレビのニュースをほとんど見なくなりました。
2月から6月頃までは録画してまで、コロナ関連の報道などを見ていたのですが。
見なくなった理由は、ほとんどの報道に「事実」を感じなくなったからです。
解説者の「専門家」も「コメンテーター」もただただ放言しているだけで、まったく学んでいないような感じで、聞いていると混乱するだけだと感じたからです。

それに、感染者数にしても、死者数にしても、決して多くはありません。
自殺防止の活動に関わって、毎日100人を超す自殺者があることを知ってしまうと、死者数が数十人のコロナは瑣末な事象にさえ思えてしまいます。
どうしてこの程度の数字に一喜一憂するのかが理解できません。
コロナ騒ぎのおかげで、新型コロナ感染症での死よりも、別の要因での死者数が多いのではないかと思うと、問題の立て方が変わってしまいます。
それに「死」とは必ずしも生物的な死だけを意味するわけではありません。

いまの私の問題は、暑さによる熱中症や人と人の接触が回避される方向へと社会が動いていることです。
とりわけ人と直接会い、話す機会が減ってしまった。
まあそれも生命の定めのひとつですが、自然の定めによってではなく、人為的に加速されてしまっていることに違和感があります。

少なくとも昨年までは、毎週、10人を超す人と親しく会って話していました。
また自宅からも週の半分は出かけていました。
しかし、最近は、サロンがあるので、週2回ほどは湯島にも出かけ、10人以上の人とは会っていますが、ゆっくりと話す機会は減りました。
週のほとんどを自宅で過ごし、サロン以外で人に会う機会は激減してしまいました。
今週で言えば、リフォームの関係での打ち合わせの来客を除けば、地元で活動している友人2人とのミーティングだけです。
生活にリズムと刺激がないので、調子がよくないのでかもしれません。

エアコンの効いた室内にいるのも不調の一因かもしれません。
今日は早朝に起きて、リビングの窓を全開し、風をひきこんでいますので、快適な状況ですが、だいぶ気温が上がってきたので、エアコンを入れようかどうか迷っています。
むしろこういう時には、畑に行った方がいいような気がしますが、そこまでの元気はまだ出ません。
今日はもう少しエアコンなしで過ごそうと思いますが、何やら急に暑さが増しだしてきたようで、いささか心配です。

 

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2020/08/21

■節子への挽歌4736:不思議なサプリが届きました

節子

フェイスブックに出血のことを書いたら、それがかなり大騒ぎになってしまいました。
決して「嘘」は書いていないのですが、かなり断片的な、それもいささか思わせぶりな書き方をしたので、私が難病にかかったような受けとめをした人もいるかもしれません。
要は、手首の擦り傷からの出血の築かずに白いズボンを真っ赤にしてしまったことと前日から血液サラサラの薬を飲み始めたことをなんとなくつなげて書いてしまったのが原因です。

血液サラサラの薬は一時やめましたが、やはりあんまり調子がよくないので昨日からまた飲み始めました。
ところが今日、不思議な生き方をしているヒーラーの内藤さんが4種類ものサプリメントを送ってきてくれました。
いずれもドイツ製で、かなり高価のものです。
そのサプリを扱っている人も知っているのですが、正式には順序立てて飲まないといけないのだそうですが、それは辞退させてもらい、とりあえず血管を若が得させる効果のあるサプリを飲むことにしました。

サプリと近代医療薬が合うかどうかは、いささかの心配はありますが、好意は受けなければいけません。

暑さもあるのかもしれませんが、この数日、頭の後ろが何となくモヤモヤしているのです。MRIで撮影した脳の血管の写真のイメージに影響されているのかもしれません。
写真で見たあたりに、違和感を感ずるのです。
私は暗示にかかりやすいタイプなので、なかなか抜け出せないのです。

まあそんなこともあり、今日は終日、自宅でエアコンの効いた部屋で過ごしました。
エアコンの中での生活は、健康には良くないことは間違いありませんが、万一倒れたりしてはそれこそ気にかけてくださっている人たちに合わす顔もありません。
しばらくは少し慎重に過ごそうと思っています。

 

 

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2020/08/20

■4735:生活の拠点を1階に移しました

節子

昨日は我孫子のまちづくり活動のつながりでミーティングの誘いがあって、近くのサイゼリアで櫻井さんと林さんに会いました。
2人とも節子がいなくなってから知り合った人です。
コロナのせいもあって、なかなか動けずにいるのです。
みんなそれぞれにコロナの影響を受けているようです。

自宅でミーティングをしたかったのですが、いまの自宅どこもかしこも倉庫状態です。
今月末から生活しながらの改装工事が始まるので、2階の荷物がみんな1階に集まっているのです。
ですから近くのサイゼリアでのミーティングになったのです。

今日から私のデスクトップのパソコンも1階に下ろしました。
なんとか接続がうまくいき、これからはエアコンのあるリビングで作業ができます。
ついでにベッドも1階のエアコンのある和室に移しました。
昨今の猛暑日続きを考えると、エアコンなしでは体調を崩しかねません。
エアコンはどうも好きになれませんが、もう少し生きることにしたので、ちょっとは妥協しなければいけません。

しかし最近は生きているだけで疲れます。
本当に困ったものです。

 

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2020/08/19

■湯島サロン「21歳の私が今考えていること」報告

「若者からのメッセージ」サロンの2回目は21歳の安藤令奈さんにお願いしました。
彼女からのメッセージタイトルは、「共創の渦を興し、地域からよりよい社会へ 〜コミュニティについて考える〜」。
そのためにまず彼女が仲間と取り組んでいるのが、人々が「人間らしく」生きる「間」(メディア)の創出です。
参加者には事前に安藤さんからのメッセージを読んでもらっていましたが、最初に安藤さんから改めてそのエッセンスを話してもらいました。

愛媛で育った安藤さんは、東京に憧れて、東京の大学に入学。しかし、人や情報、ものが溢れている東京での大学生活に疲労や挫折を感じて、米国に留学。そこで、改めて自らを取り戻すとともに、故郷の良さに改めて気がついたといいます。
そして、改めて「人間らしさ」とは何か、人が生きるコミュニティとは何か、に関心が向かい、自分のミッションを考えながら実践に取り組みだしています。
そして、いま取り組んでいることを具体的に紹介しながら、安藤さんがいま大事にしていることや考えを参加者と対話しながら話してくれました。

たとえば、地方と学生をクリエイティブに活かす「間」(メディア)の創出が、安藤さんがいま取り組んでいる活動のひとつですが、これまでのような同質の世界でのバラバラの活動ではなく、異質な世界をつないでいく「間」に安藤さんは注目しています。

「間」は、人と人、人と自然、あるいは過去と未来を関係づけながら、豊かな価値を創発させていくものであり、単なる「つながり」とは違ってもっとダイナミズムを持ったものをイメージしているようです。

参加していた同世代の若者が、「間」という概念には、「つながり」とは違うものを感ずると話してくれましたが、たしかに「つながり」には「絆」ほどではないですが、拘束性や保守性が感じられます。
一時期話題になった複雑性の科学では、関係が生みだすダイナミズムが新しい世界観を生みだしましたが、「間」にはそういう創造性や発展性が込められています。

また、安藤さんは、「間」を「メディア」とも言い換えていますが、安藤さんが目指すメディアは、情報の伝達ではなく、情報の創発に意味を与えているようにも感じました。一時期流行したマクルーハンの「メディアはメッセージ」よりも「メディアはマッサージ」に力点が置かれているようにも感じました。

コミュニティやメディアに関する発言を聞いていて、世代によって捉え方が違うことも感じましたが、同時に若い世代はどうしても既存の言葉(概念)を使うので、言葉に毒されてしまう危険性も感じました。

安藤さんのメッセージは多くの参加者には好意的に受け取られたようです。
若い世代が話すサロンへの参加者がいつも多いのも興味のある事実ですが、世代を超えて「生き方」を話し合う「場」がもっと増えていくといいなと今回も思いました。
しかし、前回もそうでしたが、世代を超えた話し合いはそう簡単ではないこともまた、実感しました。

3回目の話し手を引き受けてくれる人はいないでしょうか。

Reinasalon

 

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■節子への挽歌4734:東寺の風信香

節子

お盆で節子が帰宅していた時に、仏壇の線香が変わりました。
節子は気づいたでしょうか。
今年初めにユカと一緒に京都の東寺に行っていた時に買ってきた「風信香」です。
選んだのはユカですが、私好みの、したがって節子好みの、いい香りです。

