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2020/10/15

■家族ということ

挽歌編に書いたのですが、時評編にも載せたくなりました。
少し書き直して、こちらにも書かせてもらいました。

最近、昔のテレビドラマの再放送をよく見ているのですが、西田敏行主演の「浅草ふくまる旅館」シリーズには大きな元気をもらいました。
残念ながら最後の6話しか観られていなかったのですが、最終回には涙が止まりませんでした。元気が出る涙です。

西田敏行演ずる主役の福丸大吉は、浅草にある“ふくまる旅館”で働いていましたが、先代の娘と結婚し、旅館を継ぐのですが、いろいろと事情があって、長男とは血のつながりがありません。詳しい説明は省略しますが、最終回でその息子に次のように大吉は話すのです。

家族ってさ、一緒に悩んだり苦しんだり、一緒に喜んだり笑ったり泣いたり…
先代は、従業員だった俺を家族として迎え入れてくれた。
だから俺は、お客様を家族として受け入れ、できるだけのおもてなしをしているんだ。

ドラマを観ていないと、意味が分からないかもしれませんが、ともかく毎回、心があたたかかくなるドラマです。
私が大吉のこの言葉にとても共感したのは、「一緒に悩んだり苦しんだり」が「一緒に喜んだり笑ったり泣いたり」の先にきているからです。
家族の一番の意味は、「一緒に喜んだり笑ったり泣いたり」するところにではなく、「一緒に悩んだり苦しんだり」するところです。
喜んだり泣いたりするのは、誰とでもできます。
しかし、悩んだり苦しんだりは、誰ともできる事ではありません。

私は家族というのは、別に血がつながっている必要はないと思っています。
事実、家族の核である夫婦には血のつながりはありません。
家族は血縁関係者と捉える必要はないでしょう。

私は家族とは一緒に生きている仲間だと考えていますので、ふくまる旅館の話がとてもなじめるのです。一緒に生きていればこそ、当然にして「一緒に悩んだり苦しんだり」するのです。

福丸大吉さんは、過剰なほどの世話焼きです。
しかも誰をも信じてしまう、他者を疑うことがない。
疑うことを知らない人は誰からもだまされません。「だまされる」という概念がないからです。

なぜ彼は人を疑わないのか。みんな家族だと思っているからです。
家族からはだまされないし、万一、だまされたとしても許すことができる。
そして大吉さんはだまされないどころか、いつも「奇跡」のようなことに包まれるのです。

家族になるのは難しいことではありません。
その人を信ずればいい。
それだけです。
それができれば、誰も孤立することはなく、孤独死もなくなるでしょう。
そういう思いを、このドラマは教えてくれます。

多くの人に観てほしいのですが残念ながら再放送はいまのところありません。
またもしどこかで再放映があったら、ぜひご覧ください。
幸せになるかもしれません。
DVDに残しておけばよかったのですが、消してしまいました。とても後悔しています。

 

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