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2020/10/23

■節子への挽歌4793:物はみんな生きている

節子

家の改装に伴う備品や書籍の移動で、毎日、かなりの重労働です。
身体中が痛くなってきました。
ちょっと無理をし過ぎかもしれません。
思い物の移動はかなり身体にはこたえます。
今週はほとんど外出せずに自宅で作業です。

それにまだ収納家具が購入されていないので、なかなか整理も難しいのです。
相変わらず新しいリビングルームには書籍や行き場のないいろんなものが散在しています。なんでこんなものまでで残しているかと言われそうなものも少なくありません。せっかく新しく作った空間が、1階のリビング同様、足の踏み場もない状態になってしまっています。

昨日、友人からメールが来ました。
その友人も、いままさに整理に取り組んでいるようです。

もう3か月以上整理してます。(笑)
本箱2個分、背広約20着、その他不要なもの、だいたい整理しました。
息子と娘の遺品も少し、物には様々な思いがあります。

その思いと対面する、そして、自分の感情と向き合う。
その思いと、合言葉「今の年なら整理できる」そんな日々でした。

物には様々な思いがあります。
その思いと対面する。
そして、自分の感情と向き合う。

この3行の短い文書が、昨夜、急に思い出されて、夜中に眼が覚めてしまいました。
そうしたらもう眠られなくなってしまった。

物を整理したり廃棄したりするのは、そう簡単なことではありません。
なぜなら、物はみんな生きているからです。
そして、物が守ってくれている、人や過去とのつながりを捨てることにつながっているからです。

「捨てる技術」という本が一時期、流行ったようですが、私にはとても理解できません。「捨てること」は「技術」の問題などではなく、「どう生きているか」の問題なのです。
そう思えてなりません。

物が語ってくるのは、しかし、その物と共に生きてきた人にだけです。
私にはとても大事なものも、娘にとってはただの物質、それもまったく価値のない物質にしか見えないのです。だから、どうしてそんな無用な物質を大事に持っているのか、なかなかわからないでしょう。
しかし、その物を通して、生き生きと伝わってくる世界が見える私には、なかなか整理できずにいます。そのものを捨ててしまえば、その向こうにある世界が消えてしまいそうだからです。

もしかしたら、これは自然にも言えることかもしれません。
自然環境がここまで破壊されてきた理由は、これと関係しているかもしれません。
これはちょっときちんと考えなければいけません。
私の生き方にも深くつながっているような気がします。
もちろんこれからの私の生き方、という意味ですが。

外が明るくなり出しました。

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妻への挽歌20」カテゴリの記事

コメント

全く然り、です。今まで、持ち物について、自分について肯定感が無かったのですが、佐藤さんの文章を読んで少しだけ自己肯定出来たような、ホッとした気分を頂きました。ありがとうございます

投稿: wataru | 2020/10/25 12:58

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