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2020/08/24

■節子への挽歌4739:古いノート

節子

毎日、古い書類や資料などの整理を少しずつしているのですが、いろんなものが出てきます。
もうすっかり忘れていた手紙や報告書なども、時に読みだして過去の世界に入ってしまうこともあるのですが、もうひとつかこのことを思い出してしまうのが私がかいたノートです。

節子がいなくなってから、なぜか自分のノートづくりはなくなりましたが、それまではノートづくりが大好きでした。
デスクの前には、私が関心を持っていたテーマ別に数十冊のノートがいつもおかれていました。
当時は、私だけの知の分類コードもあり、新聞や雑誌のスクラップも、その分類コードに応じて索引もできていました。
スクラップブックも数十冊あるのですが、これは仕事場の湯河原の仕事場に置かれていますので自宅にはありません。

ノートにはテーマ別のほかに、たとえば「時に立ち止って」「道を歩くために」「もう一つのあした」とかいうのもありました。
問題は大体においてノートの半分も行かないうちに放棄されて、空白の方が圧倒的に多いのです。

読書記録ノートも出てきました。
全く忘れていましたが、岩波書店の現代都市政策の叢書に関しては、1冊ごとに1冊のノートが取られていて、内容がていねいに要約されていました。
むかしはこうやって本の要約をノートしていたのです。

この全集は出版されたのがたしか私が会社を辞める前年だった気がします。
湯島をオープンした時には、湯島の書棚にこの全集を並べていました。そして湯島のオープンの時に来てくれた、都庁の我妻さんがその全集を見ていたのも思い出します。
我妻さんとは付き合いが切れてしまいましたが、いまはどうされているでしょうか。
そういうことが、思い出されてしまうので、整理はなかなか進まないのです。

もっと驚いたのは、大学時代の受講ノートが出てきました。
憲法と行政学です。
憲法は私の気に入った授業だったのでわかるのですが、行政学のノートもきちんととられていたのには驚きました。たしか先生は辻さんでしたが、この授業はいつか君たちの役に立つはずだと話していたのを思い出しました。
私自身はすっかり忘れていましたが、たぶんどこかで私の読書を方向づけていたかもしれません。

いささかたじろいだのは、節子が遺した何冊かのノートです。
その1冊は、闘病時代の検査記録です。
これはいまはまだ読み直す気力は出ませんが、残しておくことにしました。

今日も暑くなりそうです。
午前中は在宅なので、もう少し片づけをつづけようと思います。

 

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