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2020年11月

2020/11/29

■節子への挽歌4829:友だちとはありがたい存在です

節子

昨日はやはり痛みが戻ってきました。
困ったものですが、土曜なので病院は休みです。
そのうえ、サロンなので湯島に行かなくてはいけません。
午前中はゆっくりしていようと思ったら、電話がありました。
小学校時代の同級生です。

なにやら今日のサロンに誘われて参加するそうなのですが、フェイスブックで私の階段事故を知っていて、サロンはやめた方がいいのではないかというのです。
私は私で、今日のサロンの参加はやめた方がいいよと勧めました。
テーマが向いていないのです。
それに彼女も最近心臓の手術をして無理は厳禁のはずなのです。

彼女を誘ったのも私の小学校時代の同級生です。
霜里農場の金子友子さんです。

結局、2人ともサロンに来るというのですが、友子さんが来るとしたら、またおにぎりを以て、早目にくるはずです。
困ったものですが、それに間に合わせて湯島に行かなくてはなりません。
急いで支度をして家を出ました。

なんとか彼らがつく前に湯島につきました。
何で今日のサロンに来たのと訊いたら、今日しか行ける日がなかったというのです。
でもまあ考えてみたら、今日のサロンにぴったりの人だと気づきました。
今日のサロンは、「人新世の資本論」ですが、金子友子さんは資本主義の世界を抜け出した生活を長年しているのです。

彼女と話していたら、この1か月近く、とても落ち込んでいたというのです。
彼女が落ち込むとは珍しい。
いろいろと訊いたら、その理由がわかりました。
内容は書けませんが、よくわかる話です。

そのうちに、もう一人の友人もやってきました。
彼女は心臓の手術後で無理はできないので、ゆっくり歩いてきたそうですが、友子さんに言わせると、手術後のリハビリのためにあえて呼び出したというのです。
納得しました。
友だちはありがたいものです。

サロンもにぎやかでした。
毎回、参加者の新しい面に出会えるので、世界がどんどん広がります。

 

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2020/11/28

■またまた繰り返しの判断ミス

また間違った判断をしてしまったようです。困ったものです。

一昨日、階段で足を滑らせ、背中を階段の角にぶつけてしまいました。
病院に行くつもりはなかったのですが、フェイスブックに書いたら、たくさんの人からGo To病院コールのアドバイスをもらいました。それで昨日は病院に行くつもりで娘に自動車で送ってもらうよう頼んでいました。
予定の9時に娘が声をかけてきくれたので、立ち上がって玄関に向かったのですが、なんと「痛み」がないのです。
痛みがない! もう病院はいいのではないかと思い、何とか娘を説得して、病院行きをやめてしまったのです。
午後も一応、様子をみていたのですが、痛みが戻らない。
というわけで昨日は結局、病院に行きませんでした。

ところが、です。
今朝起きたら、やはりみぞうちに痛みがあるのです。
やはり昨日はみんなのアドバイスを素直に受けて、病院に行くべきだったようです。
また間違いをやってしまいました。困ったものです。
まあ大したことはないので、心配は全くご無用なのですが。
もちろん頭は打っていませんし。

昨日、病院に行く際に、待ち時間に読もうと本を用意しておきました。
30年以上前に出た「現代科学と東洋思想」、1979年のコルドバ国際シンポジウムの続きとして日本の筑波で開催されたシンポジウムの記録の一部です。先日の身体知サロンで思い出したのです。
そこに収録されている湯浅泰雄さんの「東洋的心身論」を読むつもりだったのですが、昨日は自宅でそれを読みました。
湯浅さんは、身体と心の中間的性格をそなえた無意識的準身体ともいうべき第3の組織、〈気〉が構成する経絡システムを提唱している方です。久しぶりに、超心理学とか超物理学の話などを思い出しました。それで関連した本を探し出して少し読み直しました。まあそれで病院に行くのをやめたともいえるのですが。
おかげで、自分の身体を題材にして、いろいろと考えることができました。

人間の心身は実に面白い。足を滑らせたおかげで、湯浅さんの論考への親近感が高まりました。
昨日は実に幸せな気分でした。

しかし、今朝はまた痛みが戻ってきた。
痛みだけではなく、いろんな違和感も意識するようになってしまった。
やはり病院に行かなかったのは、判断ミスでした。
みなさんのアドバイスに素直に応じなくて申し訳ありませんでした。
天邪鬼の性格の悪さは、なかなか素直になりません。
困ったものです。

今日は湯島でサロンです。

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2020/11/27

■湯島サロン「日本の聖母信仰を通して日常生活と神道の関わりを考える」のご案内

日本の神道における「聖母信仰」をご存知でしょうか。
聖母信仰と言えば、キリスト教のマリア信仰を思いだいますが、日本でも神功皇后を対象にした聖母信仰が古来あるそうです。
ちなみに、この場合の「聖母」は「せいぼ」ではなく「しょうも」と呼ぶそうです。

最近知り合った本間浩さんから、この「聖母信仰」の話を聞きました。
私は全く知らなかったのですが、そういえば、明治時代生まれの母が、神功皇后のことを話していたことを思い出しました。
神道というのは、生活に沁み込んでいて、あまり意識できないのですが、聖母信仰からはいれば、これまでとは違ったものが見えてくるかもしれません。
それで本間さんにサロンをお願いしました。

本間さんは日本でも数少ない、神道における聖母信仰を研究しているのだそうです。
大学の卒論テーマはデカルトだったそうですが、なぜか大学院では神道学の博士号を取得。実際に神主もやっていた時期もあるそうですが、そのあたりの話もとても興味があります。

今回は、そんな本間さんに、日本の聖母(しょうも)信仰を通じて、日常生活と神道のかかわりをお話ししていただこうと思います。
新しい年の迎え方が変わるかもしれません。
皆さんのご参加をお待ちしています。

〇日時:2020年12月20日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ    
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「日本の聖母信仰を通して日常生活と神道のかかわりを考える」
〇話題提供者:本間浩さん(神道学博士/日本の聖母研究者)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■節子への挽歌4828:病院はやめました

節子

病院に行く予定で準備していたのですが、さて行こうと思ったら、なんだか痛みがほぼ消えてしまい、やめようかどうかと迷っているうちに、まあ行かなくてもいいか、ということになりました。
ユカは車で送るので行こうといいますが、まあ寒いし、自宅で安静にしているのが一番いいと説得し、しぶしぶあきらめさせました。
フェイスブックにどう書き込もうかと悩みます。
みんなの期待を裏切ることになりますし。
ちょっと大げさに書いてしまったかなと後ろめたさもあります。

決して嘘は書いていないのです。
背中を階段の角にぶつけ、声が出なかったのと、かなりの痛さもありました。
そのうちに呼吸をすると痛みが走り、これはまた骨にひびを入れたなと思ったのです。
昨夜も痛く、根狩りを打つのもつらかったのです。
ですから朝起きた時には、病院に行こうと思っていたのです。
9時に行く予定で、ユカには用意してもらっていましたが、その時に、あれ、痛みが軽くなっているなと気が付いたのです。
様子を見ていたのですが、だんだん痛みを感じなくなってきました。

もう大丈夫でしょう。
我ながら不思議ですが。

といっても、フェイスブックでたくさんの人から病院コールをもらってしまい、たぶん病院に行くと答えてしまったので、直りましたとは言いにくい。
困ったものです。
様子を見て、午後にまた痛みが出たら病院に行こうとも思っていましたが、なぜか痛みが戻ってこない。
まあ動かないでいるからでもありますが、私の身体もまだまだ大丈夫そうです。

病院には行きませんが、今日は安静状態を維持し、読書とテレビで過ごそうと思います。
寒い日でもありますし。

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■節子への挽歌4827:階段事故の痛みは大丈夫そうですが

節子

昨日は階段から足を滑らせて転倒してしまったのですが、そのことをフェイスブックに書いたら、20人を超す人がコメントを書き込んでくれました。
そのなかには20年来会っていない人の書き込みもありました。
こういうところがフェイスブックの面白いところです。

残念ながら節子の書き込みはありませんでした。
まだ彼岸と此岸の交流技術は開発されていないから仕方がありませんが、間違って混入することがあるかもしれないといつも思っています。

そういえば、節子に会った頃だったと思いますが、そんなショートショートを書いて、SFマガジンに投稿したことがありました。そのお礼に「高い城の男」が送られてきたのをお思い出しました。
あの頃は、私はSFマガジンの愛読者でしたが、当時のSFの世界と現実は、私の中ではそう乖離していませんでした。
ですから節子は私と付き合うのは大変だったかもしれません。
いまも娘からは、お父さんと付き合うのは大変だと言われています。

昨日、背中を打ってからの痛みは幸いにひどくなりませんでした。
昨夜はゆっくりとお風呂に入り、身体を温めてそのまますぐ寝てしまいました。
最近は倉庫状態の寝室なので、ベッドも実はあまり快適ではないのですが、それでもよく眠れて、今朝も痛みはひどくはなっていません。

フェイスブックのコメントは、早く病院に行った方がいいと言うアドバイスばかりなのですが、もっとうるさいのは同居している娘で、夜中に救急車など呼ばないよときつく言われています。
まあ私の場合、自己治癒力を信じているので、これしきの事では病院に行きたくはないのですが、高齢のこともあり大事をとらないと迷惑をかけかねません。
まあ今日は病院に行こうかと思っていますが、外が明るくなるにつれて、まあいいか、という気分がまた出てきてしまいました。

さてさてどうする。
困ったものです。

 

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2020/11/26

■節子への挽歌4826:3か月かかった家のリフォームが終わりました

節子

今日はガス工事が大変でした。
朝の9時から始まり夕方5時半までの大工事で、その間、わが家の前の道路は通行禁止でした。
でもまあ、これで大きな工事は終わりました。
後はインターネットのルーターを2階につなぐ工事とエアコン工事です。
いずれも来月上旬には終わる予定です。

わが家は袋小路の突き当りにあります。
ですから、隣家の人も今日は自動車が使えませんでした。
まさかこんなに長くかかるとは思っていなかったので、みなさんには大変な迷惑をかけてしまいました。

リフォームにほぼ3か月かかったわけです。
年内には次女家族と同居になり、来年からは新しい生活が始まります。
残された1か月で、新しい生活環境を整えなければいけません。

節子と暮らしたこの家も、大きく変わってしまいますが、新しい家にも節子はしっかりと根付いてほしいです。

 

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■節子への挽歌4825:階段で滑ってしまいました

節子、大変です。
階段で滑って転倒してしまい、背中を強く階段の角にぶつけてしまいました。
今日は寒かったので自宅でも靴下をはいていることがあるのですが、そのため滑りやすいのです。
いつもはきちんと手すりを持つのですが、リフォームのため荷物が階段に仮置きされていて、それをよけようとして滑ってしまいました。

