■節子への挽歌4753:人生最後の喜びは、死によってもたらされる
節子
今日の時評編に「知者の喜び」と題して、海洋学者のペテルソンの言葉を紹介しました。
ペテルソンが死を意識した時に息子に語った言葉です。
死に臨んだとき、わたしの最期の瞬間を支えてくれるものは、この先になにがあるのかというかぎりない好奇心だろうね。
死後の世界は実に興味深い。
向うに行ったら向うの様子を伝えてほしいと節子にきちんと頼まなかったのが悔やまれますが、一度、篠栗の庄崎さんを通して、向こうの世界の節子の様子を教えてもらったことがあります。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2008/04/post_2f7d.html
何となく予想していたのとつながりましたが、間接的でしたので、違和感もありました。
やはり自分で直接体験してみたいという思いを強めました。
そういうことを考えれば、死はあまり恐ろしいものではなくなります。
私の場合は、そこに節子がいるということもあるので、いつ死んでもいいという思いが根底にあります。
しかし、そうはいっても、私の周りには節子だけではなく、娘もいれば仲間もいる。
そうした人たちへの迷惑はできるだけ避けたいので、それなりに死のタイミングは考えなければいけません。
死後の世界を見たいからと死を急ぐわけにもいきません。
現世はもう見残したところはあまりありません。
パルミュラ遺跡は行きたかったですが、ISが壊してしまった。
エジプトはもう一度行きたかったですが、もう無理でしょう。
そう考えれば、もう見残したところはありません。
そうなるとますます死後の世界が魅力的に感じます。
死んでしまえば、すべてがなくなるという人がいますが、そう思う人はもう既に存在していないとしか私には思えません。
知らない世界、わからない世界を、否定してしまうほどの知ったかぶりの偽の知者にはなりたくないと思います。
人生最後の喜びは、死によってもたらされるのです。
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