風信香は、東寺を建てた空海が、比叡山の最澄に出した書簡「風信帖」のなかに出てくる、お香の贈り物に感謝している文章から名づけられた、東寺に伝来するお香だそうです。
とてもいい香りです。
今まで使っていたお香は、たしか京都清水寺のものでしたが、趣がまったく違います。

私の一日は、朝起きて、まずは節子に挨拶し、お香を点じて般若心経(の要約)をあげることから始まります。
最近は、その後、テレビ体操を10分するのですが、このパターンが定着してもう1か月以上たちます。
テレビ体操の間中、風信香のいい香りに包まれます。
心が少しやすまります。

そこから本当は庭の花に水をやり、そこからコーヒーを飲んで朝食というのが目指すところですが、庭の花への水やりはなかなか定着しません。
根が至って怠惰ですから、どうもそうした地道な行動は身につかないのです。

しかも最近のコロナ騒ぎで、その怠惰さが増長してしまいました。
水をやらないと枯れてしまうと思いながらも、暑いとついさぼってしまう。
困ったものです。

でもまあ朝の線香も変わったことです。
少し気を引き締めて、生活態度を変えないといけません。
今日は4時半に目が覚めてしまい、5時からパソコンをやってしまいました。
朝はまだ涼しくて、これなら畑に行っても大丈夫ですが、眠気がまだとれず、もう一度寝たい気分になってきました。

しかし、たぶんもう眠れないでしょう。
朝の気分を楽しみながら久しぶりに生豆からのコーヒーを楽しんでみようと思います。
畑に行くとまた草刈りに埋没してしまいそうですので。

 

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2020/08/18

■第9回万葉集サロン「歌から会話へ 東歌を中心にその2」報告

「歌から会話へ」という大きな変化を、万葉集の東歌を中心に読み解いていく万葉集サロンの2回目は、前回の復習から入りました。
取り上げられたのは、東歌の次の歌です。

多摩川に 晒す手作り さらさらに 何そこの児の ここだかなしき

前半3句で序詞(じょことば)として「た」の世界を歌い、後半2句で「わ」の思いを直截に言葉にする。
つまり前半の「歌」で、共同幻想的な世界を生み出し、それを背景にして、タブーとされていた「事挙げ」を回避しながら自らの思い(「わ」)を一気に発してしまう。

枕詞や掛詞にも言及しながら、神との会話から人同士の会話(コミュニケーション)が生まれ、さらにはそこから「自己意識」も芽生えてくることをこの歌で学び、そこからいくつかの東歌などを読みながら、言霊に支配されていた言葉を人が自分のものとしていくドラマを垣間見るような壮大な話をしてくれました。

しかも、「歌」から「会話」が生まれただけではなく、歌もまた新しい世界をつくりだしていく。「た」の世界と「わ」の世界がそれぞれに分離し、叙景歌、抒情歌として発展していくという、歌の展開に関しても、いくつかの歌を使って紹介してくれました。

案内文で、升田さんは「人間と対峙する言葉が「生き物」のように柔軟に変容するところに、社会や文化の進展があるのかも知れない。そのありようが見られるのも万葉集の面白さの一つであろう」と書いていましたが、まさにその面白さを少し体感させてもらった気がします。

しかし話が壮大すぎて、なかなか消化するのは難しかった気もします。
わくわくする気分は味わったのですが、十分の消化できずに、升田さんのお話を簡潔に紹介できないのが残念です。
できれば次回もこの話を繰り返していければと思っていますので、関心を持たれた人はぜひ次回参加してください。

升田さんの万葉集サロンは、単に歌を読んでいくだけではなく、歌から当時の社会や文化を考えていくものですから、一味違った万葉集サロンになっています。

いずれにしろとても示唆に富むサロンでした。

報告はここまで。
以下はサロンとは直接つながりませんが、今回のサロンを聞きながら考えていたことを2つだけ紹介させてもらいます。

サロンでは直接の話題になりませんでしたが、「音楽」と「言語」の起源は深くつながっています。音楽は歌につながりますが、ネアンデルタール人は歌でのコミュニケーションはしていたが、言語でのコミュニケーションはしていなかったともいわれます。
音楽と言語を生み出した原型言語として「ミュージランゲージ」という概念を持ち出す人もいますが、「歌」と「言」の関係を万葉集の歌から読み解いていくことは、とてもワクワクします。日本語というちょっと個性的な言語がなぜ生まれたのか、ということを考えるヒントもあるように思います。

また言霊や言挙げに関連して、升田さんは「神の言葉を直接伝えることはできないので、言葉を運ぶ存在を置く」という話もされましたが、これは右脳は神の言葉を伝え、左脳は人の言葉を生み出すというジュリアン・ジェインズの「二分心」仮設で語られている「意識と言語」のテーマにつながっていきます。
升田さんのサロンでも、「わ」「な」「た」の構図の中で、自己意識がどう生まれてくるかがまだ形を表してきていませんが、大きなテーマです。
その意味で、万葉集を通して、「二分心」仮設を吟味するのは興味があります。
ちなみに、ジュリアン・ジェインズの「二分心」仮設は、『神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡』に詳しいですが、これと絡めて万葉仮名と漢字の関係を読み解くのも面白いと思います。

升田万葉集サロンは、こういう形でテーマがどんどん広がっていく。
これからどういう風に広がっていくのか楽しみです。

Manyo202008

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■節子への挽歌4733:無限、平等、分かち合いこそが「愛」

節子

昨夜も暑くて、結局また夜中にエアコンのある和室に避難しました。
これからリフォーム作業に入るので、9月いっぱいは、和室で過ごそうかと思います。
この和室は、節子が最後の数か月を過ごしたところですが、10月には姿を消してしまいますので、まあ最後の1か月をそこで過ごすのも意味がありそうです。
もっとも和室と言っても、いろんな荷物が山住されている倉庫状態ではありますが。

今朝、友人からメールが届いていました。
一部を引用させてもらいます。

一緒に**君の旅立ちを見送らせていただいて、簡単には言い表せないものをたくさん見せていただきました。神様に感謝です。
修君はよく「愛」と言いますが、それかなと思います。
修君の口から「愛」という言葉をきいたらたぶんみんなちょっと戸惑うと思うけれど(どう理解して反応していいか分からず)、この言葉に特別の意味を感じました。
無限、平等、分かち合い。分かち合いだけが違うけれど、仏様みたいね。
**君はほんとうに修君に愛されて幸せでした。

いささか過大評価のように思いますが、私の対応は、別に**君だからだったわけではありません。
彼と特別の関係があったわけでもなく、ただ小学校時代の同級生だっただけです。
そして、なぜか彼が私を頼って来ただけの話です。

メールをくれた友人(女性)は、「愛」という言葉を使っていますが、私は自分ではあまり意識してはいないのですが、どうも「愛」という言葉を使っているようです。
そして彼女は、無限、平等、分かち合いこそが私のいう「愛」だと書いてくれています。
他者の言葉は、いろいろな気付きを与えてくれます。

最近、4歳の、孫と付き合っていると、そもそも人とは「愛」のかたまりだと気づかされます。
成長とは、その「愛」をそぎ落としていくことなのかもしれません。
いつのころからそうなってしまったのでしょうか。

今日も暑い日になりそうです。

 

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2020/08/17

■節子への挽歌4732:血液サラサラ剤を飲むべきか飲まざるべきか

節子
昨日の夕方、こんなことをフェイスブックに書いてしまいました。

昨日、湯島に出かけようとしたら、白いズボンが血だらけなのに気づきました。
何事かと思ったら、右手首から出血していました。
痛みも感じなかったのですが、まるでリストカットしたように、手首に切り傷があり、そこから出血していたのです。

昨日から、血液サラサラの薬を飲みだしていますが、出血すると血が止まりにくいので注意するようにと言われていましたが、そのせいでしょうか。
急いで薬を塗って絆創膏を貼りました。
日中は大丈夫だったのです、夕方になって、もう大丈夫だろうと思い、絆創膏をはがしたのですが、傷口がいまだに生々しく、しかも痛いのです。
また鮮血が出てきそうなので、あわてて消毒し、絆創膏をまた貼ってしまいました。
写真を撮っておけばよかったのですが、撮りそこないました。
これって、血液サラサラの薬のせいでしょうか。

