■節子への挽歌4778:いろんな人がやってきているのですが
どうもまた挽歌を書くのに不摂生になってきています。
改装のため、居場所がどうも定まりません。
パソコンは、眼にも書きましたが、ダイニングの食卓の横ですが、その周辺には荷物がどんどん集まりだして、どうも落ち着きません。
まあそれが挽歌を書けない理由ではないのですが、ともかくなんとなくリズムに乗れません。
土日以外は、毎日在宅なのも問題です。
時間がありすぎると、そして生活が単調になると、人は怠惰になります。
これは長年の体験です。
改装はどんどん進み、今日は2階のシステムキチンの設置で朝から作業が進められています。ユニットバスはもう設置されました。
毎日、いろんな人が作業に来ます。
電気屋さん、水道屋さん、クロス屋さん、ガス屋さん、大工さん、それに工事監督。
みんなとてもいい人です。
汗して働いている人に悪い人はいないと改めて思います。
逆に汗せずにお金を得ている人たちは、どんどん悪くなっていくのでしょう。
そういう人もこういう人たちと接点を持てば、きっとそれに気づくはずです。
話がそれましたが、在宅でも毎日、いろんな人に接しています。
接しているといっても、立ち話程度なのですが、人柄は伝わってきます。
やはり生きているというのは、人と触れ合うことです。
昨今のコロナ対応は私にはまったく馴染めません。
「家族遺棄社会」という本を読みました。
家族がどんどん壊れている。
人のつながりがどんどん壊れている。
さびしいことです。
私は一度でも接点を持った人とは友達になりたいと思ってしまいます。
しかしそれは難しい。
いろんな人がやってきますが、みんな仕事で来ているからです。
どうもそういうことがなかなか私には理解できない。
困ったものです。
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