■節子への挽歌4743:「新しいこと」が起きない生活
節子
最近、身体の衰えを感じます。
まあ今に始まったことではないのですが、夏バテも重なってか、疲れがいつも残っている感じです。そのため、さあやろうか!という気分がなかなか出てこずに、暑さを口実に、今日も畑はやめよう、とか、本はやめてテレビでも見ようか、などとついつい消極的な選択をしてしまいます。
消極的な選択。
節子はいつも「積極的な選択」を選ぼうとしていました。
実際には、私が知る限り、むしろ消極的な選択も多かったのですが、意気込みや意識的な判断基準は「積極的な判断」でした。
試みないで後悔するよりも試みて反省するほうがいい、というのが節子の信条でした。
私もその信条は共有していましたので、どちらが先だったかはわかりません。
しかし、そういう信条をシェアしている人が隣にいると人生はとても楽しくなります。
節子がいなくなった数年して、そのことに気づきました。
つまりその後の人生は、そう楽ではないのです。
14年前の節子は、昨日と同じような1日を過ごせて幸せだったと眠りにつき、朝起きて、今日も昨日と同じような1日になりますようにと祈りました。
そこにはもう、積極的な選択とか消極的な選択とかはなく、ただただ静かな時間への祈りがありました。
なにも「新しいこと」が起きない生活。
コロナ騒ぎでいま広がっているのは、もしかしたら「新しいこと」が起きない生活かもしれないと、今朝、ふと思いました。
また節子の命日が近づきました。
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