■節子への挽歌4809:座卓での娘との食事生活
節子
2階での生活が始まりましたが、まだ荷物があふれている状況のうえに、新しい食卓もないため、リビングの座卓で食事をしています。
娘と並んで、座っての食事なのですが、なんだかちょっと不思議な気分です。
そう言えば、節子の闘病生活の最後のころもこんな感じだったかもしれません。
和室が節子が最期を過ごした部屋ですが、節子のベッドの隣の小さな空間に小さな座卓を運び込んで、いつも娘たちと4人で食事をしていました。
次女が明るい性格だったので、みんなを元気づけるように、時々、笑いをもたらしてくれましたが、いまから思えば、それぞれに寂しさや哀しさを抱えての食事だったのです。
節子も、みんなのために頑張って食事をしてくれましたが、あれがよかったのかどうかはわかりません。
いずれにしろ、節子がいなくなってから、みんなの生き方も変わってしまいました。
一番変わったのは私で、数年は生きていたのさえ覚えていません。
娘たちにも迷惑をかけたのでしょう。
自分の生き方を取り戻したのは3,4年前でした。
いや、いまだにまだ、取り戻していないのかもしれません。
生きている実感が、いまだにあまり持てませんから。
今日からまた少し書籍の整理を始めようと思います。
| 固定リンク
「妻への挽歌20」カテゴリの記事
- ■節子への挽歌5339:脳神経外科の定期検査(2022.05.13)
- ■節子への挽歌5338:節子との思い出には時間軸が失われています(2022.05.12)
- ■節子への挽歌5337:今日も畑で頑張りました(2022.05.12)
- ■節子への挽歌5336:「認められる欲求を超えてしまっているから」(2022.05.11)
- ■節子への挽歌5335:今日も太陽に誘われました(2022.05.11)
コメント