■節子への挽歌4733:無限、平等、分かち合いこそが「愛」
節子
昨夜も暑くて、結局また夜中にエアコンのある和室に避難しました。
これからリフォーム作業に入るので、9月いっぱいは、和室で過ごそうかと思います。
この和室は、節子が最後の数か月を過ごしたところですが、10月には姿を消してしまいますので、まあ最後の1か月をそこで過ごすのも意味がありそうです。
もっとも和室と言っても、いろんな荷物が山住されている倉庫状態ではありますが。
今朝、友人からメールが届いていました。
一部を引用させてもらいます。
一緒に**君の旅立ちを見送らせていただいて、簡単には言い表せないものをたくさん見せていただきました。神様に感謝です。
修君はよく「愛」と言いますが、それかなと思います。
修君の口から「愛」という言葉をきいたらたぶんみんなちょっと戸惑うと思うけれど(どう理解して反応していいか分からず)、この言葉に特別の意味を感じました。
無限、平等、分かち合い。分かち合いだけが違うけれど、仏様みたいね。
**君はほんとうに修君に愛されて幸せでした。
いささか過大評価のように思いますが、私の対応は、別に**君だからだったわけではありません。
彼と特別の関係があったわけでもなく、ただ小学校時代の同級生だっただけです。
そして、なぜか彼が私を頼って来ただけの話です。
メールをくれた友人(女性)は、「愛」という言葉を使っていますが、私は自分ではあまり意識してはいないのですが、どうも「愛」という言葉を使っているようです。
そして彼女は、無限、平等、分かち合いこそが私のいう「愛」だと書いてくれています。
他者の言葉は、いろいろな気付きを与えてくれます。
最近、4歳の、孫と付き合っていると、そもそも人とは「愛」のかたまりだと気づかされます。
成長とは、その「愛」をそぎ落としていくことなのかもしれません。
いつのころからそうなってしまったのでしょうか。
今日も暑い日になりそうです。
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