■節子への挽歌4719:いまの大事な生を楽しめない生き方
節子
今年もお盆が近づきました。
お盆は、死者を祀るというよりも、死者を招く祭りだといわれます。
私の記憶には、そうした「お盆」感覚が残っていますが、昨今はあまりそう考えている人も少なくなったでしょう。
それに今年は新型コロナのせいで、お盆の帰郷を諦めた人も多いはずです。
死者はますます遠くなる。
いや生と死がどんどん切り離されてしまっていると言うべきでしょうか。
死から切り離された生は、落ち着かないものになるでしょう。
死んでもまたお盆になれば現世に戻ってきてみんなに会えると思えば、死を素直に受け入れられ、死などに惑わされることなくいまを精いっぱいに生きられるはずです。
コロナを恐れて、いまの大事な生を楽しめない生き方はやはりおかしい。
私は、一度、「いまの生」を失ったおかげで、そういうことに気づかせてもらったような気がしますが、そう思いながらも、私自身、「いまの生」をあまり大事にしていないような思いがずっとあります。
それもまた、「いまの生」を失ったことの、もう一つの結果なのですが。
死は生につながっています。
逆に言えば、生もまた死につながっている。
コロナ騒ぎで、死を切り離すことは、生を失うことでもある。
どうしてみんなそんな簡単なことの気づかないのか。
お盆は、そういうことを考えるいい機会だと思いますが、死神に脅迫されて、生を閉じ込めていては、そういうことにも思いはいかないでしょう。
今日は出かけるので、お盆の準備は明日にしようと思いますが、今年は畑作業もいい加減だったので、送迎用のナスとキュウリが育っているといいのですが。
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