■節子への挽歌4713:生活者ってこういう人の事なんだろうと思ったのです
節子
1日に開催した「生活の視点で政治や経済を考える」サロンの報告にはいろんな反響がありました。
先ほどとどいたメールはとても私を元気にしてくれるものでした。
それでここに一部を紹介させてもらうことにしました。
投稿者は、長年、地道なアート活動をしている女性です。
「人々は、豊かな自然のなかで、しかし限られた資源を生かして、お互いに支え合いながら生活していました。生活の基盤は、コモンズ(自然と仲間)なのではないか・・・・」
上記「生活者」に関して書かれた佐藤さんの考えを読んで
ゴーリキーの書いた「僕の祖母はいい人だった」(幼年時代)の文を思い出しました。
貧しさを気にせず、物乞いが来ると黙って台所に招き入れ、
読み書きはできなかったけど誰よりも物語や詩や作り話を知っていて、
「何がなくてもさ、よい物語を持っているものがこの世で一番の果報者だよ」と、
息苦しく大人も子どもも幸せじゃなかった時代、
「なにもかもが過ぎるだ」「けど、そうなくちゃならねえことは、そのままのこるだよ」
といったゴーリキーの祖母がまさに生活者そのもので、
佐藤さんのおっしゃっている生活者ってこういう人の事なんだろうと思ったのです。
私のメッセージをこういう形で、受け止めてくれる人がいる事にいつも元気づけられます。
彼女はこう続けています。
各都市、各地域での行事が中止の中で
佐藤さんのサロン、そして
少しでもほっとするようなイベントは大事ですね。
こんな時にこそ芸術文化が必要なはずですが、
コロナ治療の手立てのないのが動きをセーブさせます。
彼女とは滅多に会うことはありませんが、時々、こうやってメールをくれます。
うれしいことです。
| 固定リンク
「妻への挽歌20」カテゴリの記事
- ■節子への挽歌5354:「畑に行かない券」のプレゼント(2022.05.30)
- ■節子への挽歌5353:81歳まできてしまいました(2022.05.30)
- ■節子への挽歌5352:落ちてきたひな鳥(2022.05.27)
- ■節子への挽歌5351:畑に2回も行きました(2022.05.26)
- ■節子への挽歌5350:元気がだいぶ戻りました(2022.05.25)
コメント