■節子への挽歌4782:みんなに助けられるような巡り合わせ
節子
新潟の金田さんが魚沼の新米を送ってきてくれました。
敦賀の姉家族は今年からコメ作りをやめましたが、先日、知り合いから新米を購入して送ってきてくれました。
ありがたいことです。
もしかしたら私は、みんなに助けられるような巡り合わせになっているのではないかと、思うことが時々あるのですが、本当にたくさんの人に支えられてきています。
そういうことが多いので、前世のおかげだと思わざるを得ないのです。
そして、だからこそ、来世も信じられるわけです。
しかし、みんなに支えられるということは、私が頼りなくて心配に見えているのかもしれません。
たしかに、私には頼りなさやあぶなっかしさがあるかもしれません。
生活力はありませんし、失敗はよくやってしまう。
人を信ずることが大切だと思いながらも、心底、他者を信ずることもできないで、中途半端なところでうじうじしている。
困ったものですが、節子が元気だったころは、その頼りなさも隠せたのですが、いまはもうそれがもろに出ているのかもしれません。
そう言えば、湯島のサロンも終わるとなぜかみんなで片づけてくれて、私は何もしないでもいいのです。
最近は準備まで誰かがやってくれる。
やはり私には任せておけないのかもしれません。
困ったものです。
みんなに助けられて生きている私を、節子はどう思っているでしょうか。
こんなに長く現世にはいられないだろうという節子の期待を裏切ってしまっているかもしれません。
ほんとに私自身、いささか驚いていますが。
みなさんには感謝しています。
しかし、長生きがいいのかどうかはいささか迷うところでもあるのですが。
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