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2020/11/23

■節子への挽歌4820:「久しい寿の家」

節子

今日、久しぶりに以前住んでいたところを車で回ってきました。
用事があって車で娘と一緒に近くを通ったのですが、何か懐かしくなって、娘に頼んで以前住んでいた地域をゆっくりと車で一回りしてもらったのです。
家並みはだいぶ変わっていましたが、当時もお付き合いのあった家の表札が変わっていないところもいくつかありました。
私よりも年長のKさんの家は、まえと同じでしたし、私の友人の家もそのままでした。
近くの商店は半分以上が閉鎖していましたが、昔からあった栃木屋さんはいまもまだがんばっています。

ここに住んでいた頃は私はまだ会社勤めしていたり会社を辞めても毎日仕事で出かけていたことが多かったりで、あまり地域の思い出はないのですが、節子はここでもいろいろとやっていたのは覚えています。
私はその手伝いを時にさせられたこともあります。
私と違って、節子にとっては、ここでの生活が長かったのです。

この地域は我孫子市久寺家というところですが、久寺家は昔は「久しい寿の家」とも書いたようです。というのは、そこにあるお寺の宝蔵院の本堂に古い表札のようなものがあり、そこにそう表記されていました。
節子の法事はいつもそのお寺でさせてもらっているのですが、ご住職の読経の間、私はいつもその文字が気になって見入っています。

「久しい寿の家」。
節子は、しかしここがあまり好きではなかったのです。
それで転居しようとしたのですが、苦労して転居先を神奈川県に探したにもかかわらず、いざとなったらやはり我孫子にいたいと言い出し、我孫子市内の今の家のあるところを自分で探してきたのです。
そして、張り切って家を建てたのに、転居後、胃がんが発見されてしまった。
久しい寿をもたらしてくれる久寺家から転居したのがいけなかったのでしょうか。

ちなみに久寺家のわが家は、傾斜地の一番下の大通り沿いでした。
節子はそれもあまり好きではなかったはずです。
新しいいまの家は高台です。
坂の下と坂の上とでは風景が全く違います。

節子はいまの家が気に入っていたはずですが、それを楽しむ間もなく逝ってしまったのです。
久しぶりに久寺家を回って、ちょっと昔のことを思い出してしまいました。

 

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