■節子への挽歌4766:さびしい時代
節子
今日は地元でやっているまちづくり編集会議の集まりでした。
いつも借りている場所で行ったのですが、コロナ感染予防のために椅子の数が少なくなっていました。
しかも間隔を置いての利用です。
なんとなく気分が出ません。
こういうことが重なって、人のつながりは薄れていくのでしょう。
なんだかとても寂しい気持ちになりました。
まあ最近は元気を吸い取られるようなことがともかく多いです。
昨日のサロンで、久しぶりに参加してくれた女性は、マスクなしで街を歩いていたら、罵倒されてといいます。
いわゆる自粛警察ということなのだそうですが、まあ罵倒する人はたぶん追いつめられているかわいそうな人なのでしょう。
みんなともかく追い詰められていて、どの鬱憤をどこかに吐かせたいのです。
さびしい時代です。
そう言えば、数年前に「さもしい時代」をテーマにしてサロンを2回ほどやった記憶がありますが、時代はますます「さみしく、さびしく、そしてかなしく」なっているのかもしれません。
私が元気が出ないのは、もしかしたら私の素直なさの故かもしれない。
つまり私の主体性のなさで、時代の気分に染まっているのかもしれません。
困ったものです。
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