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2020年12月

2020/12/31

■節子への挽歌4864:今年最後のお墓参り

節子

大みそかという気分が出ません。
困ったものです。

まあ、と言っても大みそかなのです。
同居したジュン家族も一緒に、お墓に行ってきました。
お墓のお掃除をし、花を供えて、同居の報告をしました。
般若心経を唱え、本堂にもお参りしました。
今年は例年やっている除夜の鐘つきもないそうです。

買い物も終わっているそうで、やることはありません。
早目にお風呂に入って、いつもの通り、早目に眠ります。
リフォームで生活の場所が変わったので、最近は毎朝、日の出をみていますので、初日の出にもあまり関心がなくなってきています。
なんだか最近は何をやっても投げやりっぽくなってしまっています。
ホームページの更新も年明けでいいかなと思い出しています。
困ったものです。

ユカはこれからおせちづくりのようです。
両親と同居していたころは、節子は大みそかは大変でした。
兄家族もやってきたからです。

大みそかの節子のもう一つの仕事は、花を生けることでした。
今年のわが家の花は、松と梅と桜と百合に、わが家の庭の水仙なども加えて、私好みに仕上げてくれました。
まあ誰も来客はないので、見るのは節子くらいですが。

節子が元気だったころの年末年始は、にぎやかさと華やかさがありました
もうあの頃の風景は戻ってはこないでしょう。

 

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2020/12/30

■節子への挽歌4863:緊張感のない年末

節子

昨日で一応、今年の予定はすべて終了しました。
と言っても、相変わらずの倉庫状況ですが、まあこのまま年を越すことにしました。
収納棚がまだ届いていないので、片付けようがないのです。

年明けもたぶん誰も来ないでしょうから、まあ良しとしましょう。
節子の位牌のある仏壇も、まだ仮置きですし。

でもこう散らかっている状況で暮らしていると、まあこれもまたいいものだと感じます。
外部での段ボール生活も、もしかしたら同じようなことかもしれません。
まあ冬は寒いので私には向いてはいませんが。

最近、ホームページを放りっぱなしなのも気になっています。
せめて新しい年あけまでには更新しておきたいと思いますが、あまりため込んでしまうとこれまた元気が出てきません。
新しいデザインに一新すれば書く気も戻ってくるのですが。

挽歌もどうも書く気が出てきません。
やはり生活が単調になってきているからでしょう。
同じ我孫子にいる兄から電話があり、今年はコロナも心配なので、娘たち家族も帰省しないし、兄弟の正月の往来はやめようと言ってきました。
我孫子もコロナ感染が広がっています。

明日は大みそかです。

 

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2020/12/29

■今年最後のオープンカフェサロン報告

今年最後のオープンサロンは5時間のロングランでしたが、大賑わいでした。

11時から始まったのですが、早速にお一人が来店。
それから三々五々と来客がつづき、予想を上回る人がやってきました。

少し集まったところで、自己紹介をお願いし、今年はいい年だったかどうかもお聞きしましたが、みんな自己紹介に続く話が長く、それを話題に話し合いが広がり、結局、最後の人の自己紹介が終わったのが、閉店時間でした。
途中で帰る人も少なく、次々とお客さんがやってきたので、部屋の椅子が足りなくなり、地べたに座る人も出てきて、いささか危うい「三密」状況でしたが、換気などには気を付けました。

みなさんの感想としては、コロナにもかかわらず、可もなく不可もない年だったという人が多く、ちょっと意外でした。
もちろんそうでない人もいましたが。
ただ、新型コロナのおかげで、立ち止まって今の社会のありようを問い直した人は多かったような気がします。
来年から少し時代の方向が変わっていくのではないかと思います。

さまざまな人が参加しているので、話は実に多様で、改めてオープンサロンの面白さを思い出しました。
しかし5時間を超えるサロンは、ホストとしてはいささかの疲れを感じました。
お接待のランチを差し入れしてくれた方がいたので、最後まで大丈夫でしたが。

去年の年末サロンは参加者が少なかったのに、と鈴木さんが教えてくれましたが、今年はコロナのために話をする場がないので、サロン参加者が多かったのかもしれません。
人は話す場がなくなるとストレスがたまってしまい、ストレスをためると免疫も低下し、コロナに感染しやすくなりますので、コロナ感染予防のために、来年もサロンを毎週やろうと思います。
湯島のサロンは、「三密」で危険だともいわれているそうですが、ストレスをためるのも危険です。

新年最初のサロンは14日です。
ストレス発散に、気が向いたらお立ち寄りください。
ただし、くれぐれも新型コロナウイルスは持ち込まないようにお願いします。

 今年は本当にありがとうございました。

2020last

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■節子への挽歌4862:みんなに支えられた1年

節子

今日は今年最後の湯島のサロンでした。
コロナ感染が急拡大しているにもかかわらず、20人近い人がやってきてくれました。
それもみんな長居してくれました。
みんなに支えられているなと、つくづく感じました。

今回、特にうれしかったのは、久しぶりに企業の人が参加してくれたことです。
企業関係者は、特に経営幹部の方は、万一のことがあるので、こういう集まりには最近は参加しないようです。
万一コロナ感染したら大変ですから。
コロナ感染が広がってからは、私も企業にはお伺いしないようにしています。
組織の場合は、誰かがコロナ感染をしてしまうと大変だからです。

今日は仕事納めということで、その方は午後、立ち寄ってくださいました。
そして結局最後までいて、終わった後も参加者といろいろと話をしていました。
私には、カカオ72%のチョコレートをどっさり持ってきてくれました。
最後に湯島に来てくれた頃、私が高血圧対策で毎日カカオ72%のチョコレートを食べていた時期で、その時も確かどっさり持ってきてくれたことがあります。
それを思い出して、うれしく思ったのです。
もうチョコレート療法はやめているのですが、せっかくなので、再開します。

1年の湯島サロンを締めくくるのには、とてもいいサロンでした。
11時から4時までのロングランでしたが、ランチは鈴木さんが差し入れてくれたので、おなかも減りませんでした。
今年も、みんなに支えられた1年でした。

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2020/12/28

■節子への挽歌4861:東尋坊のお餅

節子

今年もまた東尋坊からお餅が届きました。
東尋坊で見回り活動をされている茂さんと川越さんからのお餅です。
今年も東尋坊では33人の人を思いとどまらせ、再出発を応援したそうです。

電話で話しましたが、茂さんはお元気そうでした。
今年は茂さんの講演会を東京で開催したかったのですが、コロナで諦めました。
茂さんたちとはこの数年お会いできていないのです。

茂さんはアイデアマンなので、お餅も種類が増えてきています。
今年はミカンを入れたオレンジ餅もありました。

節子との最後の長旅は、福井の吉崎御坊でしたが、その途中で立ち寄った東尋坊で茂さんたちにお会いしたのです。
まったくの偶然で、車を降りたら、まさにそこに茂さんがいた。
あれも何かのお導きでしょうか。
節子が亡くなった後、茂さんからの連絡で、「自殺のない社会づくりネットワーク」を立ち上げたのも、いつも節子が後押ししてくれていた気がします。

