■節子への挽歌4737:今日はエアコンなしに挑戦
節子
暑いけれども今朝はさわやかな朝です。
もっとも昨夜も熟睡はできませんでしたが。
最近はテレビのニュースをほとんど見なくなりました。
2月から6月頃までは録画してまで、コロナ関連の報道などを見ていたのですが。
見なくなった理由は、ほとんどの報道に「事実」を感じなくなったからです。
解説者の「専門家」も「コメンテーター」もただただ放言しているだけで、まったく学んでいないような感じで、聞いていると混乱するだけだと感じたからです。
それに、感染者数にしても、死者数にしても、決して多くはありません。
自殺防止の活動に関わって、毎日100人を超す自殺者があることを知ってしまうと、死者数が数十人のコロナは瑣末な事象にさえ思えてしまいます。
どうしてこの程度の数字に一喜一憂するのかが理解できません。
コロナ騒ぎのおかげで、新型コロナ感染症での死よりも、別の要因での死者数が多いのではないかと思うと、問題の立て方が変わってしまいます。
それに「死」とは必ずしも生物的な死だけを意味するわけではありません。
いまの私の問題は、暑さによる熱中症や人と人の接触が回避される方向へと社会が動いていることです。
とりわけ人と直接会い、話す機会が減ってしまった。
まあそれも生命の定めのひとつですが、自然の定めによってではなく、人為的に加速されてしまっていることに違和感があります。
少なくとも昨年までは、毎週、10人を超す人と親しく会って話していました。
また自宅からも週の半分は出かけていました。
しかし、最近は、サロンがあるので、週2回ほどは湯島にも出かけ、10人以上の人とは会っていますが、ゆっくりと話す機会は減りました。
週のほとんどを自宅で過ごし、サロン以外で人に会う機会は激減してしまいました。
今週で言えば、リフォームの関係での打ち合わせの来客を除けば、地元で活動している友人2人とのミーティングだけです。
生活にリズムと刺激がないので、調子がよくないのでかもしれません。
エアコンの効いた室内にいるのも不調の一因かもしれません。
今日は早朝に起きて、リビングの窓を全開し、風をひきこんでいますので、快適な状況ですが、だいぶ気温が上がってきたので、エアコンを入れようかどうか迷っています。
むしろこういう時には、畑に行った方がいいような気がしますが、そこまでの元気はまだ出ません。
今日はもう少しエアコンなしで過ごそうと思いますが、何やら急に暑さが増しだしてきたようで、いささか心配です。
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