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2020/11/03

■節子への挽歌4800:〈佐藤修=ソクラテス〉説

節子

11月1日に湯島で、「〈佐藤修=ソクラテス〉説をめぐる一考察~そこに人生のヒントが見つかる、かもしれない」と言うテーマで、鈴木章弘さbbがサロンをやってくれました。
そこに、私を勝手に「師匠」などと言っている阿部さんが仲間たちと参加しました。
阿部さんの仲間と言うよりも、サロンをやることになってから、阿部さんは主催している引きこもり家族の会などでこのサロンのことを紹介していたようです。
それで、サロン初参加の方が数名参加しました。
なかには親子での参加もあり、サロンのテーマとはあまり関係のない家族問題などの話も盛り上がってしまいました。

鈴木さんの話を聞いていて、ほとんど私には違和感がなかったのですが、話の筋とはあまり関係がないのですが、ソクラテスが毒杯を仰いだ理由が何となくわかったような気がしました。
2時間の予定が3時間になり、サロンが終了する時間以降もなぜか3人の人が来ました。
私はあまり話さないつもりでしたが、ついつい参加者の問いかけに答えてしまい、余計なことを話してしまった気がします。
まだサロンの報告は書いていませんが、気が重いです。

私がソクラテス的だと言われたのは、もう30年以上前のことです。
ダイヤモンド・ハーバード。ビジネス・レビューの編集長だった岩崎さんが、私の話し方をソクラテスの産婆術話法のようだと言ったのです。
それまでソクラテスなどは一切意識していませんでしたし、もちろん今も意識してはいませんが、言われてみれば、子どものころからずっとそうでした。

言い換えれば「問い続ける」のが私の生き方の基本です。
節子と旅に行っていて、感動する景色に出合ったようなときに、ふと、「でもこんな風景を見ていていったい何の意味があるのだろうか」と口に出してしまい、節子を怒らせたことが、一度ならずあります。
時々、根源的な問いが自然と浮かんでくるのです。

書き出すとまたややこしくなりますが、ソクラテスが毒杯を喜んで飲んだような気がしてきました。

今日は寒そうな空です。
こういう日は、あんまりいいことはないような気がしますが、節子の月命日なので、挽歌をいくつか書こうと思っています。

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