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2020/10/15

■節子への挽歌4781:感染リスクを超えて直接会う生き方

節子

先日、コロナ騒ぎでどんな変化が起こったかをテーマにしたサロンを開催しましたが、
コロナのせいにする風潮が広がっているのではないかという私の指摘には多くの人が同意してくれました。
しかし、声は社会の風潮のみならず、私を含めて、ほとんどすべての人に起こっている変化かもしれません。

先日、読んだ「家族遺棄社会」にこんな指摘がありました。

感染リスクを顧みず直接会ってくれる人がいるというのは親しさの指標。

これは全く同感です。
もし節子が感染症だったとしても、私はたぶん死に顔に触れたでしょう。
新型コロナで亡くなった家族に最後にも直接会えなかったという有名なタレントの報道がありましたが、もしそれが本当であれば、実に悲しい話です。
だれが何と言おうと遺族は会うべきでしたし、医療関係者は会わせるべきでした。
それが人の道だろうと思います。
人が人の道を外したら、もう人ではありません。

友人が入院し、私は面会に行きました。
別室で医師と話をし、いまは面会謝絶になっているといわれましたが、医師と看護師と話して面会させてもらいました。
それから彼は退院し、間もなく亡くなったのですが、最後は幸せそうでした。
あのまま入院したまま亡くなったらそれこそさびしい死だったでしょう。
どんなルールも、人の道に沿うように活かしていかねばいけません。

湯島でサロンをやっていますが、参加する人と参加しない人が明確になってきました。
特に感染を注意しなければいけない人もいますから、一概にはいえませんが、感染のリスクは生きている以上常につきまとっています。
リスクを避けることは大切ですが、生きる上での優先順位を間違ってはいけません。
それにリスク対策はいろんな方法があります。
個別に考えなければいけません。

生きる上で、何を優先させるか。
コロナ騒ぎは、それを私たちに問い質してくれているような気がします。
感染におびえて生きるのは私の生き方には合いません。

ましてや、誰かに感染させたくないのでという口実は、私には一番不快な言葉です。
それは自分が感染しているかもしれないということでしょう。
自分の感染も防止できずに、他者への感染に注意しているなどと軽々に口にしてほしくはありません。
そういう言葉に、その人の本性が感じられます。
あまり人の本性が見えてくると、人生は生きにくくなります。

私ももしかしたら、コロナ騒ぎで、ますますひねくれてきているのかもしれません。
節子がいたら、どう行動するでしょうか。
この頃、節子ならどうするかと思うことが増えています。

 

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