幸いに頭はどこにもぶつけませんでしたが、背中を強く打ったようで、たぶん骨にひびが入ったのでしょう。
痛みがあります。気のせいか、頭の後部に熱も感じます。
すぐに病院にと思ったのですが、何か大ごとになりそうで、様子を見ることにしました。
こういう判断が多分さらに大ごとに向かわせるのでしょう。
まあここは「賭け」というしかありません。

困ったものです。
土曜日のサロンがちょっと心配です。

 

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2020/11/25

■節子への挽歌4824:同居家族のありがたさ

節子

節子の友人の野路さんから、いまも毎年、リンゴが送られてきます。
野路さんは、階段からの転落で一時記憶を喪失し、そのために認知力が低下してしまいました。しっかり者だと節子がいつも感心していた野路さんも、それ以来、家族に支えられないといけなくなってしまいました。
リンゴを毎年贈ってきてくれるのも、いまは夫の野路さんからです。

節子は野路さん夫婦とは何回か、旅行にも行っていますが、私は野路夫妻に会ったのは一度だけです。
電話では何回かお話ししていますが、夫婦おふたりの生活の中で、妻が具合が悪くなった時の夫の精神面での大変さはわかるような気がします。
毎年、リンゴのお礼を電話でするのですが、幸せそうな気配を感じながらも、大変さも伝わってきました。

ところが今年は何回電話をかけても電話に出ないのです。
そういえば、先週は佐々木さんも同じでした。
電話に出ないとますます気になってしまいます。
電話をかけだしてから3日目の昨日、それも何回かの電話の後、ようやくつながりました。しかし電話に出たのは同居していないはずの娘さんでした。

娘さんとも、節子の葬儀の時に一度だけお会いしています。
電話に出られなかったので気になっていたとお伝えすると、父は入院しているので、と答えが返ってきました。
脳梗塞で、いま検査入院なのだそうです。
初耳でしたが、脳梗塞になったのは昨年だったそうです。
幸いに軽かったようですが、今回は検査入院で、そのために娘さんが母親のケアのために戻ってきていると言います。
両親のケアは大変でしょう。お仕事もされているのではないかと思いますが、単身での両親宅への転居というわけです。

歳をとるということはこういうことなのでしょう。
娘がいれば幸いですが、仮にそうだとしても、娘にも自分の暮らしがある。
もともと同居していれば対応しやすいですが、別々に、しかも離れたところに住んでいると、親だからと言っても、そう簡単にケアはできません。
最悪の場合は、双方の家族が壊れかねない。
家族が逆にあだになることもあるでしょう。

幸いに私は娘たちと同居できることになりました。
同居は同居でまた、気苦労も大変さもあるでしょうが、娘たちに感謝しなければいけません。
親不孝になることを避けられる娘たちにとっても同居は長い目で見たら幸せのはずです。
いやお互いに幸せになるような同居にしなければいけません。

さてさてうまくいくといいのですが。

 

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■節子への挽歌4823:死んだように静かな朝

節子

寒い雨の朝です。
日の出も見えません。
死んだように静かな朝。
前にもこんな朝がありました。一度ならず。
でもあの頃は、隣に節子がいました。
いまもいるのでしょうが、抱きしめて実感することができない。
ただただ寂しさに飲みつくされそうな、静かな朝です。

気持ちと世界は、いつも連動しています。
昨日、ちょっと自分の気持ちを抑えきれずに、ちょっと娘にあたってしまいました。
それですっかり気持ちが突き落とされた。
いつになってもわがままさはなおりません。

節子がいたら、諌めてくれたでしょう。
でもそう思うことこそが、わがままかもしれません。
困ったものです。

昨日、会社時代の夢を見ました。
社長に呼ばれて、社長室に会いに行く夢です。
社長に会う直前で目が覚めました。
あれは何を意味していたのでしょうか。
昔のことを思い出すのは、私には好みではないはずなのですが。

 

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2020/11/24

■節子への挽歌4822:生きるのは死を迎えるため

節子

一昨日、遺伝子技術をテーマにしたサロンをやりましたが、私の関心事の一つは合成生物学です。
原理的には、今ではもう無機物から遺伝子は創りだせるようです。
毎日新聞の科学部記者の須田桃子さんの書いた「合成生物学の衝撃」は、まさに衝撃的な本でした。
それによれば不老不死も夢ではないようです。

しかし人間が不老不死になったら、生きる意味もなくなってしまうような気もします。
生きるのは死を迎えるためだと言うとあまりに負け惜しみ的に感じますが、最近、それこそが真実ではないかと思うようになってきました。
であれば、死に方がとても重要になってきます。

節子は、私よりもいい死に方だったのは間違いありません。
なぜなら私に見送られたのですから。
いまの私にも見送る人はいるでしょうが、節子ほど共に生きた人はいませんから、節子ほどいい死に方はできないでしょう。
節子とは比べようもありませんが、今ならまだそれなりにいい死に方ができるかもしれません。
しかし、だからと言って、そう簡単に死ねるわけでもありません。
やはり死は、お天道様の裁きに従わなければいけません。

明日もまたいい死に方を目指して、いい生き方を目指そうと思います。

今日は寒い1日でした。

 

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■湯島サロン「遺伝子技術の話~遺伝子検査を切り口にして」報告

長年、遺伝子検査に取り組んできた山森俊治さん(遺伝子と詩吟を愛する理学博士)にお願いした「遺伝子技術の話」のサロンは、テーマの敷居が高かったせいか、参加者は7人だったのですが、そのおかげで、ゆっくりとお話しできるサロンになりました。
そのうえ、山森さんは、私のような素人の無知な質問にもていねいに答えてくださり、私にとってはこれまでの疑問が解けることの多いサロンになりました。
テーマの敷居は高くても、質問の敷居は低かったのです。湯島のサロンでは、この姿勢を大切にしていきたいと思っていますので、難しいテーマでも気楽にご参加ください。

山森さんは、最初に「正しい知識をもっていないと間違った判断をしかねないが、日本ではとりわけ科学に関する一般的な知識の普及が遅れていると感じている」とお話になりました。まったく同感です。

サロンでは最初に、遺伝子の構造や特徴など基礎的なことを説明してくださった後、遺伝情報の流れや遺伝子検査の説明、感染症やDNA鑑定、いま話題のPCR検査などを質問を受けながらお話ししてくださいました。
山森さんは、詳しい資料も作成してきてくださいました。山森さんのご好意で、その資料は下記のサイトでダウンロードできますので、ぜひお読みください。
https://1drv.ms/u/s!AvyPyx3M6qfRgf57Lxja1Mhfux6Gtg?e=5beVZg
(資料の内容および取扱いに関しては報告の最後をご覧ください)
サロンでの山森さんのお話の紹介は、資料にゆだねたいと思います。

「ゲノム編集」や生命倫理の話も準備してくださっていたのですが、何しろ参加者からの質問も多かったので、そこまでたどり着けませんでした。
そこで、ゲノム編集や生命倫理の話は、年明け後にパート2としてまた山森さんにサロンをしてもらうことになりました。
私の一番の関心事は、人間が無機物から人間を創り出せるか、ということなのですが、この話は山森サロンパート2に持ち越されました。

話し合いもいろいろと考えさせられることが多かったです。
特に山森さんが最初に話された、「日本ではとりわけ科学に関する一般的な知識の普及が遅れている」という言葉が私には強く残りました。
実は30年前に会社を辞めた時に、数名の友人たちとその企画に取り組んでいたのですが、結果的にはもう一つの道を歩んでしまい、取りかかれずに終わりました。
来年は、その方向でのサロンにも力をいれていければと思います。

山森さんはサイエンスカフェの活動もされていますが、できれば湯島でもそうした継続的なカフェを開催したいと思います。
サロンと違って、それならZOOMスタイルも可能かもしれません。

私には実に刺激的なサロンでした。
パート2の日程が決まったらご案内させてもらいます。

*サロン当日の配布資料
https://1drv.ms/u/s!AvyPyx3M6qfRgf57Lxja1Mhfux6Gtg?e=5beVZg
①遺伝子検査の基礎(ゲノム編集のスライドも入っています)
②ゲノム編集 補足資料
③遺伝子検査(遺伝子多型関連)補足資料 
*なお、図表などの出典を記載していませんので、著作権の関係もあり、ご自身どまりにしてください。

Yamamori20201122

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■湯島サロン「自分の言葉で語る 身体から語る 身体と語る」報告

川端修平さんの身体知サロンには17人が参加しました。

Rebalance20201121

修平さんは、自分の体験から話し出し、参加者の一人が指摘したように、肌感覚の言葉で語ってくれました。
まずは体験ということで、修平さんが最近学んでいる「三軸調整によるリバランシング」のワークを全員で行いました。三軸というのは、身体の左右の捻れ、左右の傾き、前後の屈折を支える身体の基軸のことです。
修平さんのガイドのもとに、各自それぞれの身体軸のバランスをチェックし、軸の偏りを確認し、それを正す簡単なボディワークをしました。

ワーク前後で、たとえば立っている感覚に違いができたかどうかを問われました。
またボディワーク前後に、各自短い瞑想も行ったのですが、そこで感ずる違いも問われました。
「地に足がしっかりとついている感じが高まった」とか「身体が動きやすくなった」とか、いろいろ反応がありました。私も足の裏の感覚が高まりました。

身体がゆるやかになると、心や思考も解放されるのかもしれません。その後の話は、いつも以上に活発で、修平さんが想定していたのとは違った方向に飛んでいってしまったかもしれません。

私は、最近の若い世代が「身体知」に関心を強めているような気配を感じていますが、そう話したら、若い世代の参加者から、スマホとにらみあっている人が多いからそんなことはないと反論されました。
私は、スマホに向かって忙しく指を動かしている若者に、身体知への渇望を感じているのですが、残念ながら賛同は得られませんでした。
多くの人は、最近の若い世代は「言語〈文字〉知」の世界に浸っていると捉えているようです。しかし、身体知よりも言語(文字)知に傾いているのは私たち世代のほうではないかと私はサロンを通じていつも思っています。
身体知と言語知とでは、世界が違っていて、なかなか分かり合えないのかもしれません。

コミュニケーションも話題になりました。
若い参加者から、言葉の定義もしないで議論しているので話がかみ合っていないと指摘されましたが、まさにその通りで、進行役としては大いに反省しました。
コミュニケーションから信頼の問題になり、さらには生き方を他者に示唆することの是非まで話は進みました。
ここでも「身体知」と「言語知」の世界の違いを思い知らされましたが、言語知によるコミュニケーションは実に難しいことも改めて実感しました。

