■節子への挽歌4724:昨日の話し合いが最後になりました
節子
再入院した友人の主治医から電話がまたかかってきました。
なんと息を引き取ったという知らせです。
あまりの展開に驚きましたが、今から振り返れば、とても納得できるのです。
しかし、人はいざとなると事実が見えなくなるのです
彼には見舞いに行く予定の当日になると延期してほしいという電話があり、2回も延期していました。
もしかしたら私が行くのを嫌っているのかもしれないと思いたくなるほどでした。
電話では、身体は痩せてきたけれど気力は快方に向かっているということでしたので、それなら少し行くのをやめようと思ったりもしたほどです。
ところが、また来てほしいとの電話、また延期要請があるかもしれないと思いながらも昨日行ってきたのです。
昨日行くと、自宅で往診チームがやって来る体制ができたと報告してくれました。
これでもう安心だと言うのです。
そして私には危機を乗り越えて良かったとうれしそうに報告するのです。
ひとつだけ懸案事項があったのですが、それも彼の依頼とは違う提案をさせてもらいましたが、その提案にそれがいいねと素直にうなづきました。
つまり昨日会って、懸案事項はすべて解決したのです。
ただ一つだけ新しい提案が先方からありました。
葬儀に関してです。
この時期、たくさんの人は集まれないので、と言って、3人の名前を挙げて、この人には来てほしいと言うのです。
異議申し立てすることなく、はいわかったとだけ言ったのですが、まさかそれがこんなに早くやってくるとは思いもしませんでした。
昨日、私に会って、たぶんすべてを話して安心してしまったのかもしれません。
帰り際はもう半分寝ていましたが、最後に冷蔵庫からヤクルトを出してほしいと言われ、それを渡して、また来るからと言って別れました。
彼は顔に笑みを浮かべて別れました。
あの時にもしかしたら、すべてが終わったのかもしれません。
それに気づかなかったのが不覚です。
彼の訃報を友人たちに伝えました。
「死に関して言えば、どの場合も、あっけないですね」と一人が返信してきました。
そう。実にあっけない。
しかし、彼は死ぬ前に一生懸命いろいろとやるべきことをやっていたのです。
相談には乗っていましたが、あんまりきちんと重荷を背負ってやれなかった。
ちょっと反省しています。
彼と同じく私もやはり真実をしっかり見ようとしていなかった。
いまそのことに気づきました。
でも彼は笑顔で逝きました。
交流が途絶えていた兄妹の関係も復活し、いい人生になったと思います。
それが私には救いです。
悲しさは全くありません。
いやそれ以上に死の実感がない。
困ったものです。
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