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2020/08/25

■節子への挽歌4741:節子が逝ってから4741日目

節子

今日で節子が逝ってから4741日目です。
この挽歌の数字は、節子がいなくなってからの日数に合わせていますが、毎年どこかでさぼって一致しなくなってしまいます。
今年の春にはたぶん2か月近くずれてしまったことがあったと思いますが(つまりそれだけ書かない日があったということです)、なんとか今日、追いつきました。
毎年、節子の命日には正しい数字で挽歌を書きたいと思っているので、夏になると毎日複数の挽歌を書くのがこの数年の有様です。

しかし、彼岸で平安に生きている節子と違って、現世にいると実にいろんなことがあります。
節子を忘れなくとも挽歌を書けない日もある。
節子を思い出せないほど忙しいか落ち込んでいるかの日もある。

それよりもこの数年は、春ごろになると、人嫌いの気分に陥ってしまい生きる気が減退してしまうのです。
そうなると挽歌も時評も書けなくなる。
今年の春もそうでした。
実はいまもまた、どうも人嫌いになりそうな状況です。

私の場合、人嫌いというのは、誰かが嫌いになるということではありません。
人への違和感が強まって、自らが人であることへの嫌悪感が強まるのです。
そして友人知人とのコミュニケーションがうまくいかなくなる。
いつもは、人の「良い点」に着目して人と付き合うのですが、逆に人の「共感できない点」に関心が向かい、ついつい非難したくなったり話したくなくなったりしてしまう。
自分の気持ちに素直に生きるのが私の信条なので、そうなると自分がどうも嫌いになってしまう。
困ったものなのです。

来週は節子の14回目の命日がやってきます。
秋の気配が高まって、今日も暑くなりそうですが、秋の暑さに変わってきました。
なぜか最近は、人嫌いに加えて、不安感が生まれだしています。

秋のせいでしょうか、あるいは14年前の記憶のせいでしょうか。

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