節子にもお供えして報告しました。

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■湯島サロン「2020年を振り返る-新型コロナが問いかけたこと」報告

今年最後のテーマサロンは、サロン常連の一人でもある、若いデザイナーの林さんによる「2020年を振り返る」でした。

林さんは、まず月ごとに、林さん自身が気になった事象や事件を時系列で説明してくれた後、林さんや林さんの家族に起こった生活の変化を紹介してくれました。
それに対して参加者もまた勝手なコメントや反応をするというスタイルで、1年を振り返りましたが、参加者の反応もまた私にはとても興味深いものでした。

私が全く知らなかったこともあり、人はそれぞれ違う世界で生きていることを思い知らされましたが、にもかかわらずに、大きなところでは同じ時代を生きているのだということも実感できました。
私にとっては、1年を振り返るサロンになったばかりか、改めて時代の大きな分岐点にあることを認識できた、1年を総括するいいサロンでした。
このスタイルのサロンを、毎年年末に行いたくなりました。
サロンで話してくれた林さんも、発表のための年表づくりで気づいたことも多く、来年もまたやりたいと言ってくれていますので、実現するでしょう。

それにしても、今年の話題は圧倒的に新型コロナにつながるものが多くて、それ以外のことが見えなくなってしまっているのかもしれません。
コロナと言っても「病気」の話だけではなく、むしろそれが引き起こしている悲喜劇があまりにインパクトが強く、しかもわかりやすいのです。人間の本性や社会の実相が生々しく伝わってきます。

参加者のお一人が、最近、東京から脱出する人が増えている、自分も千葉県の外房に住む場所を用意し、来年から二拠点生活だと話してくれました。
たしかに私の周りでも、そういう人が出始めていて、いよいよ時代の流れが変わりだすかという思いも持てるようになってきました。
また新型コロナに感染したイギリスのジョンソン首相が、退院した時に、「社会はあった」と発言したことを林さんはとりあげていましたが、サッチャー首相が「社会はない」といって始まった新自由主義経済も、反転しだすとなると、コロナ様様ともいえるかもしれません
発表者の林さんと参加者の釈源光さんが、アガンベンやジジェクの、いささか過激な本を持参していたこともあって、時代が大きく変わるかもしれないという話も出ました。

まだ相変わらずの路線の上での「新しい生活様式」が話題になっていますが、もっと大きな「新しい生活」が始まりだそうとしているのかもしれません。

非常に印象的だったのは、新型コロナのおかげで、なぜか元気になったという人が少なくとも3人はいたことです。
私自身もとても生きやすくなり、これまでなかなか通じなかった企業の人たちとも話が通ずるようになった実感がありますので、住みやすい時代に向かいそうだという感じがあるのですが、どうやらそういう思いを持っているのは私だけではないことを知りました。

個人の視点で1年の事象や事件を振り返ってもらうと、その人のいろんなことがわかってきますが、それと同時に、自分の関心の偏りにも気づかされます。時代に流されないための、新しいサロンのスタイルがちょっと見えてきた気もします。
毎月やってもいいかもしれません。

今年は、たくさんのサロンを開催させてもらいました。
ありがとうございました。

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2020/12/27

■節子への挽歌4860:年末感が異様にない年です

節子

毎年、年末には「合唱」をうたっている友人がいます。
昔、ビジネスの相談で湯島にやってきた人と一緒に来た人ですが、そのビジネスとは関係なく、なんとなくその後も湯島に来てくれて、今はサロンの常連の一人になっている人です。

人との出会いや付き合いの面白さはたくさん経験していますが、そのおかげで、「こちらの人」か「あちらの人」かは、すぐわかるようになってきました。
この人は、間違いなく「こちらの人」、つまり私の世界の人です。

その人が、今年はコロナで「合唱」が歌えないので、年末感がないと言っていました。
あるべきことがないと、人はなかなか季節を実感できません。
私の場合も、年末の行事が次第になくなってきています。

これは年末だけの話ではありません。
日々に変化がなくなり、季節感や時間感覚が希薄になるというのは最近、よく感じることです。
もしかしたら、これも「生きる」面白さなのかもしれません。

時間感覚が消えていくということは、「死の世界」「彼岸の世界」に入ったということと同じかもしれません。
そう考えると、生と死を分ける境は、思ったよりも小さいような気がします。

それはともかく、今年は私にとっても、異様に年末感のない年です。
今年がもう1週間もないとはとても思えない。
いつもなら、年末大掃除に入っているのですが、そんな気が起きません。
年賀状もやめてしまったので、年賀状書きもありません。
何もないままに、今年が終わり、新しい年が始まる。

けじめをつけるのが難しい時代になってきました。
いや、時代ではなく、年齢というべきでしょうか。

 

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2020/12/26

■節子への挽歌4859:めげてしまった1日でした

節子

「礼とは何か」という本を読みました。
下村湖人の「論語物語」を読んだのは、確か中学生の頃でした。
私の記憶に残っている最初の本と言ってもいいでしょう。
その後の生き方は、論語とは真反対の生き方だったような気がしますが、いつもどこかで、論語が言動の基軸の一つだったような気がします。

この本を手にしたのは、先日、図書館に行ったときに、新刊棚に置いてあったのが目についたからです。
借りてきて、読みだしたら、やはり私の世界の本ではないなと思ったのですが、読んでいるうちに、次第に引き込まれて、結局、読み終えてしまいました。
いろんなことを考えさせられました。
そして、やはり私には論語の世界への共感があることを再認識しました。
子どものころ読んだ本の影響はやはり大きいのです。

最近、かなりの「人嫌い」になってきていますが、それもやはり《礼節》が関係しています。
私が考える礼節と他者の考える礼節とは違うのかもしれませんが、ずれを感ずることが多いのです。だからがっかりしてしまうことも少なくありません。
今日もいささかの失望を重ねた日になりました。

そんなわけで、今日はすっかり元気がありません。
頼まれたことを何でも引き受けてしまうことは、やはり疲れます。

困った人がいれば、手を差し伸べるのは当然のことですが、それに対して一言のお礼もなく、約束も守ってもらえないことがつづくと、やはりめげてしまいます。

今日はちょっと挽歌も書く元気がありません。
困ったものです。

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2020/12/25

■節子への挽歌4858:初めてのお客様

節子

改装後、初めてのお客様が2階のわが家にやってきました。
といっても、同居したむすめ母子です。
今日はユカが用意してくれた、手巻き寿司パーティなのです。
倉庫状況のリビングで、なんとか4人座れるようにしてのおもてなしです。

手巻き寿司パーティは、節子がよくやりました。
まあ考えようによっては、手抜き料理なのですが、娘たちには大好評でした。
今日はそのミニ版で、4人だけのミニパーティです。
娘に連れ合いはイタリアンレストランをやっているので、今日は不在なのです。