いずれにしろ、身体としっかりと付き合うことを私たちはいささかおろそかにしているような気がします。リバランシングワークは、それを気づかせてくれました。
不登校気味の息子を持つ母親からの発言に、改めてそのことを感じました。
彼女からその後の報告をいつか聞きたいです。

乗馬をやっている女性から、馬に乗ると自分の身体を自覚できるという話がありました。
私たちは、本来、いつも自分の身体と会話しているはずですが、あまりに言語知に縛られていているために、それを忘れがちなのかもしれません。
時に意識的に身体を意識し、身体と語り、身体から語ることがいいのかもしれません。
リバランスできれば、軽やかに歩けるようになる、つまり軽やかに生きられるようになると、修平さんは話してくれました。私たちはもっと身体を知る必要がありそうです。

コミュニケーションや信頼に関する議論につながりますが、言語(文字)や行為は嘘をつけますが、身体や存在は嘘をつけません。ですから、身体知で生きていると、すべてが信頼でき、実に生きやすくなる、というのが私の体験です。無理にコミュニケーションしようと思う必要もなくなります。

身体と意識のつながりや関係の話もありました。
そこから西洋科学(身心二元論)と東洋思想(心身論)の話も出ました。
この話はいつか取り上げたいテーマです。

リバランシングワークによって、修平さんは自分が変わったと話してくれましたが、修平さんの近くに座っていた参加者も、半年前の修平さんとは違う感じだと言っていました。彼の世界は今、大きく変わりつつあるのかもしれません。

修平さんはいま、リバランス・マッサージに取り組んでいるそうです。
施術もしているようですので、興味ある方は一度、修平さんのマッサージを受けてみるのもいいかもしれません。
みんながバランスを取り戻せば、社会もまたリバランスできるかもしれません。
改めて、そんなことを考えさせられたサロンでした。

 

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2020/11/23

■節子への挽歌4821:節子は旅行好きでした

節子

まったく意識になかったのですが、今日は三連休の最終日でした。
テレビのニュースで京都や箱根の混雑状況が報道されていました。
京都の渡月橋はすごい人でしたし、箱根湯本も大混雑です。
これでは新型コロナ感染者が増えても仕方がないでしょう。
こういう映像を見ていると、日本人はもはや完全に餌付けされたように思えてなりません。お金という餌にすっかりと飼い馴らされた。

しかしもし節子がいたらたぶん私たちも出かけていたことでしょう。
Go Toトラベルがなくても、そしてどんなにコロナ感染者が増えていようと、間違いなく箱根には行っていたでしょう。
節子が元気だったころは、この時期には毎年箱根に入っていましたし、そもそもコロナ感染者のような動きに影響されるような生き方を、私たちはしていませんでしたから。

節子は、私と違って旅行好きでした。
私は旅行好きというよりも、節子と一緒の旅が好きだっただけですので、節子がいない今は旅行にはほとんど行かなくなりました。

リフォームで出てきたたくさんのアルバムには、節子の旅行の写真がたくさんあります。
そのほとんどは家族と一緒の旅行ですが、よくまあこんなにたくさんのアルバムをのこしたものかと驚きます。
特に胃がんになってからは、ともかく思い出を残しておくのだと言って、私や娘たちを誘って小旅行をしました。
私もよく付き合いました。
再発するまでの話ですが。

旅行好きが高じてしまい、一足先に彼岸に旅立ってしまった。
そう考えると、心が少しやすまります。
私が彼岸に行ったら、いろんなところを案内してくれるでしょう。

今年はとうとう箱根に一度も行きませんでした。
節子はきっと残念がっている事でしょう。
私が行かなかったということは、節子もいけなかったということですから。
年が明けたら一度行こうと思います。

 

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■節子への挽歌4820:「久しい寿の家」

節子

今日、久しぶりに以前住んでいたところを車で回ってきました。
用事があって車で娘と一緒に近くを通ったのですが、何か懐かしくなって、娘に頼んで以前住んでいた地域をゆっくりと車で一回りしてもらったのです。
家並みはだいぶ変わっていましたが、当時もお付き合いのあった家の表札が変わっていないところもいくつかありました。
私よりも年長のKさんの家は、まえと同じでしたし、私の友人の家もそのままでした。
近くの商店は半分以上が閉鎖していましたが、昔からあった栃木屋さんはいまもまだがんばっています。

ここに住んでいた頃は私はまだ会社勤めしていたり会社を辞めても毎日仕事で出かけていたことが多かったりで、あまり地域の思い出はないのですが、節子はここでもいろいろとやっていたのは覚えています。
私はその手伝いを時にさせられたこともあります。
私と違って、節子にとっては、ここでの生活が長かったのです。

この地域は我孫子市久寺家というところですが、久寺家は昔は「久しい寿の家」とも書いたようです。というのは、そこにあるお寺の宝蔵院の本堂に古い表札のようなものがあり、そこにそう表記されていました。
節子の法事はいつもそのお寺でさせてもらっているのですが、ご住職の読経の間、私はいつもその文字が気になって見入っています。

「久しい寿の家」。
節子は、しかしここがあまり好きではなかったのです。
それで転居しようとしたのですが、苦労して転居先を神奈川県に探したにもかかわらず、いざとなったらやはり我孫子にいたいと言い出し、我孫子市内の今の家のあるところを自分で探してきたのです。
そして、張り切って家を建てたのに、転居後、胃がんが発見されてしまった。
久しい寿をもたらしてくれる久寺家から転居したのがいけなかったのでしょうか。

ちなみに久寺家のわが家は、傾斜地の一番下の大通り沿いでした。
節子はそれもあまり好きではなかったはずです。
新しいいまの家は高台です。
坂の下と坂の上とでは風景が全く違います。

節子はいまの家が気に入っていたはずですが、それを楽しむ間もなく逝ってしまったのです。
久しぶりに久寺家を回って、ちょっと昔のことを思い出してしまいました。

 

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■節子への挽歌4819:雲ひとつない空です

節子

今朝の日の出もきれいでした。
うっかり真正面から日の出を見ていたために、目がやられてしまい、うまくパソコンができません。

自治会の新役員をお願いする人に、私から了解を得ることにしました。
メールでつながっている人には早速昨日連絡したのですが、みんな好意的に受け入れてくれました。
今日はメールでは連絡が取れない3人の人に電話しようと思います。
なにやら新しい動きが出るかもしれませんので、ちょっとうれしいですが、いささかの不安はあります。まあそれがいいのですが。

今週はリフォーム後の室内整理にいよいよ取り組む予定です。
年内に新しい生活スタイルが落ち着くといいのですが。

今朝の日の出がとても気持ちのいい感じなので、今日もいい日になるでしょう。
空には雲もなく快晴です。

 

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2020/11/22

■節子への挽歌4818:善意につつまれて幸せになりました

節子

今日は遺伝子技術50年の専門家の山森さんに「遺伝子技術の話」のサロンをしてもらいました。
これまでわかったようでわからなかった遺伝子のことが少し感覚的に理解できたような気がします。
言葉としてはそれなりに理解できていたつもりでも、実際にはほとんどわかっていないのが遺伝子の世界ですが、要するに基本が理解できていないのです。

そもそも遺伝子などという目には見えないはずのミクロの世界をどうやって認識するのかから私には理解できません。
目に見えないものをどうやって操作するのか。
そんな「幼児並み」の質問も、山森さんは受け付けてくれたので、いろいろと質問させてもらいましたがそのためサロンがなかなか進まず、結局、山森さんが準備してくださった内容の半分で時間切れ、そのおかげで、山森さんにもう一度、サロンをお願いすることになりました。それも引き受けてもらえました。

山森さんは、参加者用にぶ厚いレジメと資料集を参加者のために作ってきてくれました。そのうえ、参加費まで入れていってくれました。
湯島のサロンは一応ワンコイン(500円)会費をお願いしていますが、話をしてくださる、いわゆる講師役の人も会費を入れていってくれることが少なくないのです。
むしろ参加者の方は忘れる人も少なくないのですが、サロンではみんな対等という考えが浸透しているようで、私にはそれもとてもうれしいのです。

ちなみに山森さんは以前一度サロンに参加してくださって以来、しばらくお会いしていなかったのですが、ひさしぶりにまたサロンに参加してくれたので軽い気持ちでサロンをお願いしたのです。まさかこんなにご迷惑をおかけするとは思ってもいませんでした。

昨日のサロンで、世の中の人はみんないい人ばかりだというような発言をして、ちょっと冷笑を感じたような気がしましたが、やはり私の考えは正しかったと思えるような1日でした。
世の中は「善意」で満ち溢れています。

今日は、他にも善意を実感させてもらえることがありました。
いい1日でした。
お天道様に感謝です。

 

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■新型コロナウイルスへの感謝

新型コロナの第3波到来という報道がテレビをまた覆いだしました。
生活スタイルの指導はますます強まっています。
その一方で、お金をばらまいての旅行や外食が勧められています。
おかしな状況ですが、そうしたダブルバインドにも、みんな違和感を持ちながらも否定せずに従順に生きられるようになってきているようです。
矛盾したルールに従って生きるのが「大人」なのかもしれません。

私が住んでいる我孫子でも毎日感染者の発表がされていますが、昨日現在で130人でした。13万人の人口で130人ですから、どうでもいい話のような水準ですが、毎日、数名ずつ増えるデータに接していると、もしかしたら新型コロナウイルス感染症が自分にも及んでくるかもしれないという気にさせられます。

しかし冷静に考えれば、それはばかげた話です。
もっと現実性のあるリスクは、他にも山のようにあるはずですから。
むしろそのリスクが見えなくなっていることを恐れたほうがいいでしょう。

もっといやなのは、Go Toキャンペーンの話です。
これは「小銭持ちのお金持ち」優遇施策であることは間違いありません。
旅行やちょっと贅沢な外食とは縁遠い生活をしている人にとっては、たぶん腹立たしい話でしょう。
キャンペーンでこんなに節約できたなどという話を聞かされると私の場合は蹴飛ばしたくなるほどの違和感をもってしまいます。
しかし、そうした話に接していると、何やらキャンペーンを利用しないと損をしたような気になってきて、利用したくなってくる。自らの弱さというか、いやしさを思い知らされて、ますますいやな気分になってしまうのです。

コロナのおかげで、自分のいやしさに思い知らされています。
これで少しは私の性格もよくなればいいのですが。

 

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■節子への挽歌4817:知識の挑発

節子

昨日のサロンは20歳の大学生による「身体知」の話でしたが、15人ほどの人が参加しました。
若者が話をするサロンにはなぜか多くの人が参加します。
このこと自体が面白いですが、話し手が自分より若いと話しやすいのかもしれません。

サロンは、参加者全員で三軸調整によるリバランシングを体験するなど、とてもいいサロンでした。
ただ私にとってはまた、終了後大きく落ち込んでしまうサロンになってしまいました。
時々やってしまうのですが、感情に任せて話し過ぎたのです。
節子がいたら、終了後、厳しく指摘されたことでしょう。

