■湯島サロン「文化は世界を救えるか」報告
「文化は世界を救えるか」と大上段に構えたサロンは10人を超える参加者がありました。
最初に文化と文明の違いに関する沖さんの考えが紹介され、最後は「我々は文化を再生し世界を救うことができるか」という問いかけがなされました。
この問いかけからわかるように、沖さんはいま世界は「救われなければいけない状況」、つまり危機にさらされている状況にあると考えているわけです。
そしてそれを救うには「失われた文化の再生」にしかないとも考えているようです。
しかし、この問いかけは、同時に「文化は世界を壊す」かもしれない、という懸念を伴っています。
沖さんの文化と文明の捉え方は明確です。
文化は人間が考えて創り出すもの(精神的なものを含む)であり、文明は生活を豊かにする(物資的要求を満たす)ために創りだされるものだというのです。
この定義自体にすでにかなり大きな前提が含まれていますが(たとえば「豊かさ」は物質的な要求と結びつけられています)、それはともかく、「創り出すもの」と「創り出されるもの」という違いがあるというのです。言い換えれば、文化には価値観(あるいは人間の意図)が含まれるが、文明はその価値観を生み出す「下部構造」だというのがどうも沖さんの理解のようです。
さらに、沖さんはテクノロジーと文化を関係を考えます。
そして、ラフカデオ・ハーンの言葉を紹介してくれました。
ラフカデオ・ハーンは、何が人生に希望を抱かせてくれたのかと問い、それは「幽霊」だと書いているそうです。
幽霊には、神も悪魔も天使も含まれそうですが、要は文明開化によって霊的なものを基礎とする世界観が失われた。そして伝統的な文化も失われ、空しく空っぽな「電気と蒸気と数字の世界」になってしまったと言っているそうです。
ここでは文明と文化が対置されています。
そこから「我々は文化を再生し世界を救うことができるか」という話になっていくのですが、沖さんはテクノロジーを超えた文化を創り出すために、自分の価値観を持つ人々が増えなければいけないと言います。
その先は参加者みんなで考えようということで、話し合いに入りました。
文化と文明に関してはその捉え方は人さまざまです。
ですからやはり「文化で世界を救えるか」という問いかけも人それぞれですので、なかなか議論はかみ合いません。
結局、家族の問題とか人のつながりのような、かなり具体的な問題になると話がかみ合いだします。また「企業文化」や「政治文化」にからむ話し合いもかなり盛り上がりました。
私自身は。文化と文明と言葉が似すぎていて、混乱を生みだしているとずっと思っています。
ちなみに「エジプト文明」という言葉はありますが「エジプト文化」とはあまり言いません。「伝統文化」という言葉はありますが「伝統文明」という言葉はない。そこにある意味のヒントがあるような気がします。
「文化」は英語では「カルチャー」。つまり「耕す」という意味があり、「文明」は「シビライゼーション」つまり「都市市民になる」とかいう意味があります。
そこから私は、文化は「する概念」、文明は「なる概念」だと考えています。
そう考えるといろんなことが整理されるように思いますが、これもまたあくまでも一つの考え方でしかありません。
結局、今回のサロンでは「文化は世界を救えるか」という問いかけに対する答えは出ませんでしたが、たぶん問題の立て方に起因しているのです。
「世界を救う文化を目指すために」という問いかけにすれば、いろんな意見が出てきたでしょう。実際に今回のサロンでもそういう視点でのアイデアはいくつかあったような気がします。
この問いかけ自体に、文化と文明の発想の違い、あるいは「する発想」と「なる発想」の違いが示唆されているように思いました。
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