孫のにこは、お寿司が大好きで、今日も頑張ってたくさん食べていました。
そのあと、ケーキですが、孫は卵アレルギーなので、これも娘が頼んでいたのが昨夜届いたのです。
これまた幸せそうな顔で孫は食べていましたが、お寿司を食べすぎたせいか、ケーキよりもイチゴをたくさん食べていました。

こういう場が、私はかなり苦手です。
節子がいたらさぞかしにぎやかになると思いますが、私はむしろお邪魔虫的存在なのです。
パーティ的な集まりがどうも苦手です。

孫にはほしいと言われていた絵本をプレゼントしました。
ユカは私とジュンにプレゼントを用意してくれていました。
私やジュンと違って、ユカはいまも、プレゼントをやるのが好きなのです。
節子の文化は、ユカに引き継がれています。

ユカへのプレゼントは誰も用意していませんでした。
困ったものですが、まあユカはもうそうした家族にも慣れているでしょう。
私は、お売れ前途がどうも苦手なのです。

ちなみに私へのユカからのプレゼントは、サンタさんの袋のような、大きな袋にはいっていました。
開けてみるとベッドの敷マットとベッドカバーでした。
そういえば、ベッドカバーももう長いこと替えていません。
娘の心遣いに感謝しました。
ジュンはいまはまだそういう余裕がないのでしょう。

親は、プレゼントをもらっても、もらわなくても、いろいろと思うものです。
今年は誰も節子へのプレゼントはありませんでした。

 

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■節子への挽歌4857:お正月料理の買い出し

節子

ユカがおせちを買いに行くというので、荷物持ちに同行しました。
今回は近くのスーパーで間に合わせるそうです。
リフォームと娘家族との同居で、家の中はまだ倉庫状況なので、全員で集まっての食事は中止なのだそうです。

それでも節子の文化を継承して、最小限のおせち料理は用意してくれるでしょう。
では既成の「おせち料理セット」を購入する文化はないのです。
しかし最近はちょっと危うい感じもしますが、今のところ私の希望はかなえられています。

両親と一緒にお正月を祝っていたころは、今から思うと豪華なお膳でした。
豪華という意味は、心を込めて手をかけたという意味です。
大みそかの年越しは、いつも、母や節子は料理作りで紅白など見ている時間はありませんでした。
その記憶が私にはしっかりあるのですが、娘たちにはどのくらいあるのかちょっと心配です。
でもまあ、今のところ、ユカはがんばって料理しています。

もっとも今年は、料理品目は減るようですが。
何しろ来客もなくなり食べる人が少なくなっているからです。

まだ同居していなかった頃、母は正月に来る息子家族のために頑張ってくれましたし、同居後は節子も一緒になって、兄家族を迎える準備をしていました。
両親と同居したのは、兄家族ではなく、私たち家族だったからです。
母は節子がとてもお気に入りでした。
まあ、私の唯一の親孝行は、それだけです。
私が大きく後悔せずにすんでいるのは、節子のおかげです。

お正月は節子がいたころのわが家にとっては、一大イベントだったのです。
だから料理食材の買い出しも、いつも家族総出で出かけました。
しかしもうそういうことはないでしょう。
ちょっと寂しい気がしますが、どうしようもありません。

せめて「無駄遣い」をしようと思って余計なものも買い込んだら、予想外の金額になり、驚きました。

でもまあ、最近はカード払いなので、お金がなくても買えるのです。
まあこれもちょっと不安がないわけではありませんが。

節子のいないお正月も、もう14回目です。

 

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■節子への挽歌4856:今年はよく手洗いをしました

節子

一週間ほど前から手の甲がまるで内出血したように赤くなってきました。
痒くもないので放置していましたが、直りません。
どこか内蔵の関係かもしれないとユカが心配して、医者に行くように勧めていますが、まあたいしたことはないだろうと放置していました。
しかし一向に改善される兆しがないので、今日、皮膚科に行ってきました。

まず驚いたのはお医者さんがあまりに混んでいたことです。
いつもなら帰るのですが、年末年始に何かが起こると大変なので、我慢して1時間近く待ちました。

診察は2分。要するに肌荒れだそうです。
水仕事していますか、と訊かれましたが、心当たりがありません。
もしかしたら、コロナの関係で、ともかく外出のたびに手をよく洗っていたからかもしれません。
保湿クリームをもらってきましたが、私以外の人の多くも同じなのでしょうか。

コロナ感染防止のために、外出は減らしませんでしたが、手洗いは回数も多くなり時間もかけるようになりました。
まさかコロナの影響がこんなところに出てくるとは思ってもいませんでした。

 

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2020/12/24

■節子への挽歌4855:年末ジャンボ

節子

ユカのローストビーフはおいしかったです。
ただ私は肉料理は苦手なので、もう一度食べたいとはあまり思わないのですが。

今日はクリスマスイヴ。
私はこういう商業ベースに使われるイベントにはほとんど興味がないのですが、クリスマスだけは節子が祝っていたので、まあなんとなくなじみがあります。
明日、わが家ではクリスマスのパーティがあるようですが、私も今年はサンタに贈り物を頼むことにしました。

といっても、夢のある贈り物ではなく、極めて現実的なお願いです。
それは「ジャンボ宝くじ」で一等を当ててもらうことです。
3000万円あれば、私がやってしまった「不祥事」はすべてちゃらにできて、そのうえ、私がやりたいことが実現できるのです。
それに当たるのは私だけでなくてもいいのです。

というのは、私の周りにいる邪念のない善意の2人の人が事情が年末ジャンボを買ったのだそうです。2人とも、たぶん初めてのジャンボです。
その人たちがもし当たったら私の寄付してくれるというのです。
自分から当たったら寄付するよと自分から言ってくれたのは1人だけですが、残りの2人には私から頼んでしまいました。

一応、全員に3000万円をお願いしました。
3000万円あれば、とりあえずいま取り組みたいことができますし、それ以上もらうともう少し長生きしなければいけなくなりそうなので、3000万円にしてもらったのです。

私自身も買いましたので、4人のうちの誰かが当たればいいのです。
サンタにはぜひ誰かに当ててほしいとお願いしました。
その4人なら(私も含めて)、10億円当たっても人生を踏み誤ることはないでしょう。
私が保証します。

さて誰かが当たるでしょうか。
当たったらこれからはクリスマスをしっかりと祝おうと思います。
当たらなかったら、それでも来年からもクリスマスは祝うことになるでしょう。
孫と同居したからです。

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■節子への挽歌4854:ローストビーフ

節子

今日はユカががんばってローストビーフにチャレンジしています。
今日の夕食はローストビーフだそうです。
まだ食べていないので、何とも言えませんが、ローストビーフと言えば、思い出すのが節子の初めてのローストビーフづくりです。