私が感情に負ける理由は2つあります。
「知識の挑発」と「権威への依存」ですが、今回は「知識の挑発」でした。

湯島のサロンは、一人称自動詞で、自分の言葉で話すのを基本としています。
ところが時々、知識ベースで話をしはじめる人がいるのです。
そういう話を聞いていると、次第にイライラしてきて、時々、爆発して、私自身が知ったかぶり知識の披歴をしてしまうのです。
まあそれなら相手と同じ程度なのですが、「挑発」にのって過剰反応し、かなり不正確に強調してしまい、ついでに断定してしまうのです。ですから話し終わってしばらくすると、自己嫌悪に陥ってしまうわけです。

昨日もまさにそうでした。
参加者の一人が、社会構成主義の「関係論」の話から近代科学と東洋思想の話を始めたのですが、素直に聞いていれば、参加者にもたぶんいい話だったのでしょうが、こらえ性もなくそこで私は挑発に乗って過剰反応してしまいました。
今さら社会構成主義でもないし、東洋と西洋の科学の対話は50年ほど前にコルドバで再開され、その続きは日本のつくばでも行われ、私もそのシンポジウムには参加したなどと言ってしまったのです。
いやはや困ったものです。

もうそろそろ「挑発」にも感謝できるようになりたいのですが、これが難しい。
今日もまたサロンですが、今日は知識ベースの「遺伝子技術」のサロンですので、逆に「知識の挑発」は受けずに済むでしょう。
ただテーマが敷居を高くしてしまったせいで、参加者が少ないのが残念です。

「知識」との付き合いは難しいです。

 

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■節子への挽歌4816:前の自治会会長の記憶がなくなっていた理由

節子

また自治会の会長を引き受けることにしました。
15年に一回、自治会会長役を私たちの班が引き受けることになっているのですが、来年がその年です。
以前、この班が新たにできたときに、私が引き受けさせてもらった関係で、今回も私のところに相談が回ってきたのです。
それで以前の会長役はどんな内容だったかの資料を古いパソコンから見つけ出しました。
幸いにいまわが家には以前使ったパソコンが5台ほど廃棄準備で出てきていたのです。

データは見つかりましたが、それとともに忘れていたことも思い出しました。
会長を引き受けたその年の秋に、節子のがんが再発し、最後の3か月ほど私自身ほとんど会長役ができなかったのです。
辛い1年だったので、いろんな意味で記憶が飛んでしまっていたのです。
だから逆に今回も気楽に引き受けられたのかもしれません。

でもまあ、引き受けた以上は今回ももう戻れません。
いささかの不安が生じてきましたが、人生とはそんなものでしょう。
それに私たちの班はみんないい人ばかりなので、楽しい活動になるはずです。
もし私が途中で死んだら、副会長役の大西さんが引き継いでくれると言っていますし。

 

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2020/11/21

■節子への挽歌4816:前の自治会会長の記憶がなくなっていた理由

節子

また自治会の会長を引き受けることにしました。
15年に一回、自治会会長役を私たちの班が引き受けることになっているのですが、来年がその年です。
以前、この班が新たにできたときに、私が引き受けさせてもらった関係で、今回も私のところに相談が回ってきたのです。
それで以前の会長役はどんな内容だったかの資料を古いパソコンから見つけ出しました。
幸いにいまわが家には以前使ったパソコンが5台ほど廃棄準備で出てきていたのです。

データは見つかりましたが、それとともに忘れていたことも思い出しました。
会長を引き受けたその年の秋に、節子のがんが再発し、最後の3か月ほど私自身ほとんど会長役ができなかったのです。
辛い1年だったので、いろんな意味で記憶が飛んでしまっていたのです。
だから逆に今回も気楽に引き受けられたのかもしれません。

でもまあ、引き受けた以上は今回ももう戻れません。
いささかの不安が生じてきましたが、人生とはそんなものでしょう。
それに私たちの班はみんないい人ばかりなので、楽しい活動になるはずです。
もし私が途中で死んだら、副会長役の大西さんが引き継いでくれると言っていますし。

 

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■節子への挽歌4815:誰かの幸せは私の幸せ

節子

今日も朝焼けがきれいです。
この週末は連続でサロンです。
しかも今日のサロンは、参加申し込みがすでに13人。ちょっと危険な三密です。
でもまあ、今朝の日の出はきれいだったので大丈夫でしょう。

今日のサロンで話をする20歳の若者から、昨夜、これから親父と飲みに行きますとメールが届きました。
うれしいメールでしたが、今朝、パソコンを開いたら、二日酔いで今日は遅刻するかもしれませんと、またメールが入っていました。
親子のいい会話が行われたのでしょう。
さらにうれしい。今日はいいサロンになるでしょう。

誰かの幸せは私の幸せ。
そういう生活がしたいといつも思っていますが、これが結構難しい。
ねたみや怒りで、他者の幸せに喜べない自分に時々気がつきます。
それに気づくとさらにいやな気持になってしまい、時に落ち込みますが、友人の幸せには素直に喜べます。
だからすべての人を友人と思えればいいのですが、そうもいかない。

いつになったらそうなれるのでしょうか。

 

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2020/11/20

■緊急サロン「日本茶会運動の呼びかけ」のご案内

アメリカの大統領選挙に絡んで、最近の日本の政治状況に違和感を持っているという記事をフェイスブックに投稿したら、福岡市在住の玉井さんから、私の嘆きを少し和らげるために、湯島でサロンをしてもいいという申し出がありました。
うれしいお申し出なので、なにわともあれ、サロンを企画させてもらいました。

タイトルは「日本茶会運動のよびかけ」です。
かつてのティパーティをもじったものでしょうが、ここでの「TEA」は「Tax Enough Already:税金はもう沢山!」という意味だそうです。
もちろん日本の茶会を踏まえての命名です。

玉井さんはもともと都市・地域計画がご専門ですが、82日間バックパッカー世界一周一人旅を成し遂げたり、福岡市の市役所職員からN Yで働いたり、市議会議員になったり、海外の大学で教鞭をとったり、そうかと思うと、福岡県中小企業家同友会で金融問題に取り組んだりと、ともかくエネルギッシュな人なのです。
ちなみに、いま打ち込んでいるのは「神楽と居合」だそうです。
まあこれだけでも、玉井さんに会ってみたくなるでしょうが、今回は「日本茶会運動」の呼びかけが中心です。

玉井さんのメッセージをお伝えします。

金と愛情どちらが大事と聞いたら、だれでも、愛情と答える。なのに、金が支配している世の中になってしまっている。愛情、情がどうして、金という概念(フィクション)の下にいなきゃいけないのか? それを考えてほしい。

とても納得できる問いです。
玉井さんが求めるのは、お金ではなく、美、心、恩、慈悲。その前提となるのは「無私」。
これもとても共感できます。

玉井さんは、日本の歴史を振り返ると、最も節度の有る美を創り出しているのは、利休の時代だといいます。その時代精神に戻る運動が、「茶会運動」なのです。

さてどんな話し合いになり、そこからどんな活動が生まれだすか。
平日の午後ですが、ぜひたくさんの人に参加していただきたいと思っています。
社会の流れを変えるには、動き出さなければいけません。

〇日時:2020年12月1日(火曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「日本茶会運動の呼びかけ」
〇問題提起者:玉井輝大さん(哲学し行動する都市・地域計画家)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■節子への挽歌4814:在宅でもいろいろとありました

節子

今日は1日、強い風が吹いていました。
風の音がずっと響いていました。
わが家は風の道に当たっているので、風はいつも強く感じられるのです。

新潟の金田さんから電話がありました。
新潟は雨だそうです。
新潟でもコロナが広がっていて、最近はあまり外出できなくなっているようで、行動派の金田さんはたぶん時間を持て余しているのでしょう。
お元気そうでしたが、なかなか東京に出てこられないので、ちょっと気分がうっせきしているようでした。

福岡の玉井さんが121日に東京に来るので、サロンをお願いしていたのですが、そこで話したいという内容が届きました。
日本茶会運動の呼びかけをしてくれるようです。
茶会の「TEA」は「Tax Enough Already:税金はもう沢山!」の略だそうです。
玉井さんは、私がフェイスブックに、日本の政治は国民からどんどん離れてしまっているようだと書いた記事を読んで、私の気持ちを和らげるためにサロンを申し出てくれたのです。うれしい話です。

いささか衝撃的だったのは、サロンに時々参加してくれているOさんがPCR検査で陽性になったので当分サロンはお休みするという連絡があったことです。
Oさんは先週のサロンには参加していないのでよかったのですが、もし参加していたら、私も追跡調査の一人になっていた可能性があります。

在宅でも、いろいろとあります。
しかし在宅だったおかげで、片づけは少し進みました。
リビングもようやく足の踏み場ができてきました。

まだ空の怒りは収まっていないようで、風がうなっています。

 

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■節子への挽歌4813:リベラルな人

節子

犬や猫と話のできるTさんから、昨日、突然メールが来ました。
コロナ騒ぎ以来、お会いしていませんでした。
どうして思い出してくれたのかわかりませんが、とても簡単なメールです。

佐藤さま お元気ですか?

