■節子への挽歌4786:気兼ねのない関係
節子
しばらく連絡のなかった、節子も知っているYさんからメールが来ました。
4.5年前に京都に転居したのです。
節子もYさんのことはよく知っていますし、Y夫妻と食事をしたこともありますね。
経営していた会社が業績不振で、規模を縮小して、2人で京都に転居し、個人会社にして再出発すると聞いていました。
最後にゆっくりと話す機会もないままに、転居したという連絡が届きました。
それからご無沙汰がつづいていました。
昨日、突然にメールが来ました。
3年前に奥さんが重篤なクモ膜下出血に倒れ、一命は取り留めたものの、いまは車いす生活だというのです。
私は奥さんもよく知っていますが、とても明るくて、元気のいい人です。
車いすはどうしてもイメージできませんが、最近は認知症の症状も出てきているそうです。どうもコロナも関係しているようです。
Yさんのメールによれば、車いす生活ができるマンションにまた転居し、会社も清算して、奥様のケアを重視した生活に変えるようです。
Yさんはこう書かれています。
佐藤さんの奥様が亡くなられ、15〜6年になりますか?
あの折りの佐藤さんのお気持ちが、少し分かるようになりました。
家内は、まだ生きているので同じとは言いがたいですが、反応が乏しくなり、本年コロナ以前に戻れるよう、自宅に引き取りリハビリ、脳トレ等頑張りたく思っております。
つづけて、
佐藤さんとは、大変失礼な別れ方をしてしまい、申し訳無く思っておりました。
昔のような気兼ねのない関係が、今更ですが戻れると嬉しく思います。
とありました。
人にとって何が一番大切かは、みんななかなか気づきません。
気づかないまま人生を終える人も少なくない。
私はいつでもだれとでも基本的には、「気兼ねのない関係」を大事にしています。だから「戻る」も何もないのですが、Yさんは京都なので、そう簡単には会えません。せめて今も「気兼ねのない関係」だということを連絡させてもらいました。
今度京都に行ったときに、お会いできるかもしれません。
そう言えば、数日前にも、しばらく縁を切られていた友人から電話がありました。
縁を切ったのは先方で、それも一方的だったのですが、私は何とも思っていなかったので、以前のように長電話になりました。
しかし、どうしてみんなもっと「気兼ねのない関係」を大事にしないのでしょうか。
いつも不思議に思います。
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