私は肉料理があまり好きではないので、節子はヘビーな肉料理はあまり作りませんでしたが、会社の職場仲間をわが家に招待した時に、若い人が多かったこともあり、節子が初のローストビーフに挑戦したのです。
まあ見栄えはよかったのですが、あとで節子は失敗作だったと言っていました。
それも何回か言っていたので、かなりの失敗作だったのでしょう。

たぶん私はほとんど食べなかったので、記憶には残っていないのですが、何が失敗だったのかもわかっていないのですが、節子はよほど気になったのか、「失敗だった」という話を私は何回も聞かされていますので、ローストビーフと聞くといつもそれを思い出すのです。

さて娘のローストビーフはどうでしょうか。
節子に食べてもらえないのが残念です。

さて、そろそろ夕食のようです。

 

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■節子への挽歌4853:節子がいなくなってしまった年末は寒いだけです

節子

新型コロナの感染者がますます増えています。
今年はコロナに振り回された年でしたが、年末になってもその勢いは弱まるどころか、ますますの広がりです。
最近はわが家に来る人もみんなマスクをしていますので、来客への対応はたとえ玄関口でもマスクを置いておかねばいけません。
私自身も最近は電車内でマスクをするようになりました。
コロナ感染者は増えているのに、電車が混みだしてきたからです。
どうも世の中はちぐはぐです。

まあ、ちぐはぐのまま、今年は終わるのでしょう。
何しろもう1週間ほどで今年も終わります。
にもかかわらず年末という感じが全くしません。

節子がいたころは、1週間ほど前からもう年始の準備で大変でした。
しかし今は来客もなく、家族も少なくなったので、おせちも最小限になりました、特に準備もありません。
それに今年は倉庫状況なので、花を飾るところもありません。
簡素なお正月になりそうです。

年賀状を書かなくなってもう10年近くになります。
これも以前は大仕事で、3日ほどかかって、節子の版画を転用させてもらって、年賀状を書いていました。
一番多かったころは1500枚近くも年賀状を出していましたが、節子からは多すぎるといつも言われていました。

節子は数の上では、私の十分の一でしたが、書き上げる時間は私と同じくらいでした。
宛先も一つ一つ手書きでしたし、何よりも、1枚ずつ時間をかけて書いていました。
私も必ず手書きのメッセージを書いていましたが、節子には粗雑だと言われていました。
手紙は書けばいいというわけではない、というが節子の持論でした。

年末は、節子の存在感が大きくなる季節でした。
節子がいたから年末が楽しかったと言ってもいいかもしれません。
節子がいなくなってしまった年末は、ただただ寒いだけです。

今日は寒いので午後はずっと本を読んでいました。
目がしょぼしょぼになってしまいました。

 

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2020/12/23

■節子への挽歌4852:子どもの声が聞こえる生活

節子
今日から孫のにことの同居です。

朝、パソコンに向かっていたら、ドアをたたく音がします。
どうぞというとドアが開いて、孫のにこが顔を出しました。
今日は母のジュンが検診で保健所に行くので、にこは留守番なのです。
そのおかげで、半日、孫と付き合いました。

ところが、今はにこは私には話をしないのです。
理由は先日、人形の絵柄のカバンを買うのを断ったからかもしれません。
関係や人形デザインの商品は私の担当ではなく、ユカの担当なのです。
それに、駄々をこねると私はもう絶対に買ってはやらないのです。
それでにこはちょっと会話ストをやっているのかもしれません。
困ったものですが、まあそれでもコミュニケーションは成り立ちますから大丈夫です。

ユカも今日は在宅だったので、基本はユカが対応しましたが、まあにこが部屋にいるだけでも気分が一変します。
おもちゃを買いに出かけようかと誘ったのですが、外出は断られました。
にこも相当に頑固です。

お菓子を出しても基本的には食べません。
もっともこれは「スト」とは関係ありません。
たまごアレルギーで、つらい思いをしたために、食べるものは母親の許可がないとだめなのです。
実に母親の指示に従う子なのです。
困ったものですが、まあ一人っ子で、しかもあきらめかけた時の高齢出産でしたので、いささか過剰に愛されているので仕方ありません。
ともかくにこは母親が大好きなのです。

1階と2階とのできるだけ干渉しない関係を大事にしようと思っていますが、さほど広い家ではないので、時々下からにこの声が聞こえてきます。
一応、ドアで仕切ってはいるのですが、完全に閉じているわけではなく、一か所だけ開放部を作ったのです。

子どもの声が聞こえる生活はちょっと新鮮でとてもいいです。

 

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■第5回益田サロン「予防注射と免疫」のご案内

細菌学者の談話室のようなスタイルで、来年も隔月くらいに益田昭吾さんのサロンを開催していく予定ですが、来年最初の益田サロンの話題を「予防注射と免疫」に設定しました。

と言っても、参加者の関心に合わせて柔軟に対応してもらえると思います。いつものように、サロンの初めに参加者の関心事を出してもらい、それを踏まえて益田さんには話をしてもらう予定です。私は、今回もまた、免疫がらみで、自己非自己の話を改めて聞きたいと思っています。
もちろん、新型コロナウイルスの話題も、サロン開催時の状況によっては話題にしていきたいです。ワクチンの話も出るかもしれません。

初めての方も含めて、どなたでも歓迎です。

〇日時:2021年1月23日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「予防注射と免疫」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■節子への挽歌4851:惜しみながら捨てる

節子

在宅で1日が終わってしまう日が多くなっているのですが、家にずっといると、生活にリズムができにくいので、挽歌がなかなか書けません。
毎朝、起きてすぐに挽歌を書くというのが、基本だったはずですが、それが崩れてしまっています。
何とかそのリズムを取り戻そうとしているのですが、1日、在宅するとなると、まあ後でいいかなどと思ってしまいがちなのです。
困ったものですが。

在宅の割には、やることはいろいろとあります。
外出する日はもっといろいろとあります。
怠惰になる口実は、いつも「忙しさ」です。
だから「忙しさ」と「暇」は私のは同義語なのです。

「倉庫暮らし」ももう3か月を超えましたので、慣れてきてしまいました。
まあこれでもいいかと思わないこともないのですが、このままで死んでしまうと娘たちも大変でしょう。
だから死ぬ前に生活環境を整えなければいけません。

この歳になって生活環境を整えるとは、周辺を身ぎれいにしておくこと、つまり物をなくし、人付き合いも整理しておくということなのですが、それが結構難しい。
物一つ捨てるにも、それは思いを捨てることなので、時間が必要なのです。
惜しみながら捨てたいからです。
そのためなかなか整理ははかどらないのです。

昨日はかなりの物を捨てました。
しかし、捨てようと思っていたのに、いざ捨てようとすると、やはりもう少し手元に置いておこうなどと思ってしまうこともあります。

一時期、フクロウの置物を集めていました。
その関係で、節子の友人がフクロウをデザインした壁時計を送ってきてくれました。
たぶん私も会ったことのある方だと思いますが、節子がなくなって以来、次第に付き合いも途絶え、最近は交流がありません。