友人から、血液サラサラの薬は危険だから飲まない方がいいと看護師に言われたという話も聞きました。
私はかなり不注意で粗雑な生き方をしているので、身体から血を出す切り傷をよく創るのです。
さてどうしたものでしょうか。

そしてごていねいに大きな絆創膏を貼った手首の写真を添付しました。

今朝、フェイスブックを開いたら、いろんな方がコメントを書いてくれていました。
ちょっと大事になっているようで驚きました。
ユカからは、相変わらず大げさだと叱られました。
今朝、絆創膏をはがしてよく見たら、切り傷ではなく擦り傷なのです。
さてさて困ったものです。

しかし、どうもやはり血液サラサラ剤は評判がよくないようです。
飲まないほうがいいと言う人も少なくない。
たしかに私も違和感があるのですが、あの時はついふらふらと医師に従ってしまいました。

やはり飲むべきではないでしょう。
それで今朝は飲むのをやめました。
しかし、以前、かかりつけの遠藤医師から、薬を飲まなくておかしくなったらだれが責任をとるのかと言われてことがあります。

もちろん責任は、飲もうと飲まなかろうと私が取るのですが(ちなみ医師の指示通り飲んだ結果、おかしくなっても医師には責任はないと言うのが私の考えです)、あまりに判断材料がありません。
節子の基準は、判断材料がない場合は、「積極的な選択肢を選ぶ」でしたが、事、医療に関してはこれも難しい。どちらが積極的な選択肢化が判断しづらいからです。
「薬を飲む」と問題設定するか「生命力を信ずるか」と問題設定するかによって変わってしまうからです。

医療にかかわる活動をしている友人は、「結構面倒な薬だなという印象ですが、医療者の見解を集めて見られてはどうでしょうか?」とアドバイスしてくれました。
答えてくれるかどうかわかりませんが、やってみるのもいいかなと思いだしました。
やり方がわからないのが問題ですが。

というわけで、今日は薬を飲まずに過ごしました。
血は出ない1日でしたが、汗がたくさん出る1日でした。
いよいよ室内のリフォーム作業が始まるので、今日はその現場監督の方が来て、暑い中を(わが家はエアコンがないので暑くて大変でした)お互い汗をかきながら改装場所を見て歩きました。

自宅に住みながらの、かなり大きな改装なので、大変なのです。
節子の残したものはまた捨てられてしまい、ますます節子の記憶が消えていきそうです。
整理の過程で、いろんなものが出てきましたが。

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2020/08/16

■節子への挽歌4731:暑い夏は、私にはやはりつらい夏です

■4731:暑い夏は、私にはやはりつらい夏です(2020816日)

節子

10数年ぶりに和室で寝ました。
節子が暑い夏を過ごしたところです。

節子が逝ってから、和室は使われなくなりました。
和室はそもそもが来客用の部屋だったので、エアコンがついていますが、節子がいなくなってからは使われず、物置状態になってしまったので、エアコンは使用されずにありました。

昨夜は、その和室で寝ました。
エアコンもなんとか動きました。
ほこりがすごいのではないかと思いましたが、とりあえずは大丈夫でした。
おかげで昨夜はよく眠れました。
これからはここで寝ようと思います。

この和室で寝たのは14年ぶりです。
14年前には節子も一緒でしたが。

今度、わが家をリフォームするので、この和室はなくなります。
次女夫婦のための洋室に改造されるのです。
節子がこだわっていた床の間も壊されます。

その最後の夏に、私がここで過ごすようになるのも、もしかしたら節子の働きかけかもしれません。
この和室にもいろいろな思い出がありますので、節子を思い出しながらの1か月になりそうです。
たぶん何かが変わるでしょう。

和室からは狭い庭が見えますが、そこも今は荒れ放題です。
この和室で過ごす老後をイメージしていたのですが、それは果たせぬままに終わりました。
私の生活はあまりに予定とは違いました。

今日も暑くなりそうです。
体調は、今度こそ元に戻ったような気がしますが、しばらくは要注意です。
急逝した友人の四十九日の相談を受けましたが、身内だけでやってもらうことにしました。出かけていく元気がどうも出そうもありません。
落ち着いたら同級生たちに声をかけて集まろうかと思っていますが、その元気も出てきません。

暑い夏は、私にはやはりつらい夏です。
つらいのはもちろん、「暑さ」ではありませんが。

 

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■節子への挽歌4731:暑い夏は、私にはやはりつらい夏です

■4731:暑い夏は、私にはやはりつらい夏です(2020816日)

節子

10数年ぶりに和室で寝ました。
節子が暑い夏を過ごしたところです。

節子が逝ってから、和室は使われなくなりました。
和室はそもそもが来客用の部屋だったので、エアコンがついていますが、節子がいなくなってからは使われず、物置状態になってしまったので、エアコンは使用されずにありました。

昨夜は、その和室で寝ました。
エアコンもなんとか動きました。
ほこりがすごいのではないかと思いましたが、とりあえずは大丈夫でした。
おかげで昨夜はよく眠れました。
これからはここで寝ようと思います。

この和室で寝たのは14年ぶりです。
14年前には節子も一緒でしたが。

今度、わが家をリフォームするので、この和室はなくなります。
次女夫婦のための洋室に改造されるのです。
節子がこだわっていた床の間も壊されます。

その最後の夏に、私がここで過ごすようになるのも、もしかしたら節子の働きかけかもしれません。
この和室にもいろいろな思い出がありますので、節子を思い出しながらの1か月になりそうです。
たぶん何かが変わるでしょう。

和室からは狭い庭が見えますが、そこも今は荒れ放題です。
この和室で過ごす老後をイメージしていたのですが、それは果たせぬままに終わりました。
私の生活はあまりに予定とは違いました。

今日も暑くなりそうです。
体調は、今度こそ元に戻ったような気がしますが、しばらくは要注意です。
急逝した友人の四十九日の相談を受けましたが、身内だけでやってもらうことにしました。出かけていく元気がどうも出そうもありません。
落ち着いたら同級生たちに声をかけて集まろうかと思っていますが、その元気も出てきません。

暑い夏は、私にはやはりつらい夏です。
つらいのはもちろん、「暑さ」ではありませんが。

 

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2020/08/15

■節子への挽歌4730:猛暑

節子

一晩寝て、体調はほぼ回復しました。
まあ薬は飲みだしましたが。

例年、お盆休みは静かに過ごしますが、今年は全くそういう感覚もなく、お盆の土日にサロンを入れてしまいました。
時間感覚がまったくおかしくなっています。
これはしかし私だけではないでしょう。

今日は万葉集のサロンでした。
講師役の升田さんは、節子も知っている私の小学校時代の同級生です。
ということで、一昨日葬儀だった私の友人とも同級生で、10日の見舞いから13日の葬儀とずっと一緒でした。
私以上に遠くから出てきていますが、その間、サロンの準備までしてくれています。
私は夏バテ気味でダウンしましたが、彼女は元気です。
やはり女性は元気です。

今日の暑さは特別でしたが、それでも10人の人がサロンに集まりました。
朝は大丈夫だと思っていたのですが、午後になるといささかまた疲れが出てきてしまいました。
急に気力も体力も落ちてきてしまったような気がします。
困ったものです。

 

今日は敗戦記念日。

その気分も出ないのはどうしてでしょうか。

コロナ騒ぎのせいで、例年とは全く違った敗戦記念日のような気がします。

夜になっても暑さは一向におさまらない。

今日はさすがに暑くて眠れそうもありません。

 

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2020/08/14

■節子への挽歌4729:脳外科に行きました

節子

やはり何となく違和感があるので、思い切って病院の脳外科に行くことにしました。
数年前にもたしか行ったはずです。

コロナ騒ぎのせいか、病院は空いていて、予約もしていなかったのですが、MRI検査もできました。
検査結果は、特に大きな異常はなかったのですが、MRIで見ると脳の血管が2本いささか危うくなっています。映像ではほぼ断絶しています。
数年前の映像と比べてみると明らかの状況は悪化しています。

その血管が詰まったらどうなるのかと質問したら、突然切れると死んでしまうそうですが、幸いに徐々に細くなっているので、周りが何とかカバーしようと頑張るので、大丈夫だということです。
しかしかなり危ういので、血液サラサラの薬を飲む方がいいと言われました。
他にも2種類ほど薬が出ました。
そして3週間後にまた経過を見ようということになりました。
私も人並みにだんだん病院通いが始まり、薬漬けになっていくようです。