返信しました。

はい、元気です。
でも「こちらがわ」にはだんだん居場所もなくなってきていますし。
犬や猫は、最近なんといっていますか?
彼らはコロナをどう受け止めているか興味がありますね。

犬や猫の英知に学びたかったのですが、その返事はなく、代わりに私を元気づけるメッセージが届きました。

佐藤さんのようなリベラルな人がいちばん必要なときです。
彼岸は此岸で迎える側にいてください。

私は「リベラルな人」なのだと改めて自覚しました。

「リベラル」というのは、人によって全く違った受け止め方がされますので、私はほとんど使いませんが、Tさんに「リベラルな人」と言われると素直に受け入れられます。
彼女も、私の定義では極めて「リベラルな人」だからです。
何にも呪縛されずに、大きな世界を素直に生きている。

実は私の返信メールは、私のミスで肝心の1行が抜けていたのですが、そこに「そろそろ彼岸が近づいてきましたが」と書いていたはずですが、なぜかそこが抜け落ちたまま発信されていました。
にもかかわらず、彼女の返信には、「彼岸は此岸で迎える側にいてください」と書かれている。
彼女は霊能力が高く、私の感じでは彼岸と此岸を往来している人ですが、私が間違って消去してしまった文字までたぶん感じたのでしょう。

そのTさんから、「彼岸は此岸で迎える側にいてください」と言われてしまったら、残念ながらもうしばらくは此岸にとどまらないといけません。
困ったものですが。

 

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■節子への挽歌4812:朝焼け

節子

昨夜は何か疲れがどっと出てしまい、8時半に寝てしまいました。
そのおかげで、今朝は4時起床です。
風が強いですが、それ以上に気温が高い。
自然の怒りを感じます。

パソコンをやっていて、ふと気づいて窓の外を見ると朝焼けがきれいで、しばし見とれてしまっていました。
まだパソコンの位置が決まらず、いまは東側の窓の横に臨時にパソコンを置いているのです。

刻々と空の風景が変わります。
キリスト教徒が、ここに神の姿を見たのがわかる気がします。
陽が昇りだしました。
久しぶりに見る日の出です。

 Asa202011212

Asa202011203

 

 

 

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2020/11/19

■節子への挽歌4811:出刃包丁の思い出

節子

キッチン周りの物の整理をしていたら、出刃包丁が出てきました。
2つの意味で、節子との深い思い出のある包丁です。

そもそもこの包丁は、北九州市の収入役だった山下さんからもらったものです。
山下さんとは夫婦ともにいろいろと付き合わせてもらいましたが、たしか北九州市で開催された花のイベントに夫婦でお邪魔した時に、その1日、山下さん自らが案内をしてくださったことがあります。

その時に、なぜか別れ際に、この出刃包丁を私に下さったのです。
なんで出刃包丁なのかわからなかったのですが、たしか、佐藤さんもそろそろ料理をするようにしたらどうですか、というようなことを言われた気がします。
私が料理を全くしないことを山下さんはよくご存知でした。
まだ節子の胃がんが見つかっていない時のはずです。

その後、節子の胃がんが発見され、自分がいなくなったあとのことを心配して、節子が私に料理を教えようとしたことがあります。
その時に、この出刃包丁で魚をおろしたことを憶えています。
もちろんうまくいきませんでしたが、その後、エプロンまで買ってきてくれて、天ぷらなどを教えてくれた時の写真も、別のところから、これも偶然に出てきました。

残念ながら、この出刃包丁はその後、箱に戻されたまま、2度と使わらなかったようです。
それが奥の方から出てきたのです。
私には残念ながら使えません。
娘のどちらかが使ってくれるといいのですが、今時は出刃包丁など使うことはないでしょう。

ところで、その山下さんとも最近はご無沙汰です。
共通の友人がいるので、もし何かあれば連絡が来るはずですが、ないところから推測すれば、お元気で相変わらずの活動に取り組んでいる事でしょう。
私よりも少しだけ年上ですが、長年、登山で体を鍛えているので、私よりよほど元気なはずです。
しかしどうされているでしょうか。
今生では再会はかなわないかもしれませんが、まあ来世ではきっと会えるでしょう。

 

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■節子への挽歌4810:リフォーム工事が完了しました

節子

家の改装がほぼ終わり、2階での生活もまあ順調に始まりだしました。
まだなかなか慣れませんが。
2階のカーテンをすべて廃棄したので、いまはカーテンなしですので、外から丸見えです。ただし、お風呂は窓がないので、ビジネスホテルのようでいささか圧迫感があります。
今日、工事監督の弓削さんが来て、最終確認をし、正式に引き渡しを受けました。
大工の高津さんはじめ、10人を超える人たちが関わってくれましたが、みんなとてもいい人で、結果には満足しています。

改装対象の今の家を建てる時には、節子が主導しました。
家族もみんないろいろと口出しましたが、最後は節子が決めました。
ですから(というのもおかしいですが)奇妙で不思議なことも少なくありません。
奇妙なところに節子はこだわったからです。

たとえば洗濯機置き場にもかなり重装備のドアをつけました。
だから洗濯機を買い替える時にはドアを外しに来てもらわないといけないのです。
もっとも節子がこだわりながらも、節子の意見が結果として実現できなかったところもあります。それは節子の言い分が正しかったことは、その後の生活体験で確認されましたが、洗濯機置き場の前のドアだけはいただけません。
まあそういうところがあるおかげで、家族は節子のことを時々思い出すわけですが。

この2か月、なかなか落ち着かない毎日でしたが、これでようやく少し落ち着きます。
しかし物の片づけはむしろこれからです。
節子はあまりにいろんな物を残してくれました。
困ったものです。

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■第11回万葉集サロン「再びの人麿」のご案内(2020年11月19日)

升田さんの万葉集サロンも11回目を迎えます。
途中、番外編もありましたので、実際には12回目の万葉集サロンです。

これまで、万葉の歌を通して、日本列島に住んでいた人たちが、「人間」として覚醒していくのを追体験させてもらうと同時に、万葉歌の構造も学んできました。
今回は、少し立ち止まって、これまでの話を整理してもらうことになりました。
といっても、升田さんのことですから、また先に進むことでしょうが、できればみんなでそれを押しとどめて、万葉の世界の理解をそれぞれに深められればと思います。

そんなわけで、今回のタイトルは再びの人麿”です。
これまでのまとめとして、改めて柿本人麿に還ろうというわけです。
東歌を中心とした「歌(序詞等)+言」の構造をまとめた上で、人麿の霊の世界に還ってみようと升田さんは考えています。
升田さんからのメッセージです。

「歌(序詞等)+言」は、自己意識を持たない構造ですが、「た」と「わ」の関係無しには起こらない精神構造を背景に持つものでもあります。人麿の「近江荒都歌」を再びとりあげて、人麿歌が拓く自己意識と無意識(言葉の霊的世界)の形を見ながら、これまでのまとめをしたいと思います。

まとめの回ですので、これまで参加されなかった方にも、これを機会にぜひ参加していただければうれしいです。
初めて参加される方のために、升田さんに頼んで、最初の30分、これまで話題になった重要なキーワード、たとえば、「歌(序詞等)+言」、あるいは「た」と「わ」と「な」などについて、「誰にもわかる簡単な解説」をしてもらおうと思います。

東歌など、前回とのつながりも深いですので、今回新たに参加される方は、ご連絡いただければ前回の資料を事前にデータで送らせてもらいます。
年末のせわしい時期が近づきましたが、そんななか、ぜひ「万葉の世界」を楽しめればと思います。
気楽にご参加いただければうれしいです。

〇日時:2020年12月12日(土曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇テーマ:「再びの人麿」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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2020/11/18

■節子への挽歌4809:座卓での娘との食事生活

節子

2階での生活が始まりましたが、まだ荷物があふれている状況のうえに、新しい食卓もないため、リビングの座卓で食事をしています。
娘と並んで、座っての食事なのですが、なんだかちょっと不思議な気分です。

そう言えば、節子の闘病生活の最後のころもこんな感じだったかもしれません。
和室が節子が最期を過ごした部屋ですが、節子のベッドの隣の小さな空間に小さな座卓を運び込んで、いつも娘たちと4人で食事をしていました。
次女が明るい性格だったので、みんなを元気づけるように、時々、笑いをもたらしてくれましたが、いまから思えば、それぞれに寂しさや哀しさを抱えての食事だったのです。
節子も、みんなのために頑張って食事をしてくれましたが、あれがよかったのかどうかはわかりません。

いずれにしろ、節子がいなくなってから、みんなの生き方も変わってしまいました。
一番変わったのは私で、数年は生きていたのさえ覚えていません。
娘たちにも迷惑をかけたのでしょう。

自分の生き方を取り戻したのは3,4年前でした。
いや、いまだにまだ、取り戻していないのかもしれません。
生きている実感が、いまだにあまり持てませんから。

今日からまた少し書籍の整理を始めようと思います。

 

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■節子への挽歌4808:父親孝行のSさんがうらやましい

節子

また訃報のはがきが届く季節になりました。
この時期は苦手です。

誤解されそうな言い方ですが、高齢者ご本人の死には悲しさは感じないのですが(私も同じ立場なので)、遺された方からの訃報はいつも心に引っ掛かります。
ご本人は悲しくないでしょうが(私の場合からそう考えています)、遺された人は間違いなく悲しく、また少なからず人生は変わるだろうと思っているからです。

最近お会いしていない岐阜のSさんからの訃報のはがきで、99歳のお父上が亡くなられたことを知りました。
近くにお住まいで、毎朝、おふたりでカフェに「モーニング」を食べに行くお話を何回か聞いていました。
その時のSさんの話ぶりが、いつもとてもうらやましかったのを思い出します。
私は父とそういう経験をしたことがなかったからです。

私と違って父はお酒が好きでしたが、父と同居しながらも、お酒嫌いな私は、父と2人でお酒を飲んだこともありません。
見送った後、悔やんだものの、どうしようもありません。
その意味で、Sさんがうらやましかったのです。

Sさんに電話しました。
3日間、電話していますが、つながりません。
お父上がなくなったのは9月ですので、もう四十九日も終わっているはずです。
ちょっと気になっていますが、何事もなければいいのですが。

ちなみに、昨日書いた本の著者とSさんは、直接ではありませんが、つながっています。
それも幾重にも。
人のつながりは不思議です。

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2020/11/17

■節子への挽歌4803:「私が消えてからならば構いません」

節子

先週の話なのですが、書いておこうと思います。
実名を出せないのが残念ですが、私より10歳年上の女性から小冊子が送られてきました。
前から話は聞いていたのですが、父親の自伝です。
コロナの生もあって、これまでの活動をすべてやめられたおかげで、時間ができたのです。

読ませてもらって、私が予想していたものとは全く違いました。
かなり衝撃的な話で、さらに日本の伝統文化に関わる話です。
たぶん私の別の友人が興味を持つだろうなと思い、私の読後感と併せて、友人にも読ませたいと連絡しました。

残念ながら、断られました。
返事にはこんなことが書かれていました。

あの原稿は、50年前に***と言う名の出版社から依頼を受けて書いたのですが、キャンセルになりまして、原稿のままで50年間眠らせていました。
私も今では平均寿命を超えまして、老化現象も一人前で難聴のみならず体力全般、人並みに衰えてきています。それでコロナのお陰で毎日が閑になりましたので、目の黒いうちに形に仕上げようと思い立って、印刷まで漕ぎつけたのでした。読者は実は佐藤様お一人と思っていました。一気にお読み頂いて光栄です。

(中略)

実は、あの元原稿を亡父にはまだ見せていなかったのです。つまり内容に関して亡父の許可が得られていません。(ですから)***界の人には見せたくないのです。このような言い方は可笑しいですが、私が生きている間は叱られそうで恐いのです、お笑いください。消えてからならば構いません。私がこの世から消えました時には、誰がご覧になっても全く構いません。

私が読ませたいといった人をネットで調べたようです。
いかにもこの人らしい言葉です。

その後のやりとりもいろいろあったのですが、彼女の生きた世界を垣間見た感じです。
彼女を節子に会わせたかったと改めて思いました。

 

