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2020/09/05

■節子への挽歌4752:知者ほど無知

節子

昨日病院で再検査をしましたが、結局は血液凝固防止薬を飲むことにしました。
MRIでとった脳の写真を見せられて、薬を飲みたくないという要望も一蹴されました。
もっとも私に反論ができなかっただけで、納得できたわけでもないのです。
血液本来の性質を意図的に制約するのは基本的にあまり納得できません。

それに2か月ごとに経過検査もすることになりました。
まあこれで私も現代の高齢者になれそうです。
しかし血が止まりにくくなりそうなので、出血しないように注意しなければいけません。

生命現象は実に不思議です。
いまだなお人智の及ぶところではないことが多いでしょう。
つまり「知者ほど無知」というジレンマがそこにある。

「知者ほど無知」ということは、最近ますます確信が強まっています。
何かを知ることは何かを見えなくすることでもある。
湯島のサロンでみんなの話を聞いていて、いつも痛感することです。
もちろん私にも当てはまります。

私自身は以前からずっと「知識」から自由に思考するというように心がけてきていますが、時に知識をひけらかしてしまい、後で自己嫌悪に陥ることは多いです。
幸いに私の場合、あんまり記憶力がよくないばかりか、知識を他者に伝えるのが我ながら不得手です。
でも時に「知識」に頼ってしまうことがあり、知識がシェアされていないことにいらだちを感ずることもあります。
勝手なものです。

他者とのコミュニケーションにとって「知識」は両刃の剣です。
知識がないとコミュニケーションできないこともあれば、知識がコミュニケーションを邪魔することもある。
このことに気づいたのは大学生の時ですが、それから半世紀以上生きてきたのに、そのジレンマを克服する術が見つけられずにいます。

今日は朝から、何やら難しいことを書いてしまいました。
風が爽やかだったこともありますが、疲れがちょっと回復したおかげかもしれません。

今日も朝から大工さんが来て、家の改造工事をしています。
本当は手伝いたいのですが、現代の文化ではかえって迷惑でしょう。
リフォームを通じて、何やら不思議な時代になっているのに気づかされます。

 

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