その時計は使っていないので今回廃棄しようと思ったのですが、昨日はやはり残してしまいました。
こういう繰り返しを2,3回してから、ようやく捨てることができるのです。
そんなわけでなかなか整理が進まない。

物の整理は、まさに人生の整理なのです。

日があけてきました。
朝焼けがきれいです。
今日もいい日になりそうです。

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2020/12/22

■節子への挽歌4850:ジュン家族が転居してきました

節子

目まぐるしい1週間でした。挽歌も書けませんでした。
今日、ジュン家族が転居してきました。
明日から孫とも一緒の、にぎやかな生活になります。

と言っても、一応、生活はきちんと分けようということで、ジュン家族は1階、私とユカは2階と住み分けることにしました。
庭の手入れは基本的にジュン家族に任せることにしました。
2階のベランダに少し持ってきましたが。

転居の片づけも終わっていないのですが、みんなで近くの夢庵で夕食しました。
地味なお祝いですが、まあ我が家にはふさわしいでしょう。

さて生活がどうなっていくのか、不安もないわけではありませんが、まあ生活が変わるのはいいことです。
明日から少し挽歌を頑張って書こうと思います。
今日は疲れたので寝ます。

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■湯島サロン「日本の聖母信仰を通して日常生活と神道の関わりを考える」報告

日本の神道における「聖母信仰」をテーマにした本間さんのサロンは、「プロローグ」でした。大きな物語が始まることを予感させるサロンであり、今回は、そのプロローグとして、有史以前より続いている大地母信仰の話から始まり、日本の聖母信仰(神功皇后信仰)の伝統を時代背景や国家の成り立ちにまで言及しながら、ていねいに話してくれました。

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今回の参加者も、いつもとは違い女性が多く、半数が女性でした。
ちなみに案内でも書きましたが、日本の場合、聖母は「しょうも」と発音するそうです。

本間さんは、最初に、子と母を一緒に祀る母子神信仰が聖母信仰につながっていくことを話してくれました。その根底にあるのは「豊穣の祈り」であり、聖王を生み育てる存在への感謝です。

私たちは聖母というとすぐに聖母マリアを思い出しがちですが、そもそも「聖母」は中国では漢の武帝の時代からあった言葉のようです。また、聖母の処女懐胎も東西共通しているそうです。世界各地に伝わる神話や伝承には共通することが多いですが、聖母信仰も処女懐胎も、その一つのようです。

日本における「聖母」の文字の初見は、現在のところ13世紀だそうですが、その対象となる聖母は「神功皇后」で、八幡信仰とつながっています。
かつては神功皇后は有名な存在でしたが、最近はあまり話題にはなりません。そこで本間さんは、神功皇后とはどのような存在だったのかを、記紀や風土記などの伝承を中心に解説してくれました。

このあたりの話は実に面白くて私も大好きなのですが、紹介しだすときりがないので省略して結論だけを言えば、神功皇后聖母信仰が創られたのは8世紀で、当時の国際的緊張関係を背景に、各地で別個に伝わっていた女神神話を統合して、国家守護神としての聖母=神功皇后を生み出していったのではないかというのが本間さんのお考えです。

ちなみに、神功皇后の子供は応神天皇。「神」の文字を諡号に持つ天皇は3人しかいませんが、普通に考えれば、王朝の始祖と考えられますが、応神天皇はその最後の天皇で、しかもその母は神の文字を諡号に持つ唯一の皇后というのは、とても興味深い話です。
また応神天皇は、「八幡神」として神格化されていて、応神天皇を祀る大分の宇佐神宮は、伊勢神宮に並んで皇室の「宗廟」になっています。

とまあこういう話をしてくれた最後に、本間さんは、神功皇后聖母信仰は、日本の「イエ」の典型であり象徴でもある皇室の現在につながっているとともに、日本の「イエ」を守る神にもつながっていた、というのです。つまり、日本の伝統的家族制度の問題にもつながっているというわけです。

残念ながら今回は、そこまでで時間切れ。本間さんが呼びかけた問いかけは次回以降に持ち越されました。
神功皇后信仰と家族制度がつながっているとは思っていなかったので、本間さんの問いかけに興味をそそられましたが、最後に本間さんはさらに大きなメッセージを出されました。

混迷している世界の状況に対して、日本の神道に果たす役割があるのではないかというのです。日本の神道に、そんな普遍性があるのかという意見もありましたが、デカルトと神道を学んだ本間さんがそういうのであれば、神道にはデカルトから始まる近代西欧を超える何かがあるのでしょう。
となれば、やはりこのテーマは何回か続けていきたくなりました。

というわけで、来年から本間さんには連続で、神道サロンを開催してもらうことになりました。時々、他の人にも神道を語ってもらいながら。

話し合いも示唆に富むものだったのですが、長くなったので省略します。

私は本間さんの話を聞きながら、映画「ターミネーター2」で、主人公のサラ・コナー(この映画では「聖母」にあたる存在です)の言葉を思い出していました。
「生命を生み出せるのは女。男が作るのは死」

しかし私には神功皇后は、どうも大地母神的な存在には思えないのですが。
子どものころ見た神功皇后の像の写真に、母性や慈愛を感じなかったのです。
サラ・コナーにも感じませんでしたが。

 

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2020/12/21

■年末年始のオープンカフェサロンのご案内

今年も湯島でのサロンへの参加や支援、ありがとうございました。
おかげさまで、今年も何とか湯島を維持できました。

新型コロナ騒ぎで、中止になったサロンもありましたが、そういう状況であればこそ、十分に注意して、不特定多数ではない特定多数の集まりを持続したいと思い、新型コロナのことがある程度わかってきた5月からは、昨年よりも回数を増やしてしまいました。
ところが後半になるにつれ参加者も増えてきて、主催者としてはいささかひやひやすることも少なくありませんでした。

ちなみに、昨年末にはサロンのネット配信やzoomの活用を予告し、それへの準備も進めたのですが、コロナ騒ぎのおかげで、やはりオフラインに特化しようと心変わりしてしまいました。

現在、このメーリングリストへの参加者は400人を超え、そのゆるやかなつながりからいくつかのプロジェクトも育ってきています。
こんな話をしたいという申し出も増えてきました。このサロンを介して、ゆるやかな「結い」やコミュニティがゆっくりと育っていけばと思っています。
もし湯島のサロンで問題提起したいとか、プロジェクトを立ち上げていきたいという方がいたら、気楽にご連絡ください。
これまでもお話ししているように、湯島のサロンは前に向かって物語が生まれるプラットフォームを目指しています。知識を学ぶだけの場ではありません。

昨年と同じく、年末年始にテーマなしの、そして出入り自由なオープンサロンを開きます。
年末は12月29日(火曜日)、年始は1月4日(月曜日)です。
いずれも午前11時頃から午後4時頃です。
湯島天神や神田明神のお詣りのついでにでも、コーヒーを飲みにお立ち寄りください。
来てもいいことはないでしょうが、悪いこともないと思いますので。

