■節子への挽歌4720:語り得ないものは、心を開いて問いかけよ
節子
今朝、また雨が覚めて、枕元の時計をみたら、「4:44」でした。
どうも最近はそうした「ちょっとしたこと」に引っかかるようになってしまいました。
鈴木さんが「宗教者ウィトゲンシュタイン」という本が面白いと言って貸してくれました。実はまだ読めていません。最近、ちょっと本が読めなくなっているのです。
ウィトゲンシュタインと言えば、思い出すのが入山さんです。
私より少しだけ年上ですが、知り合ったのは私が会社を辞めてからです。
極めて魅力的な人でしたが、節子を見送った時期に前後して、がんで急逝しました。
短い付き合いでしたが、思い出はたくさんあります。
その入山さんが、ある年に年賀状にウィトゲンシュタインの言葉を書いてきました。
「人は、語り得ないものについては、沈黙しなければならない」
これに関して入山さんと話したことはないのですが、彼には私が語り得ないものを語っていると笑いながら言われたことがあります。
彼のがんが発見されてからは、会う機会がありませんでした。
一度、神への怒りを感じさせるメールをもらった記憶がありますが、いまとなっては全く思い出せないのですが、私は入山さんに会いに行くことはありませんでした。
なぜいかなかったのだろうかと、いまは思うのですが。
入山さんには「愛された」という思いがありますし、私もまた入山さんを「愛した」という記憶はあるのですが。
時計の「4:44」を見て、なぜか入山さんを思い出しました。
彼が健在だったら、私の人生もまた変わっていたでしょう。
そういう存在が、他にも何人かいますが、そこから考えると人生は価値あるものを失い続ける物語なのかもしれません。
ちなみに、私はウィトゲンシュタインにはいささかの異論があります。
語り得ないものは、心を開いて問いかけよ、が私の心情です。
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