■節子への挽歌4722:死と付きあった1日
節子
昨日は自宅で闘病している小学校時代の友人を訪ねました。
病院では最期を迎えたくないと言って、自宅に戻ったのですが、独り住まいなので、体制づくりをしていました。
ようやく介護保険の適用申請も受理され、在宅往診体制もほぼできました。
相続や万一の時の体制もまあうまく対処できそうで、安堵しました。
相続関係にまで巻き込まれそうだったのですが、何とかそれは避けられました。
お金が絡んでしまうと素直な見送りはできなくなります。
しかし一人では気が重すぎるので、小学校時代の同級生とそのお姉さんにも来てもらいました。
実に不思議な姉妹で、2人とも独り住まいなのです。
本人ももう状況を理解しているようで、自然の流れに沿うようにすることで納得してくれました。
動けないのと食事ができないのが辛そうですが、幸いに痛みなどはないようです。
死を直前にした友人との話は、それなりに気を使いますが、まあそう大きくは変えられるはずもなく、いつものように笑いながらの楽しい会話に努めました。
ちょっとベッドのそばに長居しすぎましたので、帰り際はもう半分彼は寝ていました。
途中から付き合ってくれた友人と、彼が過労死すると大変だと話し合いましたが、こういう不謹慎な会話ができるのも、小学校時代の同級生ならではかもしれません。
医療介護の対応以外に、彼の場合、気にしてくれている人が数名います。
みんな小学校時代の同級生関係です。
しかし一番彼にとっての支えになっているのは、比較的近くに住んでいる小学校時代の同級生のお姉さんです。
彼は自宅の1階で靴の販売をやっているのですが、そのお店の手伝いをしてくれていました。
いまはもう開店休業状態ですが、週に何回かお店を開き、そのついでに彼の状況を確認してくれているのです。
実に明るい人ですので、死には実に遠い人です。
お見舞いのあと、その姉妹と3人でお茶を飲みました。
そして、死に関しても明るく話し合いました。
こういう形で死を語り合える場がもっと多いといいと思います。
しかし、死を明るく語ることは、そう簡単ではないことを今回も思い知らされました。
帰宅したら疲れがどっと出てしまい、そのまま寝てしまいました。
今日はだいぶ元気が戻ってきましたが、死と付き合うのはやはりそれなりに疲れます。
今日はちょっと死を忘れて、生に生きようと思います。
暑い夏の日になりそうですが、まだ風がとても心地よいです。
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