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■節子への挽歌4806:自宅内転居

節子

いよいよ2階での生活が始まりました。
まだ倉庫状況であることはかわりませんが。
冷蔵庫を2階に上げて、生活用品も移動です。

問題はネット配線ですが、どこに依頼していいかよくわかりません。
NTTでは電話対応しかできないようで、これはNIFTYに頼むことになりそうです。

まあそういう細かなことが毎日いろいろと出てきます。
次女家族も少しずつ荷物を運びこみだしました。
1階に在った節子の遺品はどうも2階に追いやられそうです。
まあ娘たちと節子の趣味はかなり違いますから。

家の中での転居もそれなりに大変です。
今日は何回1・2階を上下したでしょうか。
すっかりくたびれてしまいました。
そのうえ、今日はちょっとした「事件」があり、ずっと自宅でしたが、くたくたです。

私の転居もありますが、節子の位牌壇も転居続きです。
狭い部屋の中をまだ定位置が決まらずに移動しつづけています。
最近は朝の挨拶も時々忘れてしまうこともありますが、まあお互いに落ち着くまで大目に見てください。

それにしても今日は疲れました。

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2020/11/16

■節子への挽歌4805:家のリフォームは生き方のリフォーム

節子

この頃、時間が進む速度がまた一段と速まっているようです。
気がついたら、また挽歌を5日間も書いていませんでした。
困ったものです。

生活は少しずつ落ち着いてきているような気もしますが、相変わらずばたばたがつづいていますし、家の中は物であふれています。
みんな落ち着く先が決まらずにいるのですが、そんな中で私も居場所が定まらず落ち着かないわけです。

そんななか生活哲学学会で、収納カウンセラーの飯田久恵さんと対談する機会がありました。飯田さんとは半年前に初めてお会いしましたが、私の言葉で言えば、「収納」をデザインと捉えている方です。
飯田さんのお話を聞いていて、心当たることがたくさんありました。
心に刺さる話もありました。

家のリフォームは生き方のリフォームであり、心のリフォームでもあります。
実際に2か月のリフォーム生活を体験して、それを痛感しています。
来年の生活は、これまでとたぶんかなり変わるはずです。

さてどう変わっていくのか。
うまく変わっていけるといいのですが。

 

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■世界はオートポイエティックなコモンズ型プラットフ

山口県では、プロボノ活動の受入を希望する県民活動団体の活動や、プロボノワーカーと団体とのマッチングを支援し、地域課題解決のための協働体制の構築を推進しています。
https://www.facebook.com/photo?fbid=3321177691294136&set=p.3321177691294136

たまたま私の友人が取り組んでいる「仁徳地域商会」活動がその対象になったこともあり、私も参加させてもらっています。
一昨日はその2回目のzoomミーティングでした。
主なテーマは「プラットフォーム」づくり。

ちょうどいま私たちが取り組んでいる我孫子の「まちづくり編集会議」も、新しいプラットフォームだと私は考えています。
この30年ほど、各地や地元での地域活動に取り組んできて、私自身行き着いたところが、自然と育っていく、いわばオートポイエティックなコモンズ型のプラットフォームなのですが、私がそこに行き着いた経緯も含めて、昨日のzoomミーティングではいまの私たちの我孫子の活動の個人的な経過報告もさせてもらいました。

昨日、その我孫子の活動の一環として、2回目のイベントをやったのですが、改めてその方向性に確信を持てました。
しかし、いわゆる「まちづくりの専門家」や地域で長年活動しているNPO実践者からは、危なっかしく見えていることでしょう、しかし、そうした人たちからの善意のアドバイスや「応援」が、一番の邪魔になりかねないと私は思っています。

時代が変わるということは、「専門家」や「プロ」の人たちが、邪魔をしかねない存在になるということです。企業では1980年代頃から、そういう認識が高まっていて、「成功は失敗の母」(失敗は成功の母ではありません)という言葉さえ一時はよく使われました。
しかし、地域活動や福祉活動では、まだ必ずしもそうはなっていません。

そういう状況では、新しい芽を「応援」する形でつぶしてしまうことは往々にして起こります。
一昨日のzoomミーティングでも、新しい活動に取り組んでいる人から、すでに活動している人から足を引っ張られることはないかというような指摘がありましたが、たしかにそういうことは少なくありません。しかし、本来、過去(現在)を向いているか、未来を向いているかという次元の違いがありますから、対立など起こらないと私は考えています。こちらが気にしなければいいだけの話ですから。

そもそも「次元」が違うのです。しかし実際には、まだまだ「専門家」信仰が残っていますから惑わされる人は多いでしょう。アンラーニングする知性をもっと大切にしたいと思っています。

とても疲れた2日間でした。
ソクラテスの「無知の知」をつい思い出してしまいました。
「知」に呪縛されないように気をつけないといけないと、改めて思います。

 

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2020/11/15

■久しぶりの茶色の朝サロン20201113報告

11月13日に、久しぶりに「茶色の朝」サロンを開催しました。
これまで基本的に土曜日開催でしたが、土日は参加でいないという人もいて、今回は金曜日開催になりました。
ところがそれが周知できなかったため、翌日の土曜日に来た人が2人もいるようで、申し訳ないことをしました。すみません。

当日は参加者は5人で、その分、密度の濃い話し合いになりました。
まあ密度が濃いと言っても、なにしろ「茶色の朝」サロンですから、自由に話しやすかったと言うだけの話ですが。

学術会議任命問題は今回は出ませんでしたが、話題はいろいろと出ました。
PCR検査を受けざるを得なくなった人も参加していて、そのあたりの事情も話してくれましたが、私にはそれがとても面白かったです。
まさに最近の世情を象徴しているようでした。

相変わらず予定時間を超えてのサロンでしたが、不思議と何を話したかの記憶が飛んでしまっていて、いまは思い出せません。
たしか今回も最初は大坂都構想の話題から入ったような気がしますが、その後が思い出せません。

最近、サロンの報告がなかなか書けなくなっています。
これは単に私の記憶力と感受性が低下しただけだと思いますが、それと併せて、サロンの報告など意味があるのだろうかという迷いが出てきたせいでもあります。
困ったものです。
次回からちょっとメモしてもう少しきちんと報告できるように(たぶん)させてもらいます。

茶色の朝サロンは、また時々、開催しますが、もしどなたかからこんな政治話題を気楽に話したいというご連絡をもらえれば、すぐにでも設定します。
気楽に政治にかかわる話し合いをする場は、大切にしたいと思っていますので。
もちろん政治批判が趣旨ではなく、生活目線で生活者の政治を考えるのが趣旨です。
こんなことをもう少し知りたいというご希望もぜひお寄せください。
たとえ参加者がご当人一人でも、私は参加しますので、会話は成立しますので。

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2020/11/11

■節子への挽歌4804:逃亡生活

節子

リフォーム工事はほぼ完了したのですが、新しい空間に合わせて生活をリセットするのはかなり大変です。
それにまだ工事が完全に終わったわけでもなく、昨日は突然ガス工事の人たちがやってきて、配管作業をしていました。
家族数が増えるので、これまでの配管では心配なのだそうですが、節子がいた頃の家族数とあまり変わってはおらず、そんなに消費量が増えるわけでもないと思いますが、まあ専門家の意見に従うのがいいと思いお任せしています。

その費用見積もりが昨日届きましたが、ちょっと驚いています。
さてどうやって工面するか。
私はとても豊かなのですが、お金はほとんど持っていないので、金銭出費の請求が来るとぞっとするのです。困ったものですが。
また娘たちから借金しないといけません。

ガス工事は道路から工事しないといけないそうなので、年内かかりそうですが、何とか2階での生活ができるようにしてくれるそうです。
来週から2階のキチンが使えるようになり、生活は完全に2階に移ります。
2階の倉庫状況を早く解消しなければいけません。
寝室で寝ていても、なにやら逃亡生活のような気がしてしまいます。

しかし不思議なもので、こうした生活も2か月以上続けていると慣れてしまい、逃亡生活もいいものだと思えるようになります。
人間の適応能力は素晴らしいです。

2日間大事をとっていたおかげで、風邪のような症状は回復しました。
2月に京都の錦市場を歩いてから2度目の体調不良ですが、今回は新型コロナとは無縁だったようです。
今日から外出しようと思います。
外出自粛もせずにいますので、コロナ感染には十分に注意しないといけません。

しかし、世間ではまた新型コロナの第3波だと騒がれています。
お金で旅行や外食を勧めておきながら、どう考えても、コロナ不安をあおるのもまた経済的な理由だとしか思えません。みんな消費者としていいように操られているような気がして、気分はあまりよくありません。
こういう人たちと一緒に生きているのが、時に哀しくなりますが、まあいつの時代もこんなものなのでしょう。

というようなことを書いていたら、そうか、いまの私は逃亡生活なのだという気がしてきました。
なにからの逃亡なのか、ちょっとわかるような気もしますが、言葉にするとそれに呪縛されるのでやめておきます。

 

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2020/11/10

■湯島サロン「色彩心理で自分のキャラクターを知ろう」のご案

色彩心理学をご存知でしょうか。
体系化されたのは21世紀に入ってからのようですが、実際には古今東西、色彩を活かした様々な実践が行われてきています。色彩は私たちの生活にも大きな影響を与えていることは間違いありません。
先日湯島のサロンに参加した鈴木泰子さんから色彩心理学のお話をお聞きしました。
鈴木さんは、色彩コンサルタントの飯田暢子さんが開発した“キュービックカラーセラピー”の講座も受講し、セラピー活動にも取り組まれているようですが、何よりも色彩心理学で自らの生活が大きく変わったそうです。他者とのコミュニケーションも大きく改善され。生活がとても楽しくなったようです。

そこで、鈴木さんに、そうした人生が変わるような効果がある色彩心理学に触れさせてもらえるサロンをお願いすることにしました。
鈴木さんは、色が持つ意味が個性につながる面白さをみんなに体験してもらいましょうと、サロンを引き受けてくださいました。

まず色彩心理学とは何かを簡単に説明してもらった後、実際に質問シートを使って各自、自分の個性やストレスの診断をしてもらいます。色の持つエネルギーやそこに示唆されているストレスなどのお話もしていただく予定です。
個人ワークも含めたワークショップ風のサロンになると思いますが、鈴木さんは、できるだけみんなが自由に発言できるようシェアタイムを多くしようと言ってくださっています。新しい自分に出会えるかもしれません。

今回は入門編ですので、もし関心を持った方には、きちんとした講座などの紹介もしてもらえると思います。
年の瀬が迫っていますが、ぜひ多くの人に参加していただきたいと思っています。

〇日時:2020年12月13日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「色彩心理で自分のキャラクターを知ろう」
〇話題提供者:鈴木泰子さん(社会福祉士/色彩心理コミュニケーター)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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2020/11/09