今年もたくさんの新しい世界を学ばせてくださった皆さんに感謝しています。

 

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2020/12/18

■節子への挽歌4849:ココアのおすそ分け

節子

節子も知っている升田さんから、ごひいきの白金のチョコレート専門店にココアやチョコレートチップを買いに行ったので、そのおすそ分けですと荷物が届きました。
玉木屋の煮豆なども入っていました。
今年は彼女には万葉集サロンでお世話になったのですが、これもまた関係が逆な気もします。お礼を贈るのは私なのではないか。
どうも私の周辺では関係が普通の逆になることが多いのです。

なぜか荷物の隙間を埋めるためにということで、近くの住吉神社の夜祭に使う手ぬぐいまで入っていました。今年はコロナで行事が中止になったそうです。

今年も余すところ2週間もありません。
にもかかわらず、あんまり年末感がありません。
あっという間に新年を迎えるのでしょうか。

 

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2020/12/17

■節子への挽歌4848:zoom講演会

節子

今日は以前やっていた山城経営研究所の経営道フォーラムのzoomミーティングに参加しました。
コロナ騒ぎに対応したzoomプラットフォームのプログラムです。

経営道フォーラムは、その第1回目からパネラーで参加し、その後、長年、チーム研究のアドバイザーをやっていました。
その卒業生を対象に、1時間ほど話をするという企画です。

zoomは私の性には合わないのですが、まあ昔のメンバーに会えるというので引き受けました。
多くの人はもう企業経営の現役から卒業していますが、なかには今も社長をやっている人もいます。

経営道フォーラムのプログラムとは別に、次の世代を対象にしたエグゼクティブコースもあって、そこでは一時期、開講時のキースピーチをしていたのですが、それを聴いたメンバーも参加してくれました。そのコースはあまり継続的な付き合いはしていなかったので顔を思い出せなかったのですが、私の話が衝撃的だったので、今回は参加させてもらったという発言を聞いて、ちょっと嬉しい気がしました。

私の話はたぶん現役の経営者や経営幹部には、いささかとげのあるメッセージを含んでいるので、反発を持ったり無視したりする人も少なくないのです。

1時間半のzoom会議でしたが、これまでのzoomミーティングの中では、一番手ごたえがあった気がします。
まだ部屋が片付いていないので、節子の仏壇の横で話していましたので、節子が聞いていたかもしれません。

 

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2020/12/16

■湯島サロン「色彩心理で自分のキャラクターを知ろう」報告

色彩心理カウンセラーの鈴木やすこさんの「色彩心理で自分のキャラクターを知ろう」は、当日の鉄道事故などのため参加者が少なかったこともあって、ゆっくりとしたワークショップが実現したので、参加者としてはとてもよかったのですが、もっと多くの人に聴いてほしいと思った内容でした。
自己診断だけではなく、他者とのコミュニケーションやチームづくり、仲直り、さらには空間設計などを考える上でも示唆にも富んでいるからです。

色彩心理学は、今世紀になってアメリカで誕生した心理学です。色の根源的な性質や特質、色と人間の心の諸要素との関連などを主として研究する学問だそうです。
今回、鈴木さんは、カラーセラピストの飯田暢子さんが開発したプログラムの一つである「カラーメンタリング」を中心に、実際に参加者とワークしながら色彩心理学の入り口を紹介してくれました。

鈴木さんは最初に、80項目の質問を矢継ぎ早に問いかけ、その問いかけに対して、各自、配布されたシートにチェックさせるワークから始めました。
配布されたシートは10グループに分かれていて、そのそれぞれに8つの質問が行われたのですが、その10のグループには、色が決められていたのです。

今回は主に、外に向けてのエネルギーと内に向けてのエネルギーの強弱を確認するワークでしたが、それによって自らのコミュニケーション指向や他者との関係のとり方などがわかるわけです。

こう書くととても分析的に聞こえて退屈ですが、カラーメンタリングでは、人の心身の中には10人の小人が住んでいると考え、その小人たちの個性を色で表し、その小人たちを「マイキャラプロフィール」としてイメージ化してくれるのです。「小人」という表現は私の勝手な表現ですが。
しかも、その10人は、お互いに補い合ったりする役割も演じてくれるのですが、それも色によって説明されます。つまり「心のマルチ・ネットワーク」が見事に色で可視化されるというわけです。
その活用策はいろいろとありそうです。

この種のワークがとても苦手の私も、楽しく付き合わせてもらいました。その結果、私があまり内省的ではないタイプだということが判明してしまったのは心外ですが。
鈴木さんは、色彩心理学を学ぶことで自らの人生も変わったことを話してくれましたが、うまくいけば、私ももう少し内省的になれるかもしれません。

色によって、心の意識・無意識、あるいは感情を浮き上がらせることで、日常のモヤモヤやイライラの背景がわかるとしたら、自分のセルフセラピーにもなりますが、そういうワークもあるそうです。
他にも、さまざまなワークや方法が、飯田さんのグループには蓄積されているようです。
今回は、そのほんの一部を紹介してくださったのですが、言葉ではなく色を媒介にすることに興味を感じました。色は、言葉と違って、嘘をつかないからです。

今回は参加者が少なかったので、年が明けたら、もう一度、鈴木さんにまたサロンをやってもらうようにお願いしました。
またご案内しますので、興味のある方はぜひご参加ください。
鈴木さんはアドラー心理学をベースに、さまざまなカウンセリングや研修活動も行っています。本格的に詳しく知りたい方は、鈴木さんをご紹介しますのでご連絡ください。

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■節子への挽歌4847:今日は穏やかないい朝でした

節子
今朝もまた、日の出をずっと見ていました。
東の空が朝焼けできれいなので見入っているうちに、日が昇ってきたのです。
20分ほども見入っていました。
節子と一緒に毎年初日の出を見ていたのを思い出しながら、です。

そうして始まった1日だったからか、今日は目いっぱいたまっていた宿題をやりました。
明日、久しぶりに経営道協会に頼まれて、企業の経営幹部の人たちにzoomで話をするのですが、そのためのパワーポイントを作成しました。
経営道協会のプログラムのアドバイザーを辞めてから、もう10年近くたつと思いますが、その時の卒業生が相手です。
雑談のつもりで引き受けたのですが、1時間ほど話をしてほしいというので、いささか憂鬱だったのですが、まあせっかくの機会なので、新型コロナパンデミックで何を学んだかと問いかけることにしました。
相変わらずむなしい問いかけになりかねないのですが。

最近の世情は、私には狂っているとしか思えないのですが、そういう社会にどう対処していいかわかりません。
そこがもやもやとして気が晴れない理由なのですが、太陽の光や澄んだ空の青さを見ていると、少しは和らぎます。