兄から電話がかかってきたので、その話をしたら、兄も腎臓にがんが見つかったそうです。
まあ初期段階のようですが、この歳になると、まあいろいろとあるものです。
しかし、それこそが歳をとるということでしょう。

私の場合、いつも言われますが、もっと水を飲まないとダメなようです。
それなりに飲んではいるのですが、私の家系はあまり水を飲まない家系なのです。
さてさてがんばって水を飲むようにしましょう。

それにしても今日も暑い1日です。

 

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■節子への挽歌4728:症状はおさまりましたが

節子

昨日は私の熱中症騒ぎで、せっかく、帰宅したのに何もせずに終わりました。
寝て起きたら、症状はおさまっています。
今日は1日気を付けて、もし異常を感じたら、病院に行く予定ですが、この調子だと大丈夫そうです。

今日はおとなしくエアコンの効いた部屋で過ごそうと思います。
幸いに、その部屋(リビングルーム)には仏壇があり、帰ってきた節子の位牌もあります。今年も送迎用の馬と牛は畑で育ったキュウリとナスを使っています。
お盆の供花も、13回忌を過ぎたので辞退させてもらったので、今年から花もひとつです。いつもはそれでもカサブランカを入れるのですが、今年はどうもいいカサブランカがなかったようです。先週はゆりが供えてありましたので、まあいいでしょう。

昨日は孫のにこも来ていましたが、私の異常のせいでゆっくりもできませんでした。
今日も暑いので来ないでしょう。
逆に私は近くの兄の家に、父母に線香をあげに行こうと思っていましたが、やめることにしました。
特に異常はあまり感じないのですが、頭が何となく重い気はします。
暗示かもしれませんが。
しかし、この土日はサロン続きなので、無理はしないでおこうと思います。

せっかく節子が戻って来たのに、なんともおかしなお盆になってしまいました。
今日は注意して畑に行くのもやめました。
コロナウイルスとはうまくやれそうですが、熱中症には対処しようがありませんし。

Obon2020

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2020/08/13

■節子への挽歌4727:見送りとお迎え

節子

今日は忙しい日になりました。
午前中は友人の見送りに行ってきました。
午後は節子のお向けにお寺に行きました。
見送りとお迎えの1日でした。

見送ったのは3日前に見舞った友人です。
私が帰った後、少しして状況が変わったようで、救急車で病院に行き、そのまま息を引き取りました。
身内だけの家族葬でしたが、彼からの私と友人2~3人を呼んでほしいと遺言されたそうです。

浄土宗での葬儀でしたが、死者の阿弥陀如来への広懺悔を書いた経文の書名も死者に変わって誰かが書くのですが、私を指名していたそうです。
久しぶりに友人から万年筆を借りて署名しました。
時期が時期だけに、静かな直葬で、私と友人3人が参列しました。
のど仏が実に美しい遺骨でした。

終了後、4人で少しだけ話しました。
それにしても、彼は幸せだったと改めて思いました。
やはり人にとって大切な財産は友人です。
お金などではありません。

帰宅後、今度は節子のお迎えです。
お寺に迎えに行きましたが、お墓で般若心経を唱えていた時に、異変が起こりました。
お経が出てこないばかりか、呂律がおかしい。

娘たちが熱中症ではないかと心配してくれましたが、私自身明らかにおかしいのに気づきました。
急いで帰宅し、休みました。
そういえば、今日の都心は猛暑でした。

しかしなんとか妻も迎えられ、友人も送りだし。疲れ切りましたが、大事に至らずに終わりました。
娘は心配していますが、乗り越えられたと思います。
節子も友人も見守ってくれているでしょうから。

Seireidana2020

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2020/08/12

■節子への挽歌4726:「あの年」も暑かった

節子
エアコンの効いたリビングで、何もできずにほぼ1日を過ごしました。

そういえば「あの年」も暑かったし、毎日、エアコン漬けだったと思いだしました。
節子もエアコンはあまり好きではありませんでした。
しかし、あの年はエアコンのかかった和室でずっと過ごしました。

そう言えば、昨日亡くなった友人も、寝たままの部屋でずっとエアコンをかけていた。
こういうところから、いろんなことを考え出してしまうのが私の悪い癖なのです。

エアコンは「快適」な生へのいざない、つまり死への勧誘なのかもしれない。
現世にいる私は、暑い暑いと愚痴をこぼしていますが、彼岸にいる友人は、この暑さに触れることなく、きっと快適に過ごしているでしょう。
暑い暑いと汗をかき、つらい思いをするのが、生きているということなのです。
そう思うと、エアコンの効いた部屋で、ボーっとしているのがなんだか嫌になり、そこから出てきて、いまパソコンを打ち出したのですが、汗が止まりません。

夕方になって少し暑さもやわらぎましたが、風がないため、涼しさを感じない。
エアコン効果で身体機能もよわまっているのでしょう。
やはりこれでは生きているとは言えない。
夏はやはり、暑さに不平を言いながらも、汗をかき、熱中症の危険に立ち向かわないと、生きている喜びを味わえないのではないか。

「あの年」の暑さから、まだ抜け出られていないのかもしれません。
若いころは、この暑さを2人で楽しんだものです。
海にも山にも行き、都心の雑踏でも、暑さを頼んでいた。
それが今では、暑さは逃避するものに変わってしまった。
残念ながら、いまではもう、暑さを楽しむ生き方は無理があるでしょう。
しかし、暑さとうまく折り合いながら、生きていくすべはあるはずです。

娘はエアコンをかけろと言いますが、やはりその誘惑に抗わなければいけない。
そんな気がしてきました。

そう思ったら、外から少しさわやかな風が入ってきました。
エアコンになじんでいた身体にも、生命が戻ってきたのかもしれません。

人の死は、もしかしたら「暑さ」と「熱さ」を引き寄せるのかもしれません。
またすこしおかしなことへと発想が広がりそうです。

それはやめて、庭の花木に水をやりに出ることにしました。
蚊に襲われて、全身痒くて眠れなくならないように注意しながら。

人生には苦難がつきものです。
それこそが生きることの醍醐味なのです。
暑さから逃げるのではななく、その暑さを楽しむ生き方を思い出さなければいけません。

 

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■節子への挽歌4725:エアコン漬けになりそうです

節子

友人の死で、お盆の迎え火の準備が遅れてしまっていますが、まあ少しずつしています。
昨日はお供えの梨を杉野さんのところに分けてもらいに行き、今朝は送迎用の牛と馬をつくるナスとキュウリを畑に取りに行きました。
精霊棚もほぼ準備ができました。

いつもはセットで購入してくるのですが、今年は全部手作りで費用を節約しました。
最近少し経済的に苦戦で、湯島の事務所の水道代の自動振り込みができないと水道局から手紙が来ていました。
先日、思わぬ人が前に借りたお金を返すと言って入金してくれたので、何とかしのげたので油断していたのですが、またどうも預金が底を突きだしているようです。
マネーフリーの生活を目指していますが、なかなかそこに達せられません。
困ったものです。

杉野さんのところに行ったら、またパピルスをくれました。
これまで2回も失敗していますので、言い出しにくかったのですが、杉野さんのほうから今度は株を切り取るので大丈夫でしょうと言って、切り分けてくれました。
最近、手賀沼のハスが全滅したのですが、成長しすぎて増えてしまうと自らが毒を出して一度滅びるのだと杉野さんが教えてくれました。パピルスも少し大きくなり過ぎたので、むしろこうやって減らすのがいいと言うのです。
お金も同じで、ためすぎると毒素を出し始めるように思いますので、まあ時々、振り込みができなくなるくらいがいいのかもしれません。

自然と付き合っていると、本当にかしこくなります。
しかしあまりの暑さにエアコンをかけてしまっています。
一度かけてしまうともうかけずにはいられません。

 

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2020/08/11

■節子への挽歌4724:昨日の話し合いが最後になりました

節子

再入院した友人の主治医から電話がまたかかってきました。
なんと息を引き取ったという知らせです。
あまりの展開に驚きましたが、今から振り返れば、とても納得できるのです。
しかし、人はいざとなると事実が見えなくなるのです

彼には見舞いに行く予定の当日になると延期してほしいという電話があり、2回も延期していました。
もしかしたら私が行くのを嫌っているのかもしれないと思いたくなるほどでした。
電話では、身体は痩せてきたけれど気力は快方に向かっているということでしたので、それなら少し行くのをやめようと思ったりもしたほどです。

