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2020/10/08

■節子への挽歌4775:ソクラテスのようなひねくれもの

節子

前にも書きましたが、鈴木さんが私をソクラテスのようだと言い出しました。
まあ、そのきっかけは、私が裸足のサンダルで歩いていることからなのですが、その後、私とソクラテスとの共通点をいろいろと指摘してきてくれました。

鈴木さんは毎年、スペインのサンチアゴ巡礼に行って、湯島でその報告サロンをやってくれるのですが、今年はコロナ騒ぎでいけませんでした。
そこで今年は鈴木さんに読書巡礼の話をしてくれないかとお願いしたら、なんとサロンのタイトルに「〈佐藤さん=ソクラテス〉説をめぐる一考察~そこに人生のヒントが見つかる、かもしれない」を選んできました。
いささか動転しましたが、まあ私が話しのダシになるのでしょうから、このタイトルのサロンをやってもらおうと思います。

まだ案内は出していないのですが、その話を小学校の同級生の升田さんに話したら、なんとまたこんなメールが来ました。
まったく記憶のないことですが、どうも私はあんまり成長していないようです。

修君とは人生の中であまり接する機会はなかったように思う。
ただ私を変えた(衝撃を受けた)会話を忘れたことはありません。

大学生の時でした。
修君との会話。
修「AとBとどっちがいいと思う?」
私。考えた末に「Aがいいと思う」
修「ほんと?そうかなあ。Bじゃない?」
私。東大生の修君がBだと言うんだからBに違いないと迷う。けれどどう考えても私にはAとしか思えない。「Aだと思う」
修「実は僕もAだと思う。だって二人がAだと言ってしまうと思考はそこで止まってしまうでしょ。Bだと言ってそれぞれの何がどう違っているかを考えないと公正な理解は得られないでしょ。だからあえてBだと言った」

これはおそらく私を大きく変えた事件?だったと、衝撃とともに今も忘れてはいません。これって限りなくソクラテス的なんだと思います。(ただし、ソクラテスがなんなのかよく知らない)

一人の女子の考え方、生き方を目覚めさせたなんてことは、修君には全く覚えも関係もないことでしょう。なぜなら、個々のことではなく、それが「佐藤修」の全ての中に包括されていることだと思うからです。

若いころはどうも私はいまと違って、あんまり「素直」ではなかったようです。
いや、いまも「素直」でないといわれそうですが、人の性格は変わらないものかもしれません。

困ったものです。

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