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2020/09/05

■「知者ほど無知」

今朝の挽歌にも書いたことですが、血液サラサラ薬騒動でいろんなことに気づかせてもらいました。
その一つが「知者ほど無知」というソクラテスのメッセージです。
ソクラテスがそんなことを言ったのかどうかは確かではありませんが、私が勝手にソクラテスから受け止めているメッセージです。

生命現象は実に不思議です。
いまだなお人智の及ぶところではないことが多いでしょう。
近代の科学技術は生命現象の一部を可視化してくれましたが、逆に生命現象を可視化された世界に限定しがちです。つまり「知者ほど無知」というジレンマがそこにある。医師と話していて、それを強く感じます。

何かを知ることは何かを見えなくすることでもある。
湯島のサロンでみんなの話を聞いていて、いつも痛感することです。
もちろん私にも当てはまります。
私自身は以前からずっと「知識」から自由に思考するというように心がけてきていますが、時に知識をひけらかしてしまい、後で自己嫌悪に陥ることは多いです。

サロンを終わって、自らの無知の世界が広がった時にはとても充実感が生まれます。
「知る」ということは何か「知識」を得ることではなく、「知らない世界の存在」に気づくことかもしれません。知らないことに気づかせてくれるのが知識かもしれません。ソクラテスの「無知の知」を知るということです。

そう考えると、知者とは「知識」を持つ人ではなく「無知の世界」の広い人かもしれません。いささかややこしいですが、知らないことを知ることこそが知ることの醍醐味なのです。知れば知るほど、知らない世界が広がっていく。

他者とのコミュニケーションにとって「知識」は両刃の剣です。知識がないとコミュニケーションできないこともあれば、知識がコミュニケーションを邪魔することもある。
このことに気づいたのは大学生の時ですが、それから半世紀以上生きてきたのに、そのジレンマを克服する術が見つけられずにいます。

ちなみに不思議なのは生命現象だけではありません。
社会現象もまた不思議です。
いや、社会現象もまた生命現象と捉えることもできるでしょう。

いずれにしろ世界は不思議で満ち溢れています。
科学技術は、それを退屈な機械的世界へと単純化してしまった。
それでは世界は見えなくなる。

歳をとる効用のひとつは、知らないことの世界を楽しめることかもしれません。
人が知りうることが、いかに狭い世界にとどまっているかの体験を繰り返していると、知らないことを軸に生きることが自然と身についてくるような気がします。
毎日、知らないことを楽しむ生き方だけはかなり身についています。
なにしろ世界は私にとっては、無知の大陸です。

暑さで心身ともに萎えていました。
そろそろそこから抜け出そうと思います。

 

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