ところが、また来てほしいとの電話、また延期要請があるかもしれないと思いながらも昨日行ってきたのです。
昨日行くと、自宅で往診チームがやって来る体制ができたと報告してくれました。
これでもう安心だと言うのです。
そして私には危機を乗り越えて良かったとうれしそうに報告するのです。

ひとつだけ懸案事項があったのですが、それも彼の依頼とは違う提案をさせてもらいましたが、その提案にそれがいいねと素直にうなづきました。
つまり昨日会って、懸案事項はすべて解決したのです。

ただ一つだけ新しい提案が先方からありました。
葬儀に関してです。
この時期、たくさんの人は集まれないので、と言って、3人の名前を挙げて、この人には来てほしいと言うのです。
異議申し立てすることなく、はいわかったとだけ言ったのですが、まさかそれがこんなに早くやってくるとは思いもしませんでした。

昨日、私に会って、たぶんすべてを話して安心してしまったのかもしれません。
帰り際はもう半分寝ていましたが、最後に冷蔵庫からヤクルトを出してほしいと言われ、それを渡して、また来るからと言って別れました。
彼は顔に笑みを浮かべて別れました。
あの時にもしかしたら、すべてが終わったのかもしれません。
それに気づかなかったのが不覚です。

彼の訃報を友人たちに伝えました。
「死に関して言えば、どの場合も、あっけないですね」と一人が返信してきました。
そう。実にあっけない。

しかし、彼は死ぬ前に一生懸命いろいろとやるべきことをやっていたのです。
相談には乗っていましたが、あんまりきちんと重荷を背負ってやれなかった。
ちょっと反省しています。
彼と同じく私もやはり真実をしっかり見ようとしていなかった。
いまそのことに気づきました。

でも彼は笑顔で逝きました。
交流が途絶えていた兄妹の関係も復活し、いい人生になったと思います。
それが私には救いです。
悲しさは全くありません。

いやそれ以上に死の実感がない。
困ったものです。

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■節子への挽歌4723:梅ケ枝餅

節子

太宰府の加野さんから、梅ケ枝餅が届きました。
実は一昨日、加野さんと電話で話していた時に、以前、出張の途中に加野さんのところにうかがった時に、帰り際にもらった焼きたての梅ケ枝餅を電車の中で食べたのを思い出していました。
口には出さなかったのですが、それが2日後に届いたので驚きました。
加野さんは、ちょっと霊能力のある人ですから、読みとられたのかもしれません。

念のために、早速、お礼の電話をして、私が先日の電話で梅ケ枝餅の話をしたかどうか確認しました。
そんな話は全くなかったですよ、と言われました。
でわ何で送って来たのか、と質問するのもさすがにできなかったのですが、なんともまあ不思議な話です。
加野さんからは、以前も石田梅岩にまつわる夢の話など、いろんな話を聞いていますので、不思議なことが起こってもあまり気にはしないのですが。

早速、節子にもお供えしようと思います。
お盆も近づいてきましたし。

 

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■節子への挽歌4722:死と付きあった1日

節子

昨日は自宅で闘病している小学校時代の友人を訪ねました。
病院では最期を迎えたくないと言って、自宅に戻ったのですが、独り住まいなので、体制づくりをしていました。

ようやく介護保険の適用申請も受理され、在宅往診体制もほぼできました。
相続や万一の時の体制もまあうまく対処できそうで、安堵しました。
相続関係にまで巻き込まれそうだったのですが、何とかそれは避けられました。
お金が絡んでしまうと素直な見送りはできなくなります。

しかし一人では気が重すぎるので、小学校時代の同級生とそのお姉さんにも来てもらいました。
実に不思議な姉妹で、2人とも独り住まいなのです。

本人ももう状況を理解しているようで、自然の流れに沿うようにすることで納得してくれました。
動けないのと食事ができないのが辛そうですが、幸いに痛みなどはないようです。
死を直前にした友人との話は、それなりに気を使いますが、まあそう大きくは変えられるはずもなく、いつものように笑いながらの楽しい会話に努めました。
ちょっとベッドのそばに長居しすぎましたので、帰り際はもう半分彼は寝ていました。
途中から付き合ってくれた友人と、彼が過労死すると大変だと話し合いましたが、こういう不謹慎な会話ができるのも、小学校時代の同級生ならではかもしれません。

医療介護の対応以外に、彼の場合、気にしてくれている人が数名います。
みんな小学校時代の同級生関係です。
しかし一番彼にとっての支えになっているのは、比較的近くに住んでいる小学校時代の同級生のお姉さんです。
彼は自宅の1階で靴の販売をやっているのですが、そのお店の手伝いをしてくれていました。
いまはもう開店休業状態ですが、週に何回かお店を開き、そのついでに彼の状況を確認してくれているのです。
実に明るい人ですので、死には実に遠い人です。

お見舞いのあと、その姉妹と3人でお茶を飲みました。
そして、死に関しても明るく話し合いました。
こういう形で死を語り合える場がもっと多いといいと思います。
しかし、死を明るく語ることは、そう簡単ではないことを今回も思い知らされました。

帰宅したら疲れがどっと出てしまい、そのまま寝てしまいました。
今日はだいぶ元気が戻ってきましたが、死と付き合うのはやはりそれなりに疲れます。
今日はちょっと死を忘れて、生に生きようと思います。

暑い夏の日になりそうですが、まだ風がとても心地よいです。

 

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2020/08/09

■節子への挽歌4721:「極楽」と「地獄」は隣合わせ

節子

今日もまた酷暑と言いたくなるほどの熱さです。
熱中症になるといけないので、エアコンを入れろとユカは言いますが、この暑さと外から入っていく風の組み合わせは、夏を強く感じさせてくれます。
エアコンを入れずに、ソファで横になって本を読みだしたら、いつのまにか寝てしまっていました。久しぶりに昼寝をしてしまいました。

午後の昼寝、猛暑の中で、家の中の涼しいところ朝がして、昼寝。目が覚めると丸いスイカを切って、金名で食べる。これが子ども時代からの夏の過ごし方でした。
改めて「夏の幸せ」を感じました。
昔は、季節それぞれにこうした「幸せ」がありました。
節子も私も相違したことが好きだったので、エアコンはあまり好きではなかったのです。

今日は暑いですが、夏風がとても気持ちいいです。
自宅療養している友人に定例の電話をしました。
彼が寝ている部屋は冷房が十分に効いていますので、ある意味では快適です。

暑い中を歩いて見舞いに行った人が、彼の部屋に入って、ここは涼しくて極楽極楽!、とつい言ったら、ベッドで寝ていた友人が、寝ていてもここは地獄です、と言ったという話を一緒に見舞いに行った友人から教えてもらいました。
登場人物はみんな私の知り合いですが、現場には居合わせませんでしたが、いい風景だと感心しました。
「極楽」と「地獄」は隣合わせなのです。

電話で話しながら、そうやって一人で時間を過ごしていつ友人はどんな気持ちだろうと思いました。
彼は、電話では「順調に回復している」といいましたが、「回復」とはどういう意味でしょうか。
暑いですが、明日は彼のところに行こうと思います。
暑さも新型コロナも疲労もありますが、な兄が大切化の優先順序を間違ってはいけません。

さて少し涼しくなりました。
畑に行ってみようかと思いますが、今日はいい汗をかけそうです。

 

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■8月オープンサロンの報告

昨日はオープンサロンでした。

急な酷暑のため、あんまり参加者はいないだろうと思っていたら、9

人もの人が参加してくれました。しかも話がおおいに盛り上がってしまいました。

最近手術をした人が久しぶりに参加したので、最初はその人の手術とタバコの話から入りましたが、なぜかそこからコロナウイルスの話、さらには最近話題らしいイソジン効果の話になり、自治体リーダー論になりました。
最近私はコロナ報道をあまり見なくなっていますので(あまりに嘘が多いと思うからです)、なかなか話についていけませんでしたが、しかしみんないろんなことをよく知っています。
湯島に集まる人くらいの情報をみんなが持ち合わせたら、政治も社会も変わるだろうなといつも思います。
もっともその恩恵を一番多く受けているはずの私自身の生活を見ると、情報を得るだけでは十分とはいえなさそうですが。

終わりかけたとき、最近、私がメーリングリストで流した地域通貨の話になりました。
結構まじめな質問だったので躊躇しながらもまともに受けてしまいましたが、たぶん的外れの回答をしてしまっていたでしょう。
しかし、一度、地域通貨サロンをやろうと思いなおしました。
ゲゼル経済学の話もとても示唆に富んでいますし。

