■節子への挽歌4787:Nさんは元気でしょうか
節子
フェイスブックではつながっている人の誕生日を教えてくれる機能があります。
誕生日には、おめでとうの挨拶を送ることがフェイスブックでは勧められているのです。
私も一時期、あいさつを送っていましたが、最近はやめています。
私宛の儀礼的な挨拶が多くなってきて、そうしたやり方に違和感を持ったからです。
しかし、いまも誰それの誕生日だというお知らせは時々見ています。
そして最近まったく連絡もない人のフェイスブックを見ることもあります。
今日、誕生日だったNさんにはもう10年近くお会いしていません。
超人的な生き方をしていた人ですが、どうされているか気になってフェイスブックを見てみました。ご本人の投稿記事は2012年で途切れています。
連絡をとろうかどうか迷いましたが、やはりメッセージを送ることにしました。
まあそこまでは時々やるのですが、その先がいつも心配です。
返信があることもありますが、ない場合も多いのです。
もしかしたら、などと余計なことを考えてしまいます。
だからむやみに交流が途絶えて人に連絡してはいけないのです。
知らなくてもいいことはたくさんあります。
Nさんのことがいつも気になるのは、1日3時間しか眠らないと聞いたからです。
私は記憶力が悪いので、友人との出会いをあまり記憶していません。
Nさんと何で知り合ったのかも思い出せませんが、湯島でNさんの話を聞く会をやったことは覚えています。
その場をつくったことのお礼かもしれませんが、Nさんはプロジェクターをくれました。
いまはもう使っていませんが、湯島への寄付が始まったはじまりです。
まだそのプロジェクターは湯島にありますが、それを見るたびにNさんを思い出します。
ですからそのプロジェクターは壊れてしまったのですが、捨てられないのです。
Nさんから返信が来ればいいのですが。
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