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2020/09/06

■知者の喜び

昨日は「知者の無知」について書きましたが、無知であることは「無上の喜び」につながるばかりか、生の平安にもつながります。

1週間前にEテレの「こころの時代」で上藤恵子さんがレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を紹介していましたが、その最後のナレーションに、同書の最後に紹介されているスウェーデンの海洋学者オットー・ペテルソンの言葉が流れていました。
私はすっかり忘れていたのですが、私の思いと同じなので今回はしっかりと記憶に残りました。
念のために、「センス・オブ・ワンダー」も確認しましたが、たしかに紹介されています。

ペテルソンが残した言葉は、死を意識した時に息子に語った言葉です。
「死に臨んだとき、わたしの最期の瞬間を支えてくれるものは、この先になにがあるのかというかぎりない好奇心だろうね」。 

私が死に対してそれを感じないのは、ペテルソンと同じ好奇心です。
私の友人には、死ですべては無になるという人が少なくないですが、そういう人にとっては死は喜びにはつながらないでしょう。
死によってすべては終わるという「近代科学的知識」に呪縛されて、それ以外のことが見えていないのです。
死後の世界のことに関して私は全く知りません。
しかし、何も感じていないわけではなく、
知ることよりも大切なのは感ずること、というのも、たしかカーソンの考えでした。

死後の先に何があるかわからないのであれば、知りたくなる。
それが無知に価値を置く知者の生き方でしょう。

知らないことは知る喜びを与えてくれる。
死の先に大きな期待があれば、死を恐れる必要はありません。

知者でありたいと、私が思う所以です。
決して知識人にはなりたくありません。

 

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