■節子への挽歌4779:節子はまさに私の健康の守り神でした
節子
この前の土日は時評編で報告しているように連続サロンでした。
ちょっとまた話し過ぎてしまいました。しかもちょっと節度を越えて。
自分でもそれに気づき、少し反省していました。
そうしたらやはり参加し小学校時代の同級生が、メールをくれました。
昨日は、精神が少し病んで神経が傷んでいるのを感じた。
広い意味ではコロナのせいもあると思う。
コロナの目に見えない圧力かもしれません。
たぶんそう感じた人は他にもいるのだろうなと思います。
コロナのせいにはしたくありませんが、たしかに昨今のコロナ騒ぎには持っていき場のない苛立ちを感じます。
毎日の夢見もよくない。
毎朝、すっきりと目覚められないのです。
しかし、精神が病んで神経が傷んでいると他者に感じさせてしまうのは問題です。
他者に見えるほどであれば、かなりです。
気をつけなければいけません。
怒りを鎮めなければいけない。
昨日読んだ「家族遺棄社会」にこんな文章がありました。
ちょっとした愚痴を言う相手すらいない人が増えてきている。
私も、その一人かもしれません。
気楽に周りに愚痴を漏らしているようで、肝心のことは言っていないのかもしれません。
節子はまさに私の健康の守り神でした。
| 固定リンク
「妻への挽歌20」カテゴリの記事
- ■節子への挽歌5354:「畑に行かない券」のプレゼント(2022.05.30)
- ■節子への挽歌5353:81歳まできてしまいました(2022.05.30)
- ■節子への挽歌5352:落ちてきたひな鳥(2022.05.27)
- ■節子への挽歌5351:畑に2回も行きました(2022.05.26)
- ■節子への挽歌5350:元気がだいぶ戻りました(2022.05.25)
コメント