■節子への挽歌4726:「あの年」も暑かった
節子
エアコンの効いたリビングで、何もできずにほぼ1日を過ごしました。
そういえば「あの年」も暑かったし、毎日、エアコン漬けだったと思いだしました。
節子もエアコンはあまり好きではありませんでした。
しかし、あの年はエアコンのかかった和室でずっと過ごしました。
そう言えば、昨日亡くなった友人も、寝たままの部屋でずっとエアコンをかけていた。
こういうところから、いろんなことを考え出してしまうのが私の悪い癖なのです。
エアコンは「快適」な生へのいざない、つまり死への勧誘なのかもしれない。
現世にいる私は、暑い暑いと愚痴をこぼしていますが、彼岸にいる友人は、この暑さに触れることなく、きっと快適に過ごしているでしょう。
暑い暑いと汗をかき、つらい思いをするのが、生きているということなのです。
そう思うと、エアコンの効いた部屋で、ボーっとしているのがなんだか嫌になり、そこから出てきて、いまパソコンを打ち出したのですが、汗が止まりません。
夕方になって少し暑さもやわらぎましたが、風がないため、涼しさを感じない。
エアコン効果で身体機能もよわまっているのでしょう。
やはりこれでは生きているとは言えない。
夏はやはり、暑さに不平を言いながらも、汗をかき、熱中症の危険に立ち向かわないと、生きている喜びを味わえないのではないか。
「あの年」の暑さから、まだ抜け出られていないのかもしれません。
若いころは、この暑さを2人で楽しんだものです。
海にも山にも行き、都心の雑踏でも、暑さを頼んでいた。
それが今では、暑さは逃避するものに変わってしまった。
残念ながら、いまではもう、暑さを楽しむ生き方は無理があるでしょう。
しかし、暑さとうまく折り合いながら、生きていくすべはあるはずです。
娘はエアコンをかけろと言いますが、やはりその誘惑に抗わなければいけない。
そんな気がしてきました。
そう思ったら、外から少しさわやかな風が入ってきました。
エアコンになじんでいた身体にも、生命が戻ってきたのかもしれません。
人の死は、もしかしたら「暑さ」と「熱さ」を引き寄せるのかもしれません。
またすこしおかしなことへと発想が広がりそうです。
それはやめて、庭の花木に水をやりに出ることにしました。
蚊に襲われて、全身痒くて眠れなくならないように注意しながら。
人生には苦難がつきものです。
それこそが生きることの醍醐味なのです。
暑さから逃げるのではななく、その暑さを楽しむ生き方を思い出さなければいけません。
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