寝不足と過剰な心配事と暑さで、私はいつも以上にボーっとしていて、トンチンカンな質問をしていたような気がしますが、みんな聞き流してくれました。
いや私がボーっとしているほうが、どうもサロンは盛り上がるようです。
テーマも決めない方がやはりいいのかもしれません。
土曜オープンサロンをまた復活しようと思います。

Satudaysalom20200808

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■節子への挽歌4720:語り得ないものは、心を開いて問いかけよ

節子

今朝、また雨が覚めて、枕元の時計をみたら、「4:44」でした。
どうも最近はそうした「ちょっとしたこと」に引っかかるようになってしまいました。

鈴木さんが「宗教者ウィトゲンシュタイン」という本が面白いと言って貸してくれました。実はまだ読めていません。最近、ちょっと本が読めなくなっているのです。

ウィトゲンシュタインと言えば、思い出すのが入山さんです。
私より少しだけ年上ですが、知り合ったのは私が会社を辞めてからです。
極めて魅力的な人でしたが、節子を見送った時期に前後して、がんで急逝しました。

短い付き合いでしたが、思い出はたくさんあります。
その入山さんが、ある年に年賀状にウィトゲンシュタインの言葉を書いてきました。
「人は、語り得ないものについては、沈黙しなければならない」
これに関して入山さんと話したことはないのですが、彼には私が語り得ないものを語っていると笑いながら言われたことがあります。

彼のがんが発見されてからは、会う機会がありませんでした。
一度、神への怒りを感じさせるメールをもらった記憶がありますが、いまとなっては全く思い出せないのですが、私は入山さんに会いに行くことはありませんでした。
なぜいかなかったのだろうかと、いまは思うのですが。
入山さんには「愛された」という思いがありますし、私もまた入山さんを「愛した」という記憶はあるのですが。

時計の「4:44」を見て、なぜか入山さんを思い出しました。
彼が健在だったら、私の人生もまた変わっていたでしょう。
そういう存在が、他にも何人かいますが、そこから考えると人生は価値あるものを失い続ける物語なのかもしれません。

ちなみに、私はウィトゲンシュタインにはいささかの異論があります。
語り得ないものは、心を開いて問いかけよ、が私の心情です。

 

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2020/08/08

■節子への挽歌4719:いまの大事な生を楽しめない生き方

節子

今年もお盆が近づきました。
お盆は、死者を祀るというよりも、死者を招く祭りだといわれます。
私の記憶には、そうした「お盆」感覚が残っていますが、昨今はあまりそう考えている人も少なくなったでしょう。
それに今年は新型コロナのせいで、お盆の帰郷を諦めた人も多いはずです。

死者はますます遠くなる。
いや生と死がどんどん切り離されてしまっていると言うべきでしょうか。

死から切り離された生は、落ち着かないものになるでしょう。
死んでもまたお盆になれば現世に戻ってきてみんなに会えると思えば、死を素直に受け入れられ、死などに惑わされることなくいまを精いっぱいに生きられるはずです。
コロナを恐れて、いまの大事な生を楽しめない生き方はやはりおかしい。

私は、一度、「いまの生」を失ったおかげで、そういうことに気づかせてもらったような気がしますが、そう思いながらも、私自身、「いまの生」をあまり大事にしていないような思いがずっとあります。
それもまた、「いまの生」を失ったことの、もう一つの結果なのですが。

死は生につながっています。
逆に言えば、生もまた死につながっている。
コロナ騒ぎで、死を切り離すことは、生を失うことでもある。
どうしてみんなそんな簡単なことの気づかないのか。

お盆は、そういうことを考えるいい機会だと思いますが、死神に脅迫されて、生を閉じ込めていては、そういうことにも思いはいかないでしょう。
今日は出かけるので、お盆の準備は明日にしようと思いますが、今年は畑作業もいい加減だったので、送迎用のナスとキュウリが育っているといいのですが。

 

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2020/08/07

■節子への挽歌4718:長い1日

節子

今日は長い1日でした。
娘が病院から戻ってきたのはなんと4時。朝、9時からですので、7時間です。自宅待機も疲れました。
結果は、最悪の事態は避けられましたが、まあ完全解放でもなく、経過観察ということのようです。まあ良しとしなければいけません。

完全シロの場合は、うなぎでお祝いする予定でしたが、そうではなかったので、回転ずしでまあ慰め会でした。
術後の関係で、今日の診察まで生ものを禁じられていたのです。
ジュン母娘も一緒に、近くのスシローで早目の夕食。
にこはお寿司好きで、私とほぼ同じくらい食べるのです。
にこと一緒だと気持ちが明るくなります。
子どもの力は大きいです。
疲れが少し癒されました。

しかし、ともかく疲れました。
どうも「暑さ」だけの疲れではないようです。
自分の病気はあまり狼狽えずに受け止められますが、娘たちのことになると恥ずかしながら狼狽えてしまいます。
当の娘は、さほど落ち込んではいないのですが、報告を聞く私の方は何やら疲労感や不安感に襲われます。

節子が「胃がん宣告」を受けたときも、まったく同じでした。
一番明るく前向きだったのは節子でした。
何やらその時のことを思い出してしまいました。
まあ、あの時とは全くと言っていいほど事情は違っていますが。

それにしても疲れました。
本当に長い1日でした。

 

 

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■節子への挽歌4717:加野さんはお元気そうです

節子

太宰府の加野さんから電話がありました。
お元気そうでした。
もう90歳前後ではないかと思うのですが。

加野さんと節子は会っているかどうかも定かではありませんが、加野さんの一人娘とは会っています。というか、彼女が東京で一人暮らししている時に一緒に舞台を見に行ったりしています。
その娘さんも亡くなり、加野さんは娘の供養を仕上げるまでは死ねないと言ってがんばっているのです。

電話に出ると、すぐに奥さんは亡くなられてからもう何年ですか、と訊かれました。
加野さんのいつもの質問です。

リフォームのためにいま書類の整理をしていますが、昨日、加野さんの伴侶が遺した歌集が出てきました。
久留米絣でしっかりと装丁した歌集です。
以前、娘さんの献花に大宰府を訪れたときに頂いたものです。
その翌日に電話をもらうとは、やはりお天道様の意思が働いているとしか思えません。
加野さんも、ちょっと神がかったところのある方ですが、その加野さんも伴侶と娘を見送っています。人生はなかなか思うようにはならないのです。

思うようにならないといえば、昨日はまさに思うようにならなかったパソコンが今日はまさに思いのままです。昨日の挽歌を読んだ近くのSさんが、教えてくれたのですが、どうも本体に熱がこもっていたようです。
これで一安心です。

今日はとても不安の日なのです。
娘の診断結果が出る日です。
さてさてどうなりますか。

友人の不安も含めて、いまは山のような不安に覆われていますが、これが一段落すれば、先が見えてくるかもしれません。
加野さんの元気を少し分けてもらいたいものです。

 

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2020/08/06

■節子への挽歌4716:暑さでパソコンがスリーブ症候群

節子

急に暑さがやってきたせいか、すべての調子がよくありません。
昨日はまたパソコンがおかしくなりました。
何もしないのに急に「スリーブ」状態になってしまうのです。

それでまあ何とかしようと思って、以前の状態に復元を試みたのですが、その途中で急にまたスリーブ状態になったまま動かなくなってしまいました。

さてさてそこでまたいつものように、電源を落としたり、やらなくてもいいことをいろいろとトライしてみました。
これまたいつもと同じように、事態は解決するどころかますます悪化していくのが自分ながらにもわかりました。
しかし、そうとわかっても止まらないのが人の常。
いろいろとやっているうちに完全に動かなくなりました。

そこでハッと気づいたのが、最近パソコンの電源を落としていなかったことです。
そのため、この酷暑もあって、電磁波がたまりすぎて動けなくなったのだということに気づきました。
パソコンのある部屋はエアコンがないので、それもよくないのかもしれません。
つまり、パソコンが怒っていることに気づかなかった。
まあ、これを「気づいた」というべきかどうかはわかりませんが。
それで電源を抜いて、パソコンを完全電気から完全解放しました。

そして今朝、パソコンの電源を入れました。
なんとパソコンが動き出したのです。
まだ涼しかったからでしょうか、何事もなかったように、です。

昨日は、普段使っていない予備のパソコンまで用意しておいたのですが、ほっとしました。
ところが10分もやっていないうちに、また自然にパソコンがスリーブ状態に入ってしまいました。
やはり何も直っていなかったようです。