■第4回益田サロン「比喩と理解」報告

細菌学者の益田昭吾さんによる連続サロン4回目のテーマは「比喩と理解」。
益田サロン初参加の方も2人いました。

Hiyusalon

まずは今回の基本命題「○○は××のようなものである」の話から始まりました。
人は新しい物や事(○○)に出会った時に、これまでの自らの生活体験の中で出会った物や事(××)を拠り所にして、その新しい物や事を理解し、世界を広げていく。

益田さんは、××を「原体験」と表現しましたが、これがとても大切なポイントです。
××は、文字や映像などからの、いわば「記号」的な知識ではなく、自らの体験によって獲得した「リアル」なものでなければならない。それが「理解」のポイントなのです。

話のポイントはこれだけなのですが、これから様々な話に広がりました。
シンパシーとエンパシー。学びと真似び。知識と知恵。近似と対比。
y=f(x)と「ような」の違い。
そこから近代と複雑系の話。コピペの話も出ました。
万葉集サロンの升田さんも参加していたので、万葉集の話も出ましたし、今度サロンを予定している身体知の話も出ました。

情報社会と言われる現在は、理解されないままに、言葉だけの知識が広がっているだけなのかもしれません。
そこからいろいろなことが見えるような気がします。

私たちは、新しいことに出会った時に、知識として受けとめるのではなく、理解して自分の世界のものにしていくことをもっと心がけないと、どんどん自分の××がなくなってしまい、平板で退屈な社会になってしまっていくような気がします。
コピペの知識で充たされた世界ではなく、生活体験に基づく理解された世界の中でこそ、人は自らの生き方を豊かにしていけるのではないかと思います。

いろいろと考えさせられるサロンでした。
次回の益田さんのサロンは、「予防接種」をテーマにする予定です。

 

 

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■節子への挽歌4803:風邪は大丈夫のようです

節子

なんとか風邪は避けられそうです。
昨夜はゆっくりと湯船に浸かり、そのまま眠りました。
おかげで今朝はほぼ違和感なく起きられました。

最近はコロナウイルス感染症の関係で、体調が悪い時には外出を避けなければいけません。私自身はマスクもあまりしませんし、外出も自粛はしていないのですが、他者に感染させることには十分に注意しています。体調管理はもちろんですが、ちょっとでも体調に違和感があれば、外出は避けています。
今週末にはいくつかの約束があるので、ちょっと心配していたのですが、大丈夫そうです。
ただ今日は大事をとって、在宅でゆっくりと過ごそうと思います。

アメリカ大統領選の結果がでました。
民主党のバイデンが過半数の選挙人を獲得し、当選を確実にしました。
共和党のトランプは違法行為があったと訴訟を起こし、敗北宣言はしていないので、いささかややこしいのですが、選挙結果は明確です。

しかし昨今の社会は、アメリカだけではなく、日本でも「ごねる」文化や相手を貶める発言が増えています。
自らを貶めることになる、そういう行為が増えているのがとても不快です。
私も注意しなければいけません。

さて今日は天気がよくなりそうです。
きっと気分もよくなるでしょう。

 

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2020/11/08

■湯島サロン「ローカル線廃止問題から見える地方の現状と将来」のご案内

「中央と地方」の問題は、日本の政治や経済、さらには文化を考える上で、重要な基軸のひとつです。

経済成長主義で進んできた日本では、人口減少は否定的に捉えられ、その結果、「限界集落」とか「地方創生」などという言葉さえ生まれてしまっています。しかし、そうした概念こそが、成長志向から生まれてきていることは言うまでもありません。
中央のために地方は創生されるものでもありませんし、成長のために集落の存在が限界視されるものでもありません。

ただ実際問題として、成長経済から定常経済へと現実が移行しつつあるなかで、せっかくのインフラが逆に経済の足を引っ張り、生活を不便にしている現状は否定できません。
中央(経済や統治)のための地域デザインから地域(文化や生活)のための地域デザインへと変わるためには、解決すべき課題は少なくありません。

今回は、坪田さんの「資本主義の先に何があるか?」のサロン(1128日)にもつなげながら、視点を「地域」に変えて、現状における地方問題の一つの表層である「ローカル線廃止問題」を切り口に、これからの経済や社会のあり方を考えてみたいと思います。

果たして地方は衰退しているのか、人口減少をどう捉えるのか、地域をつなぐ「交通」とはどういう働きをしてきたのか、テーマはいろいろあると思いますが、溝端さんの問題提起と参加者の関心によって、自由に話し合いが広がればと思っています。
ローカル線ファンの方もいると思いますが、ローカル線を活かした地域整備のような話も歓迎です。

なお、問題提起してくれる溝端さんは、鉄道に関する疑問、質問、不平不満、要望、提言などがあれば、わかる範囲でお答えしますということですので、鉄道雑学タイムももちたいと思います。これを機に「雑学サロン」シリーズも始めたいと思いますので、そのテスト版です。
なんで常磐線は取手止まりが多いのか。なんで東京の地下鉄は2つに分かれているのか。新幹線はもっと安くならないのか、など、なんでも気楽に出してもらえればと思います。

みなさんの気楽な参加をお待ちしています。

〇日時:2020年12月6日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ローカル線廃止問題から見える地方の現状と将来」
〇話題提供者:溝端義清さん(ただの旅行好きのおじさん)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■バイデン大統領になってホッとしました

バイデンさんがアメリカの大統領に選ばれました。
テレビ報道ではまだトランプさんが諦めていないとか訴訟で争うとか、盛んに報道されていますが、さすがにそこまでトランプさんもあがくことはないでしょう。

それはそれとして、アメリカの大統領選挙報道をみていると、そこに国民と政治とがつながっているのを感じます。
トランプ支持者にもバイデン支持者にも、政治や政府への信頼感を感じます。

それに比べて、日本の国会での話し合いは、どう考えても国民とつながっていない気がして、見ていてとても寂しい気分です。国民とは全く異質な世界での話し合いにしか見えてきません。
菅首相に、せめてトランプさんのような明確さがあれば、支持するかしないかは別にして、政治への関心ももてるのですが。
菅首相や加藤官房長官の話には、空虚さと心のなさを感じてしまいます。
どうせ嘘を言うのであれば、せめてトランプさんのように潔く嘘をついてほしいとさえ思います。

問題は、個人だけではありません。
政府組織もまた大きな違いを感じます。
アメリカの政府組織と違って、日本の政府組織には人間を感じないのは私だけかもしれませんが、人が見えてこない。私の定義では、組織になっていません。

テレビ報道を見ていて、日本とアメリカでは対立構造が違うことも改めて実感します。
アメリカでは〈バイデンvsトランプ〉ですが、日本は〈政府 vs 国民〉と言う気がします。
この違いはとても大きい。

アメリカでは政策の違いが争点ですが、日本は与党も野党も政策的な違いはあまりわかりません。あるのは政府への不信感のような気がします。
言い換えれば、アメリカでは、政府に対する信頼感がありますが、日本では肝心のそれが失われつつある。それでは政治への関心は生まれようもない。
アメリカの分断と日本の分断の意味はまったく次元を異にしているようにも思います。
もちろん日本の方の分断が陰湿で克服しがたい。

11月13(金曜日)の午後、湯島で久しぶりに茶色の朝サロンを開催します。
よかったらご参加ください。

 

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■節子への挽歌4802:風邪をひくわけにはいかないのですが

節子

人生はなかなかうまくいきません。
昨夜、どうも違和感があって、パソコンに向かう気にはならずに早く眠りました。
そのためもあって、今朝、早く目が覚めたのですが、やはりどうもおかしい。
風邪をひく前兆と言うか、初期のような感じです。

そうであれば、そのまま温かなベッドの中でまどろんでいればよかったのですが、何となく起きたくなって、5時に起床、パソコンに向かってしまいました。

昨日はサロンもあったので、午後からメールチェックもしていなかったので、まずはその返信から始めたのですが、意外とそれにてこずってしまいました。
そうこうしているうちに外が明るくなってきて、動き出したくなってしまいました。
倉庫状況を少しでも片づけないといけないという思いがたまっているのです。

早目に一人で朝食。
やはりどうも違和感がある。
家の中がめちゃくちゃなので、どこに薬があるかもわからない。
そのうえ、先日、病院からもらってきた薬袋さえ見つからなくなってしまい、もう混乱の極めです。

養生のためゆっくりしていればいいのですが、現在の倉庫状況ではその場所もありません。最近の居場所である2階のリビングは落ち着きませんし、寝室も倉庫のようです。
養生する場所がないのです。
寒いのですが、対策が立てられない。
風邪らしき状況は高まっていく。
困ったものです。

せっかくか月にわたる暮らしながらの大改装を乗り越えたのに、ここで風邪をひくとは予想外です。
さてさてどう乗り切るか。
今日もまた、早目にお風呂に入って眠ることにしました。

明日は回復できるといいのですが。

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2020/11/07

■節子への挽歌4801:リフォームが終わりそうです

節子

リフォームがほぼ終わりました。
それもあって毎日ちょっと大変で、自宅にいる時にはバタバタがつづいていました。
しかし作業に来る人はほぼ終わりました。
残りは家具の一部取り付けやガス工事くらいです。
今日は午後からクリーニングの人たちがやってきて清掃してくれる予定です。
これで明日からは少し落ち着きますので、挽歌もまたきちんとかけるかもしれません。

挽歌が書けなかった理由はもう一つあります。
またパソコンが少し変調しだしたのです。
不思議なもので、家のパソコンが不調になるといつもオフィスのパソコンまで不調になります。
しかし、前に友人から教えてもらったようにパソコンのふたを開け、何となくいじったら家のパソコンは直ってしまいました。オフィスから持ち帰ったパソコンは、何もしなかったのですが、家のが直ったらなぜか正常に作動するようになってしまいました。
どうも同期しているのです。

生活の拠点場所を変えたので、家の中の電話の位置やルーターなども2階にもってこようと思いますが、それもなかなかうまくいきません。
外部からの光配線は1階で受けているので工事が必要になりそうです。
まだ当分いろいろと不便はつづきそうです。

そう言えば、節子の位牌壇も2階に移動しました。
いまはまだ仮置きですが、どうセットしようか思案中です。
ともかく家の中はとんでもない有様で、それこそ歩くのも大変なのです。

大変な2か月もそろそろ終わりそうです。
少しホッとしています。

 

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2020/11/04

■久しぶりの茶色の朝サロンのお誘い

難しい政治談議ではなく、むしろ生活感覚から政治を話し合い、そこから私たちの生き方や社会のありようを考えていこうという趣旨の「茶色の朝」サロンを久しぶりに開催します。
前回、やや未消化だった、学術会議任命拒否問題やGo Toキャンペーンなども話題にできればと思います。
ふだん、政治のことなど考えたことがない人こそ歓迎です。
平日の午後ですが、よろしくお願いします。