今日はいい1日でした。
まだ終わってはいませんが。

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2020/12/15

■升田万葉集サロン第1期のまとめ

升田万葉集サロンの過去12回(第1回~11回および番外編)での話を升田さんにまとめてもらいました。

 ■「た」から覚醒する「わ」

「歌(序詞)」+「言」→「神の領域」+「人の領域」。歌の構造をこのように説明した。「序詞」は修辞ではなく、下の語と意味上、感覚上、融即的に深くかかわる。

階級を持たない「た」の世界の原質は、神と共生する意識の温床としての霊的世界にある。「た」は「他」ではなく「多」として無意識的な空間を形成し、「わ」はその中でゆるやかに共生する。

神の領域「歌(序詞)」に依ることで、人の領域「言」を自由に発声している。「歌(序詞)」の原質が自然をはじめとする神々の心(ことば)にあるから、それに依る信頼は「言」を、自由にした。したがって、「言」は、自我の主張語ではない。むろん、記号化した言語でもない。からかい、悪口、反発、憧れ、情熱、労苦、悲涙…全てゆるやかに受容し、集団共有の感興、連帯感が歌を明るくする。神の領域は、共生を広げ、互いの理解を思いでつなぎ、「言」のコミュニケーションを助ける。

かつて聞いた神の言葉(神話)は、言い伝えられてゆく内に慣用というフィルターが懸けられ、異なる方向へと転換する。『万葉集』は、その変わりゆく前後のありようをとどめた“存在史”である。

やがて神と人との分化が「歌」の様相を変化させ、個の抒情へとかたむいてゆく。

このような“存在史”の中で、「た」から「わ」が覚醒するありようが見えてくるが、「文学」意識とはまだ遠いかもしれない。特に、作者不明歌(東歌)においてはである。が、将来に文学とは何かを問うときの礎として大切に思う、人間の営為の一つである。

 ■「な」と「名」

「わ」と対峙する最小単位の「な」。「な」を意識して「わ」は新しい自分を意識できる。そして、「な」の「名」がさらに、「た」の中の「わ」の存在の意味を想起させるであろう。

神話は、神々の名によって世界に秩序が生まれ、天地が創造されて行くところから始まる。「名のり」の「のる」は、「名」が呪性を持つことを示しているが、「名」は属性を示し、「名」付けることによって生命が付着し、そのものに霊性が定まる。

生命は永遠であり回帰するという思想は「名」が永遠の生命を持つことは、物語、伝説や日分などに象徴されている。

古代の「名」のりは、生命をもらう(あげる)ことにつながる。雄略天皇の赤猪子の話(記)は、一見美談のようにもきこえるが、異なる解釈ができるであろう。ことは、「名」を聞いたところから始まっている。『万葉集』巻頭歌の雄略天皇の歌に、「家聞かな 名告らされ」とあるのもそれと不可分ではない。

 ■人麿の詩性

人麿の詩性を、死者の「わ」と交換する霊性から見てゆく。
近江荒都歌を読み直して、それをたしかめたい。同時代の高市黒人の近江の歌とくらべてみても、宮廷歌人と称される人麿の方が、作者不明歌の世界に遥かに近い。

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■第11回万葉集サロン「再びの人麿」報告

番外編を含めて、升田さんの万葉集も12回目です。
毎回の報告でもお伝えしていますが、升田万葉集サロンはただ万葉歌を読んで楽しむだけではありません。万葉の歌を通して、日本列島に住んでいた人たちが、「人間」として覚醒していくのを追体験しようというのです。こうした取り組みは、これまであまりなかったように思いますが、話がどんどん深まっていくので、一度立ち止まって、これまでの話を整理してもらいました。
これまでのサロンで語られてきたことを改めて総括して理解が深められたのですが、文字(論理)でまとめるといささか難しくなり、初めての方にはちょっと戸惑いがあったかもしれません。初めて参加された方から、翌日次のようなメールが届きました。

本日は、びっくりぎょうてん、驚きの会でした。
さまざま思うことがありました。
万葉の古代は、本当におおらかに毎日を過ごしていたのですね。
神の世界を借りて婉曲表現を使う世界。
現代なら反グローバリズムですが、そこが好きです。
いろいろ展開できる内容でした。

升田万葉集サロンの雰囲気をちょっと感じてもらえるかもしれません。
まとめの話の後、升田さんはいくつかの歌を読んでくれましたが、そのなかで、近江荒都に寄せる柿本人麿と高市黒人の歌を通して、東歌のおおらかな霊的世界がどう変わっていったのかを感覚的に感じさせてくれました。
話し合いでは、歌から言葉にそして文字へという変化も少し話題になりました。
また「神の世界」と「人の世界」も話題になりました。

今回また面白い話がありました。
「あなた」という言葉に、「あ(吾)」と「な(汝)」と「た(多)」が凝縮されるという話です。
これまでサロンに参加されてきた人にはちょっと気になる話です。

升田さんが整理してくれた、これまでの話の骨子は、1200字ほどの短い文章ですが、1冊の本に匹敵するほど示唆に富む内容です(私の個人的意見ですが)。関心のある方がいたらご連絡いただければお届けします。
これだけを深く話し合うサロンをいつか番外編として企画できればと思っています。

私は、今回のサロンの話で、上代日本の世界に少し触れたような気がして、数日は興奮状態になっていました。言葉の誕生の秘密もわかったような気がしました。
以下は勝手な私の妄想です。
東歌を文字にしたのはだれかという質問も出ましたが、東人たち(日本列島に住んでいた人たち)はきっと鳥のさえずりのように音声を発していた(歌を歌っていた)。それを文化人類学者ならぬ朝廷の官僚たち(多くはいわゆる渡来人)がやってきてフィールドワークを行い、それを人類学者がよくやるように、自分たちの「知識」で整理していく。その過程を通して、形式化された歌が生まれ、言葉が生まれ、文字が整理されてきた。
そして個人の意識や意思が育ちだし、人の関係が構造化され、社会が生まれた。
あくまでも私の妄想です。

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■節子への挽歌4846:コロナ騒ぎがつづいています

節子

新型コロナウイルスの感染者は相変わらず増加傾向です。
今日もまた東京では500人近い感染者が確認されています。
まあ日本の政府は経済重視の感染拡大政策を展開していますし、国民も悪いのは政府だという無責任な人が圧倒的に多く、自分では積極的な予防策をとっていない人が多いので、感染拡大は当然だと思います。

コロナ感染が広がって得をする人も少なくないでしょう。
さらにまた、まもなくワクチンが開発されて、誰かが犠牲者になるのでしょう。
これまでも何回も繰り返されたことなので、私には飽き飽きする話ですが。

しかし私は、たぶん他者からは、無防備で無責任とみられているでしょう。
マスクをしないで電車に乗ることも多いですし、県外である都心の湯島にも毎週通っています。湯島でもめったにマスクはしていません。
しかし自分ではしっかりと予防策をとっていますし、細心の注意は払っています。
政府の指示に身をゆだねるような馬鹿な行動をしていないだけです。
万一、私が感染したとしても、政府のせいにはすることはないでしょう。
政府の無策さを責める人と違って、政府にはもともと期待していないのです。