せめて何とかデータのバックアップだけは取っておこうと、だましだまし、バックアップを完了。
それだけでもう疲れ切ってしまい、今日は畑にもいかず、家でごろごろしています。

パソコンに申し訳ないので、私も暑い中をエアコンをつけずに1階のリビングでダラダラしています。
私の頭も最近脳疲労気味で、本を読んでも頭に入っていかないので、持ち歩いてはいますが、どうもページが開けないのです。
鈴木さんから借りている2冊の本、大川さんが送ってきた新著、図書館から借りているミチコ・カクタニさんの「真実の終わり」が目の前にあります。
しかしこうやっていつも身近に置いておくと、いつの間にか読んだような気になって、実際に読みだすとスーッと頭に入ってくるようになるのです。

娘がやってきて、なんでエアコンを入れないのかといわれましたが、このうだるような暑さがなければ夏の気分は出ないのです。
節子を送った、あの夏の暑さもうだるようでした。

夕方になって、暑さが少しゆるんだようです。
いい風が入ってきます。
この風の心地よさは、うだるような暑さがあればこそです。

ぼーっと周りを見ていたら、室内の観葉植物がみんなうなだれています。
さて
水をやらないといけなさそうです。

パソコンがダウンしたおかげで、久しぶりに夏を体験できました。
暑い夏も、だいぶもう克服できました。
もう13回目の夏ですから。

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2020/08/04

■節子への挽歌4715:白夜のような夜

節子

昨夜はネイティブアメリカンによると、スタージェンムーンとうスーパームーンなのだそうです。
スタージェンとはチョウザメを意味するそうで、この頃、チョウザメが容易に捕獲されたため、この月は伝統的にチョウザメの月と呼ばれていたのだそうです。

昨日、娘から、今夜はスーパームーンだと聞いていました。
最近は、要するに満月がスーパームーンだと言うほど、この言葉をよく聞いていましたので、まったく興味は持たずに聞き流していました。

真夜中の3時ころ、目が覚めました。
異様に外が明るいのです。
実はいま私は寝室の模様替えで、窓際で寝ています。
窓のカーテンはいつも閉めずに寝ているのですが、そこから見える外が異様に明るいのです。起き上がって外を見ると、みごとな満月です。

スーパームーンは前にも見ていますが、今夜は異様に大きく明るい。
つい見とれているうちに目がすっきり覚めてしまいました。
いろいろとまた考えてしまいました。
もちろん黄泉の国のことですが。

節子がいなくなってしばらくしてから、なぜか夜が明るく感じられるようになったことは前にも書きました。
しかし、今夜の明るさは、いささか異常な気がしました。
まあそのうちにまた眠ってしまったのですが。

朝、起きて、ネットで調べました。
星占術によると、今月の満月は「現状打破」「新しい世界」を意味するのだそうです。
どうにもならなかったことが急に動き出したり、思いもよらない変化により、現実が切り開かれるといった経験もする人もいる、と書いてありました。

私は星占術を信じるわけではありませんが、信じないわけでもありません。
存在するものにはすべて意味があると思っているだけです。
それにもし現状打破できるのであれば、うれしいことです。

それにしても昨夜の月明かりはとても明るく、「白夜」という言葉を思い出すほどでした。
あれが夢だったのかどうかも、実はわからないのですが、その白夜の中で、家のどこかから音が聞こえました。
音は一回だけでしたが、誰かが動いている気配も感じました。
こうして人はだんだん「黄泉の国」に近づいていくのかもしれません。

今朝は朝から蝉がうるさいほど夏を謳歌しています。
さすがに鶯の声は今朝は聞こえません。

 

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2020/08/03

■節子へお挽歌4714:やはり親族が安心

節子

今日は退院して自宅で療養している友人を見舞う予定でした。
独り住まいのために、夜が不安なので、これからのことを相談し、手配をしようと思っていました。
遺産相続のこともあるので、司法書士の紹介も頼まれていました。
一人では心もとないので、共通の友人にも一緒に行くお願いをしていました。

それでまた畑に行けないので、午前中に畑に行くことにしました。
朝、バタバタしていて、畑に行くのは結局10時近くになってしまい、まさに暑さ真っ盛りというタイミングになってしまいましたが、頑張って出かけて、畑作業をしていました。
そこに電話がかかってきました。
見舞いに行く予定の友人からでした。

いいニュースでした。
しばらく交流していなかった妹さん家族と交流が復活したようです。
それで妹さん家族と相談することになったので、今日は来なくていいと言われました。
正直ホッとしました。

一緒に行くのをお願いしていた友人にも電話し、今日は中止だと伝えました。
実は先週も同じようなことが起こったのです。
先週の金曜日にも行く予定をしていたのですが、出発の直前に今日は妹家族が来るのでと延期してほしいと言われたのです。この時も同行を頼んでいた友人姉妹に延期を伝えました。

ということは、私の役割は終わったということです。
交流が途絶えていた妹家族との交流が復活したのです。

やはり最後は、血のつながりに戻っていく。
改めてそれを感じました。

いろいろと複雑な思いはありますが、それでよかったと少し安堵しています。
もっとも同行を頼んでいた友人は、これまでの私の関わり方を知っているだけに、複雑な思いを持っているようです。

しかし、私としては、ちょっと疲れましたので、解放されてホッとしているのが正直のところです。
しかし、いろんなことを考えさせられたことも事実です。

今日は孫も来たので、久しぶりに心がやすまる日になりました

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■久しぶりのオープンサロンを今度の土曜日に開催します

突然のご案内ですが、土曜オープンサロンを久しぶりに開催します。
どなたでも大歓迎です。
話題も自由です。

よかったらご参加ください。

〇日時:2020年8月8日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:参加者の思うがままに
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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■節子への挽歌4713:生活者ってこういう人の事なんだろうと思ったのです

節子

1日に開催した「生活の視点で政治や経済を考える」サロンの報告にはいろんな反響がありました。
先ほどとどいたメールはとても私を元気にしてくれるものでした。
それでここに一部を紹介させてもらうことにしました。
投稿者は、長年、地道なアート活動をしている女性です。

「人々は、豊かな自然のなかで、しかし限られた資源を生かして、お互いに支え合いながら生活していました。生活の基盤は、コモンズ(自然と仲間)なのではないか・・・・」
上記「生活者」に関して書かれた佐藤さんの考えを読んで
ゴーリキーの書いた「僕の祖母はいい人だった」(幼年時代)の文を思い出しました。

貧しさを気にせず、物乞いが来ると黙って台所に招き入れ、
読み書きはできなかったけど誰よりも物語や詩や作り話を知っていて、
「何がなくてもさ、よい物語を持っているものがこの世で一番の果報者だよ」と、
息苦しく大人も子どもも幸せじゃなかった時代、
「なにもかもが過ぎるだ」「けど、そうなくちゃならねえことは、そのままのこるだよ」
といったゴーリキーの祖母がまさに生活者そのもので、
佐藤さんのおっしゃっている生活者ってこういう人の事なんだろうと思ったのです。

私のメッセージをこういう形で、受け止めてくれる人がいる事にいつも元気づけられます。
彼女はこう続けています。

各都市、各地域での行事が中止の中で
佐藤さんのサロン、そして
少しでもほっとするようなイベントは大事ですね。
こんな時にこそ芸術文化が必要なはずですが、
コロナ治療の手立てのないのが動きをセーブさせます。

彼女とは滅多に会うことはありませんが、時々、こうやってメールをくれます。
うれしいことです。

 

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2020/08/02

■節子への挽歌4712:おにぎりをあげるよりももらう生き方

節子

8月だと言うのにまだ鶯が鳴いています。
とはいうものの、梅雨も明けて、いよいよ夏です。

急に気温が変わったせいか、今日はやけに疲労感に覆われて、しかもなぜか指向する気が起きずに、雑務に追われていました。

そのうえ、ちょっといま経済的に困窮していて、資金繰りに苦戦しています。
やはり長生きしすぎてしまいました。
ちょうど75歳で資金を使い果たし人生を終える予定が、ちょうどその時に忘れていた貯金通帳が出てきて3年長らえて、いまに至っています。

