« ■節子への挽歌4786:気兼ねのない関係 | トップページ | ■節子への挽歌4787:Nさんは元気でしょうか »

2020/10/18

■第10回万葉集サロン「忘れられてゆく神々―〈た〉から覚醒する〈わ〉。そして〈な〉へ」報告

万葉集サロンも佳境に入ってきましたが、今回はこれまでのまとめも兼ねて、「〈た〉から覚醒する〈わ〉。そして〈な〉へ」という、「個」の人間の誕生への物語を、たくさんの歌から読み解いてくれました。併せて、「歌」の本源と基層も話題になりました。

いつも以上に升田さんの話には熱が入り、2時間をほとんど話しっぱなしでした。
まあ時々質疑も入りましたが、次から次へといろんな歌が、大きな物語に沿って紹介されて、ついていくのが大変でしたが、いつも以上に勝手に世界を広げて楽しませてもらえました。

升田さんの万葉集サロンは、ただ万葉の歌を読むだけではなく、万葉の歌から日本列島に住んでいた人たちが、「人間」として覚醒していくさまを考えようという大きなテーマが根底にあります。そのテーマがいよいよ深まってきて、私には内容を要約するのが難しくなってきました。それで今回は配布された資料の目次に沿って、項目だけを紹介しておきます。

前半は、「忘れられてゆく神々」と題して、神の領域から人の領域へと歌(人々の生き方)が変わってきたことを、東歌を中心に読んでくれました。
まずは「恋」の歌、そこではさまざまな「恋の様相」が示されました。
つづいて、恋は「あこがれ」に移り、「人妻」が歌われ、そこから次第に物語の要素が加わってくる。労働歌から物語歌へと深まり、そこから「崩」「奥」「時」がテーマとなり、「戯」から「主情」がテーマになっていく。つづけて、旅や自然を詠んだ黒人や赤人の歌が紹介されました。

こう書くとなんのことやらわからないかもしれませんが、それぞれにいくつかの歌を読みながら解題してくれました。

後半では、それにつながるかたちで、神の領域について、万葉集から離れて、記紀や風土記、祝詞を題材に、「言のはじめ」「人は草もの」「ものいふものたち」を解説してくれ、万葉集の歌の理解を豊かにしてくれました。万葉の時代を少し垣間見るだけで、歌は生命を蘇らせます。現代のセンスで読んでも、なかなか伝わってこない。

つづいて資料では、「神々の恋」と「呪言の力」という見出しで出雲風土記や大祓詞が取り上げられていましたが、残念ながら今回は時間切れでした。

2時間の熱い話のあと、さらに1時間の質疑や話し合いがありました。
〈た〉と〈わ〉、そして〈な〉に関しても、話題になりましたが、まとめになるにはちょっと時間不足だったので、升田さんに頼んで改めての「まとめサロン」をやってもらえればと思っています。

私自身は、升田さんの話には必ずしもついていけずに、いつものように落ちこぼれ気味でしたが、考えを広げる示唆に富むサロンでした。

特に、万葉のその昔には、草や岩も話していたこと、それが文字を使うようになって、状況が変わってしまったというような話は、そこから想像が無限に広がりだすほどの魅力を感じました。
それに関して、イリアスやバベルの塔や無文字社会の話題も少し出ましたが、東歌は一体だれが詠んだのか、という参加者からの問いかけは、改めて新鮮でした。
神の歌を草や岩も発していたが、人間が文字を発明して、神の言葉を人の言葉に置き換えてしまったと考えると、世界は全く違って見えてくるような気がします。
どうも万葉集から逸脱してしまいそうですが、改めて万葉集の魅力に気づかされたサロンでした。昨夜は少し興奮気味で、眠れませんでした。

独りよがりの報告ですみません。
升田さんには叱られるかもしれません。
次回からは参加者の誰かに、もっと正確な報告をお願いしたほうがよさそうです。
どなたかお願いできる方がいたら、ぜひお願いしたいと思います。

Manyoushuu10

|

« ■節子への挽歌4786:気兼ねのない関係 | トップページ | ■節子への挽歌4787:Nさんは元気でしょうか »

サロン報告」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■節子への挽歌4786:気兼ねのない関係 | トップページ | ■節子への挽歌4787:Nさんは元気でしょうか »