■節子への挽歌4748:人にとって何が大切か
節子
あなたもよく知っている渕野さんがFBでこんなことを書いていました。
コロナ禍で友人と直接会うことが極端に減りました。
最初は寂しいなと思いましたが、今ではすっかり慣れてしまいました。
会うのが億劫で面倒くさいなとさえ思うようになりました。
会わないのが当たり前になっています。
慣れは怖いですね。
一種の「自閉症」かもしれません。
「いつか」「そのうちに」なんて言っていたら、生きているうちにもう会えないかもしれません。
「いつまでも」いのちがあるわけではありません。
とても共感できます。
渕野さんは、自分自身ががんでいつどうなるかわからない状況の中を、実に精力的に人と会い続けていました。
幸いに5年間を過ぎた今も元気で、一応、がんの心配からは解放されましたが、その彼が書いている言葉には説得力があります。
実は渕野さんから呼びかけで、8月の初めに数名の会食を予定していましたが、感染者数が急増してきたため、彼の決断で直前に延期されました。
たぶん参加者を気遣ったのだと思います。
その記事に、他の人が還暦祝いに同窓生で会おうと思っていたが延期になったと書いていました。
こういう人も少なくないでしょう。
なにしろ今年の夏は、お盆のお墓参りで故郷に帰ることさえが回避されました。
私たちの生活をコロナ騒ぎがおかしくしているのです。
どう考えてもおかしな話です。
マスコミが異常に騒ぎ立て、みんなを委縮させている現状の先に、私は大きな不安を感じます。
人にとって何が大切か。
それを思い出さなければいけません。
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