しかし今回はいささかのピンチです。
貯金と関係なく、リフォームを契約してしまったのです。
支払時期が迫っています。
でもまあお金は天下のまわりものですから、まあまわってくるでしょう。
そう思ってはいるものの、実際には今回はなかなか回ってきません。
額もちょっと大きいですし。
困ったものです。

昨日は「生活の視点から経済と政治を考える」というサロンをやりました。
あいまいなテーマだったので参加者は少ないと思っていたら、12人も参加してくれました。
しかし意外だったのは、「生活」あるいは「生活者」という言葉について、みんなどうも違和感があるようです。
たとえば、生活にとって大切なことは何ですか、という問いかけをしましたが、私が考えているようなことはなかなか出てこない。
人の考えや思いはこうも違うのか、と改めて思いました。
人はコミュニケーションしているようでしていない。
おおいに反省しました。

サロンでの最後の問いかけは、「さてどう生きていきますか」でした。
そのサロンに参加した人から、隣に困っている人がいたらおにぎりをあげるような生き方をしたいとメールが来ました。
私は、逆に自分が困ったら、隣人に「おにぎりをください」という生き方を目指したいと返信しました。
大切なのは、そういうお願いをしても応えてもらえるような生き方という意味ですが、そういう生き方を今はしているつもりなので、お金がなくてもあまり不安感が起きないのです。

夜になって涼しくなりました。
今日は眠れるといいのですが。

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■湯島サロン「生活の視点で政治や経済を考える」報告

湯島のサロンは、できるだけ一人称自動詞で、しかも生活用語で話したいと思っていますが、それは結構難しく、とりわけ政治や経済の話になると専門用語で何となく語られてしまうことも少なくありません。
そこで今回は、改めて「生活」「生活者」をキーワードにしたサロンをやってみました。
しばらく私自身が問題提起するサロンをやっていなかったので、今回は私が話しながら問いかけるスタイルをとらせてもらいました。

最初にまず、「生活者」ってなんだろうか、という問いかけから始めました。
消費者、労働者、生産者、教育者、公務員、失業者などという言葉はよく使われますが、「生活者」という言葉はあまり使われないようです。
ちなみに、「年金生活者」という言葉はありますが、その言葉を使う人はむしろ「年金」に重点を置いていますので、まだ金銭にこだわっていて、私の考える「生活者」ではありません。

いずれにしろ、私たちは自分を「○○者」と呼ぶのは難しいほど、いろんな「自分」をもっていて、そのそれぞれの状況において、判断基準を変えています。
たとえば、森友問題で自殺を強いられた赤木俊夫さんの場合はどうだったでしょうか。
赤木さんはなぜ自殺に追いやられたのか。
そんな話から始めさせてもらいました。

たしかに私たちにはたくさんの生活局面があり、それに応じてさまざまな判断基準を使い分けながら生きています。
しかし、よく考えてみると、すべての根底にはじぶんの「生活」があります。
状況に合わせすぎて、自分の「生活」や「考え」をおろそかにしていることはないのか、そして結局は、それが個人の生活を邪魔する社会につながっているのではないか。つまり、個人の生活と社会との関係が逆転しているのではないか。それが今回のサロンで私が一番問いたかったことです。
最近のマスク騒動で日本人は「同調圧力」に弱いと言う人が多いですが、同調圧力を育てているのは、誰でもない、自分なのではないか、というわけです。少なくとも私は同調圧力などという幻想のせいにしたくはありません。

自分の生活に行動の基準を置く人を、私は「生活者」と呼んでいます。
では「生活」とは何かということになりますが、他人(たとえば組織とか慣習)が作り出した考えではなく、自らが生み出した考えの中で生きることと捉えています。

そもそも、人々は、豊かな自然のなかで、しかし限られた資源を生かして、お互いに支え合いながら生活していました。生活の基盤は、コモンズ(自然と仲間)なのではないか、と私は考えています。この「仲間」には過去の人間や未来の人間はもちろんですが、人間以外の存在も入ります。
そうした中で、生きやすさを考えて、みんなで育ててきたのが「倫理」です。
そして、それに基づいて、政治や経済の仕組みが育てられ、みんなの「社会契約」で国家までつくられた。
経済とはもともと、経世済民、世を治め民をたすけるためのものであり、政治とは倫理を実現する仁政だったのではないか。
そうした状況の中では、「貧しさ」は決して惨めなものではなく、むしろ思いやりや支え合いを生みだしていました。映画「三丁目の夕日」の世界です。

生活にとって大切なことはなんですか、という問いかけもさせてもらいました。
意外だったのは「お金」と答えた人は一人もいませんでした。
いろいろとだされましたが、私は「安心して快適に暮らせること」と「人間として成長していく喜び」だと思っています。

ですから、経済も政治も、その2つを目指すものであってほしいと思いますし、逆に言えば、その2つを目指さないものは、私にとっては、経済でも政治でもありません。
私が「経済成長」に全く関心がないのは、それが経済などとは無縁のものだと思っているからです。「政局騒ぎ」も私にとっては「政治」ではありません。

「生活を豊かにする経済」「生活を豊かにする政治」は、いまや「経済を豊かにする生活」「政治に従う(奉仕する)生活」に向かわせる装置になってしまいました。
制度や仕組み、組織やルールはすべて生活を快適にするためのものだったはずなのに、制度や仕組み、組織やルールが生活を律しだしているのではないか。
そして今や、私たちの「価値観」までも大きく変えだしています。
「働く」とは何か、「学ぶ」とは何か。
湯島のサロンは、「生産性」がない集まりとビジネスマンからはよく言われますが、そもそも「生産性」ってなんなのか。

3番目の問いかけは、「あなたにとって一番大事な財産は何ですか」でした。
すべての存在が金銭価値化されつつある今、私たちの生活を支えてくれていた自然や仲間(私はこれをコモンズと呼んでいます)との結びつきを失った人間は、金銭に依存せざるを得なくなっています。
そうしたなかでは、「頼り」になるのはお金だけかもしれません。

そして、最近は、お金がないことを「貧しい」というようになってしまった。
そうした「貧しさ」は、支え合いや思いやりを生みださずに、惨めさと不安につながっていきます。

とまあこういう話を、参加者と対話しながら進めた後で、最後の問いかけは、「さて、どう生きましょうか」ということでした。
私の目指す生き方は、少しだけ話させてもらったつもりです。

話は時々、横道にも入りましたが、こんな感じで、それぞれが自らの生活につながる形で、経済や政治を考えるきっかけになればと思ったのですが、どうだったでしょうか。
自分の「生活」を、いまよりもちょっとだけでも大事にしてくれる人が増えると、たぶん社会は良くなると思っています。

言うまでもありませんが、自分の生活を大事にするということは、他者の生活も大事にするということです。「自分のため」と「社会のため」とは利害相反するものではなく、宮澤賢治が言っていたように重なっていると生き方こそが、私の考える「生活」です。
決してわたし主義者でも閉じたコミュニティ主義者でもありません。念のため。

いつも以上に、自説中心の長い報告になってしまいました。

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2020/08/01

■節子への挽歌4711:8月になってしまいました

節子

8月になってしまいました。
今年は蝉が鳴きだすのが遅かったのですが、先週末くらいから盛んに鳴きだしました。
鶯が遅くまで鳴いていたので、今週前半は、蝉と鶯が一緒に鳴いていました。
今日は暑い日になりそうです。

相変わらずいろんなことが起きすぎていますが、夏になればすべてはスッキリするでしょう。
どう「スッキリ」するのかは問題ではありますが。

それにしてもどうしてみんな「新型コロナ」をこんなに怖がっているのかが理解できません。
逆に言えば、これまでは自然への畏怖感がなかったとも言えるでしょう。
いつの間にか、現代人は自然を超えた存在だと思うようになってしまっているのかもしれません。
自然は、恐ろしい一面、慈愛に満ちてもいます。
それをしっかりと理解すれば、新型コロナとの付き合い方は変わってくるでしょう。

今年は2月から急に8月になってしまった。
この半年、みんなどこかに行ってしまったような、そんな感じがしています。
半年もかかったのに、みんなまだ自然との付き合い方を学んでいない。
だとしたらこんな状況がまだ続くのかもしれません。
世界は変わってしまうのかもしれませんが、こんなにもろいとは驚きです。

しかし私の生き方は変わらないでしょう。
いやもう変えようがない。
ますます生き辛く、ますます退屈になりそうな気もしますが、望むらくはあまり長生きしないですめばと念じています。
この頃、長生きへの恐怖感が高まっているのです。

 

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