■節子への挽歌4760:家族の構造
節子
家の様子が一変してきています。
今日も朝から大工さんと現場監督の方がやってきて、打ち合わせをしていましたが、ともかくがっちりと作ってあるので、リフォームは大変だそうです。
この柱を抜くと上の部屋が支えられないとか、いろいろと専門的な話をしていました。
私も内部構造を見て、こんなに木材を使っているのかと驚きました。
外からは見えないところでいろんな支えが仕組まれているのです。
その要になる柱が抜かれると構造は一気に弱くなり、時に壊れてしまう。
先日撮った私の脳のMRIの写真では、脳内の血管が写っていましたが、それもどこかが急に詰まってしまうと死に至るそうです。
私の場合、写真では2本の細い血管が切れてしまっているように見えましたが、医師の説明では、徐々に細くなってきたので、周囲がなんとかしようと頑張って、血管の先に血液を流すようにみんなで頑張るようになっていると説明してくれました。
壊れ方によって、いろいろと違うようです。
家族の場合はどうでしょうか。
わが家の要は、私ではなく節子でした。
要となっていた柱が不在になって、一時は家族全体がおかしくなった。
しかし、時間をかけて遺された家族でなんとか新しい家族関係を構築してきました。
まあそういう言い方ができますが、実際には、家族は微妙なバランスで成り立っていますので、その一部がなくなれば、どうしても変質してしまう。それでいろんなほころびも生じかねない。
親子関係のゆえに、過剰な我慢や思いやりが働く一方で、親子関係であるが故の過剰な思い込みや不安も出てきます。
物質的な家屋の硬い構造と生命的な脳の柔らかな構造は全く違いますが、いずれからも、家族のあり様を考えるヒントが得られます。
節子がいなくなったあとの家族に、もし節子が戻ってきたら、どんなことになるか。
考えると面白い。
そして、もし節子でなくて、いなくなったのが私だったらどうなっているだろうかと考えるのは、もっと面白い。
今日は涼しくて肌寒いくらいです。
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