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2020/11/22

■節子への挽歌4817:知識の挑発

節子

昨日のサロンは20歳の大学生による「身体知」の話でしたが、15人ほどの人が参加しました。
若者が話をするサロンにはなぜか多くの人が参加します。
このこと自体が面白いですが、話し手が自分より若いと話しやすいのかもしれません。

サロンは、参加者全員で三軸調整によるリバランシングを体験するなど、とてもいいサロンでした。
ただ私にとってはまた、終了後大きく落ち込んでしまうサロンになってしまいました。
時々やってしまうのですが、感情に任せて話し過ぎたのです。
節子がいたら、終了後、厳しく指摘されたことでしょう。

私が感情に負ける理由は2つあります。
「知識の挑発」と「権威への依存」ですが、今回は「知識の挑発」でした。

湯島のサロンは、一人称自動詞で、自分の言葉で話すのを基本としています。
ところが時々、知識ベースで話をしはじめる人がいるのです。
そういう話を聞いていると、次第にイライラしてきて、時々、爆発して、私自身が知ったかぶり知識の披歴をしてしまうのです。
まあそれなら相手と同じ程度なのですが、「挑発」にのって過剰反応し、かなり不正確に強調してしまい、ついでに断定してしまうのです。ですから話し終わってしばらくすると、自己嫌悪に陥ってしまうわけです。

昨日もまさにそうでした。
参加者の一人が、社会構成主義の「関係論」の話から近代科学と東洋思想の話を始めたのですが、素直に聞いていれば、参加者にもたぶんいい話だったのでしょうが、こらえ性もなくそこで私は挑発に乗って過剰反応してしまいました。
今さら社会構成主義でもないし、東洋と西洋の科学の対話は50年ほど前にコルドバで再開され、その続きは日本のつくばでも行われ、私もそのシンポジウムには参加したなどと言ってしまったのです。
いやはや困ったものです。

もうそろそろ「挑発」にも感謝できるようになりたいのですが、これが難しい。
今日もまたサロンですが、今日は知識ベースの「遺伝子技術」のサロンですので、逆に「知識の挑発」は受けずに済むでしょう。
ただテーマが敷居を高くしてしまったせいで、参加者が少ないのが残念です。

「知識」との付き合いは難しいです。

 

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