なお、このサロンの契機になった「茶色の朝」ですが、20年前にフランスで出版されて話題になった反ファシズムの寓話です。
「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことから物語は始まります。
みんな、おかしいと思いながらも、いつの間にか世界は茶色で埋め尽くされていく。
そんな話です。
「茶色の朝」の全文は、次のサイトからダウンロードできます。
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf

〇日時:2020年11月13日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「最近、ちょっと気になることから政治を考える」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■湯島サロン「資本主義の先に何があるか?」のご案内

先日のサロンで、坪田さんから斎藤幸平さん(大阪市大准教授)の『人新世の「資本論」』(集英社新書)が紹介されました。
33歳の斎藤さんは同書で、「脱成長コミュニズム」を提唱しています。
すべてを市場に委ねるのではなく、水道や電力などを「コモンズ」という社会的な共有領域に設定し、共同管理していこうという提案です。
最近、脱成長経済に関心を持っている坪田さんに、その本の要約を紹介してもらい、改めて「経済成長」について考えてみようということになりました。

日本は戦後ずっと「経済成長至上主義」に基づいて経済運営をしてきましたが、最近ではそれと親和性の高い「新自由主義」が社会を席巻しだし、社会の分断と経済格差の拡大が進んでいます。コロナ禍は、そうした問題を顕在化し、「経済成長」そのものの意味も揺らぎだしています。
湯島のサロンでは、これまでもそういう議論はよくでるのですが、今回は正面から「経済成長」や「資本主義」をテーマに、改めて経済とは何なのかを話し合いたいと思います。

当日は話し合いの前に坪田さんから同書の要約をパワーポイントで紹介してもらいますが、関心のある人は、事前に『人新世の「資本論」』を読んでおいてください。
サロンでは、齊藤さんの提唱する「脱成長コミュニズム」を中心にして、これからの経済のあり方や私たちの生き方について、話し合っていければと思います。
参加者一人ひとりの生き方を問い直す契機になればと思っています。

〇日時:2020年11月28日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「資本主義の先に何があるか?」
〇話題提供者:坪田知己さん(文明デザイナー)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2020/11/03

■湯島サロン「〈佐藤さん=ソクラテス〉説をめぐる一考察~そこに人生のヒントが見つかる、かもしれない」報告

私が話のダシになっているサロンなので、参加者は少ないといいなと思っていたのですが、幸か不幸かかなりの参加者になってしまいました。
しかも若い世代も多く、1歳の娘さんを連れて久しぶりに遠方から参加してくれた人や親子で参加してくれた人など、いつもとはちょっと雰囲気の違うサロンになりました。

鈴木さんは、しっかりしたレジメをつくってきてくれ、そこにはソクラテス関連だけではなく、鈴木さんの豊富な読書メモから引用されたさまざまな言葉が整理されていました。
〈佐藤さん=ソクラテス〉などという枠を外してそれを議論するのがいいと思ったのですが、不本意なことに私がまな板の上に乗せられがちで、本来のテーマの「人生のヒント」の話にはなかなか進まなかったのが残念でした。

そんなわけで、報告も書きづらく、誰かに変わってもらいたいほどですが、私以外の人が書き手になってくれそうもありませんので、仕方なく、鈴木さんの話の内容をはずしての私の感想を報告に代えます。
鈴木さんのお話は、当日のレジメにわかりやすくまとめられていますので、鈴木流「人生のヒント」のレジメを読みたい人は別個にご連絡ください。

以下、記憶に残っていることを少しだけ。いささか禅問答的な報告ですが。
ソクラテスも私も裸足でサンダルということに関連して、私も会社時代はネクタイをしていたと話したら、「なぜ?」と若者から問われてしまいました。当時は何の疑いも持っていなかったのです。服装に限らず、私たちは「社会の常識」によってすでにいろんなことを自粛させられているのかもしれません。みなさんの話を聞いていて、「衣食足って礼節を知る」は真理ではないなと思いました。

親子関係が実に素直な親子が初参加されていて、息子さんの方が激しく親に対する心情を吐露しました。それを聞いていて、ソクラテスの対話や会話の意図がだいぶわかりました。話を飛躍させれば、ソクラテスが従容として毒杯を飲んだ理由もわかるような気がしました。ちなみに、対話はある意味での「越境行為」ですが、それが起こす争いや絆はコインの裏表だなと改めて思いました。

もう一つ感じたのは、人は自分の世界の中でしか他者を見られないということです。
サロンでの鈴木さんの話は、参加者の一人が指摘していましたが、鈴木さんの生き方の話と受け止めても違和感はないのです。他者への批判は往々にして自らへの批判でもあるように、他者への共感は自らへの共感でもあると、改めて思いました。私たちは、他者を通していつも自分に出合っている。ソクラテスもそうだったのだろうなと思いました。

さて報告になったでしょうか。
なっていませんね。すみません。
鈴木さんには申し訳ないのですが、まあ寛容な鈴木さんは許してくれるでしょう。
しかし、サロンに参加された方たちは、それぞれにいろんな気づきを得たように思います。サロン終了後のみなさんの表情にそれを感じました。
私もまた、私自身の生き方の欠落部分に気づかせてもらいました。
鈴木さんに感謝しています。

さて脱ソクラテスを目指さなければいけません。

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■節子への挽歌4800:〈佐藤修=ソクラテス〉説

節子

11月1日に湯島で、「〈佐藤修=ソクラテス〉説をめぐる一考察~そこに人生のヒントが見つかる、かもしれない」と言うテーマで、鈴木章弘さbbがサロンをやってくれました。
そこに、私を勝手に「師匠」などと言っている阿部さんが仲間たちと参加しました。
阿部さんの仲間と言うよりも、サロンをやることになってから、阿部さんは主催している引きこもり家族の会などでこのサロンのことを紹介していたようです。
それで、サロン初参加の方が数名参加しました。
なかには親子での参加もあり、サロンのテーマとはあまり関係のない家族問題などの話も盛り上がってしまいました。

鈴木さんの話を聞いていて、ほとんど私には違和感がなかったのですが、話の筋とはあまり関係がないのですが、ソクラテスが毒杯を仰いだ理由が何となくわかったような気がしました。
2時間の予定が3時間になり、サロンが終了する時間以降もなぜか3人の人が来ました。
私はあまり話さないつもりでしたが、ついつい参加者の問いかけに答えてしまい、余計なことを話してしまった気がします。
まだサロンの報告は書いていませんが、気が重いです。

私がソクラテス的だと言われたのは、もう30年以上前のことです。
ダイヤモンド・ハーバード。ビジネス・レビューの編集長だった岩崎さんが、私の話し方をソクラテスの産婆術話法のようだと言ったのです。
それまでソクラテスなどは一切意識していませんでしたし、もちろん今も意識してはいませんが、言われてみれば、子どものころからずっとそうでした。

言い換えれば「問い続ける」のが私の生き方の基本です。
節子と旅に行っていて、感動する景色に出合ったようなときに、ふと、「でもこんな風景を見ていていったい何の意味があるのだろうか」と口に出してしまい、節子を怒らせたことが、一度ならずあります。
時々、根源的な問いが自然と浮かんでくるのです。

書き出すとまたややこしくなりますが、ソクラテスが毒杯を喜んで飲んだような気がしてきました。

今日は寒そうな空です。
こういう日は、あんまりいいことはないような気がしますが、節子の月命日なので、挽歌をいくつか書こうと思っています。

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2020/11/02

■湯島サロン「自分の言葉で語る 身体から語る 身体と語る」のご案内

7月にサロンをやってくれた大学生の川端修平さんの2回目のサロンです。

前回は、「生きる、いのち」をテーマに、若者らしい生々しい話をしてくれましたが、今回はそれに続くかたちで、その後の修平さん自身の生き方、考え方の変化も含めて、身体知に焦点を合わせて、問題提起してもらいます。
今回のテーマは、「自分の言葉で語る 身体から語る 身体と語る」。

このタイトルだけでも修平さんの思いは伝わってくると思いますが、「自分」とはいったい誰なのか、「言葉」とはいったい何なのか、という難しいですが実に生々しい問いかけを感じます。
身体や個人から切り離された「言葉」があふれているなかで、自分の言葉で、そして自分の身体で語ることに真摯に取り組んでいる若者の話には、学ぶことが多いはずです。

修平さんによれば、サロン当日も頭や口先だけの話し合いではなく、身体による話し合いを試みたいということですのでどんなサロンになるかとても楽しみです。
世界ができあがってしまい、固定化されがちな私のような高齢者はもちろん、「社会人」になってしまった「大人世代」にはきっと不協和音的な刺激を与えてくれるはずですし、修平さんと同世代の若者たちには共感と反発を与えるかもしれません。
いずれにしろ生き生きした「いのちの交流」を目指したサロンにしたいと思います。

1回だけでは終わらずに、不定期に継続していくサロンになるかもしれません。
世代を超えて、いろんな人が参加してくれるのをお待ちしています。

〇日時:2020年11月21日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「自分の言葉で語る 身体から語る 身体と語る」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■理念は現実の先にある

大坂都構想の住民投票の結果が出ました。
1か月前の予想に比べて、反対票が多く、この構想は否定されることになるでしょう。

実は私は2週間前までは賛成だったのですが、湯島のサロンに参加した反対派のTさんから、佐藤さんの理念には賛成だが、現実はそうなっていないという指摘を受けました。
私と違ってTさんは、理念と同時に現実をしっかりと把握し賛否を決めている人です。
時々意見は違いますが、教えられることが多いので、この1週間、その指摘が気になって、いろいろと考えてみました。
やはりTさんが言うように、いろんな問題が見えてきて、理念と現実は真反対かもしれないと思うようになってきました。

しかし自説を変えるのはそう簡単ではありません。
賛成から反対になったのは、実は3日前です。
でもそれまでの5日間ほど、いろいろと考えました。
もちろん大阪だけの話ではありません。大坂都構想問題が投げかけている地方自治の問題についてです。
こういうことでもなければ、なかなかそんな問題は考えませんから、私にとってはとてもいい機会でした。

今回、大阪の住民たちの意見も変わったように思いますが、れいわ新撰組の山本太郎さんの連日の街頭演説も影響を与えたのではないかと思います。
今朝の朝日新聞には、めずらしく山本太郎さんの街頭演説の記事が載っていました。
時々、私もフェイスブックでシェアさせてもらっていますが、山本太郎さんの連日の街頭演説は、じわじわと日本の世論を変えていくのではないかと期待しています。

今回、私は賛否を変えましたが、改めて、理念から現実を見るか、現実から理念を見るかで、事態は全く違って見えてくることを実感しました。
理念よりも現実を大切にしてきたはずなのに、いつの間にか理念発想になっている自分に気づきました。
それに気づかせてくれたTさんに感謝しています。

本当の理念は、現実の先にあるのです。

 

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