我孫子でも連日感染者が出てきています。
娘は慎重派ですので、数日前に一時熱が出てから外出を一切やめ、かかりつけの医師に電話で行ってもいいかと電話してから、医師に行ってきました。結局、風邪だと診察されましたが、それでも念のためと数日、自室にいました。
私の娘なのに、どうしてこんなに違うのか不思議です。
しかし、同居している以上は、娘の考えも尊重しなければいけません。

わが家の玄関にはもちろんアルコール消毒が置かれていて、外出後は手洗いうがいをしっかりとしています。新聞を取りに玄関の外に出ただけでも、手を洗うように言われていました。ちょっとやりすぎのように思うのですが、娘の指示なので仕方がありません。
私ももちろん、ちょっとでも体調が悪いと外出はやめて、休養をとるようにしています。効くかどうかわかりませんが、サプリも飲んだりしています。
睡眠時間は十分に取り、食事も気をつけています。
感染の危険性を感じるところでは、マスクもきちんとしています。
まあそういうことは、新型コロナに限らず、インフルエンザなどの時も同じでしたが。

新型コロナ騒ぎはいろんなことを気づかせてくれました。
私には、それはとても望ましいことです。
コロナで騒いでいる人と同じ時代に生きていることのむなしさにかなりめげてはいますが。

 

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■節子への挽歌4845:なぜ人は話すようになったのか

節子

また挽歌の番号と節子後の経過日数とが20程ずれてしまっています。
年内に追いつこうと思っていたのですが、どうも難しそうです。
無理をせずに、ゆっくりと追いつくことにしました。

先日、ダニエル・エヴェレットの「言語の起源」という本を読みました。
私の関心は、なぜ人は言葉を身に着けたのだろうかということなのですが、本書によれば、自然と発声し、それが言葉になり、文字になったようです。そして、言葉を話し、文字が書けるように人間が変化した。
私が知りたかったことは何もわかりませんでしたが、わかったのは、鳥のさえずりから九官鳥が話をしだすようなことなのだということです。

悲しみや喜び、驚きや不安が、「叫び」や「振動」を起こし、音になる。
その音が多様に豊かになり、共有できるようになる。
その繰り返しから、音や声が意味を持ち出し、共用されるようになり、音声と意味が共有されてくる。
鳥の鳴き声がコミュニケーション手段になるように、人の叫びや歌が言葉になっていく。
まあそんな感じでしょうか。

先日、万葉集サロンをやりましたが、そこでも言葉の誕生に関連した話題がでました。
人は神に仮託して自らを育てていったという話です。
そんな本を読んだり話し合いをしたせいか、昨夜はおかしな夢を見ました。
人のさえずりの中から、言葉が生まれだす世界に、私がいるのです。
そこでは言葉が通じ合えない。

不思議な夢でしたが、目が覚めた時に、とても不安な感じでした。
目が覚めた後、バベルの塔が崩れ落ちた後の世界を思い出しました。
バベルとは散乱という意味があると、「言語の起源」に書いてあったような気がします。
最近思考がかなり散乱しています。
この歳になって、なぜ心が乱れるのか。

困ったものです。

 

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■節子への挽歌4844:毎日起きてくるのが楽しい人生を送らなければいけません

最近、朝目が覚めると何とも言えない「むなしさ」を感じることがあります。
今朝もそんな気分で目が覚めました。
覚めてすぐにパソコンを開きました。

先日、私の講座を聞いた人から、自分がやりたいと思っていることを伝えるメールが来ていました。
会社に勤めている人です。
その人に、その思いに関する感想を返信しておいたのです。
勝手ながら匿名で、その一部を引用させてもらいます。

今まで「まずは会社を愛すること」という忠誠心にしばられて、「おかしい・これは変だ!」ということに目をつむり優等生として自己実現を図ってきたことを昨年からの佐藤さんの事業構想論により、気づくことができました。
(中略)
この学びを通して自分を知ることが少しずつできてきています。
(中略)
毎日起きてくることが楽しいです。
寝込むほど落ち込んでみたり、いつまでもいつまでも気にして恨んでみたりと、
人は聖人ではないので何とも色々と心を動かしまたいろいろに変化するものだと、
そんな自分を随分と好きになることができました

あの世にいくのはまだもう少し先にしていただいて!(^^)!
まだまだご教授いただけること楽しみにしております。

ちょっと元気が出ました。
私の話が少しこの人に役立っていると思うと、ほんの少しですが、むなしさが消えていきます。サロンで話していて、最近強く感ずるのは、私の思いは伝わらないというむなしさですので。

それにしても、毎日起きてくるのが楽しいとは、まるで昔の私のようです。
昔は本当に毎日起きるのが楽しくで、起きたとたんに何かを始めていました。
そんな人生が変わったのは、節子がいなくなってからです。
節子がいなくなってからの朝は、いつもどこかにむなしさや不安感や、何とも言えぬ悲しさがあえるのです。

しかし最近は何かをやりたくなっている気分も少しだけ出てきました。
今日も、朝起きてすぐにパソコンに向かって、気になっていたことを仕上げました。
新しい物語が始まる準備です。
むなしさは消えませんが、前に進むことは少しできるようになってきています。

それが終わった後で、上記のメールを読みました。
ちょっと元気が出ました。
私も、毎日起きてくるのが楽しい人生を送らなくてはいけません。

何が邪魔をしているのでしょうか。
まあ、あの世にいくのはもう少し先に延ばしてもいいかなと思い出しています。

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2020/12/14

■湯島サロン「ゲノム編集」のご案内

遺伝子と詩吟を愛する理学博士の山森さんにお願いして、「遺伝子技術」に関するサロンをやってもらいましたが、時間切れで、ゲノム編集の話までたどりつけませんでした。
そこで山森さんにお願いして、もう一度、「ゲノム編集」に焦点を当ててのサロンをお願することにしました。

「ゲノム編集」という言葉は、最近では新聞などでもよく目にするようになりました。
あまりに専門すぎて、自分にはあまり縁がないのではなかと思っている人もいるかもしれませんが、医療や食を通して、私たちの生活に深くつながっています。
さらに、ゲノム編集は生命倫理にも深くつながっているテーマですので、生命倫理にも言及してもらえると思います。

今回も前回同様、初歩的な質問を許してもらいながら、わかりやすく解説してもらう予定です。
山森さんは科学に関する一般的な知識の普及が大切だと考えていますので、前回もそうでしたが、どんな質問にも質問者がわかるまでていねいに説明してくれますので、気楽のご参加ください。
「ゲノム」などという言葉も知らないという方も、もちろん歓迎です。

科学に関する知識が得られると、世界の見え方もちょっと違ってきます。
多くの人のご参加をお待ちしています。

〇日時:2021年1月17日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「ゲノム編集の話」
〇話題提供者:山森俊治さん(遺伝子と詩吟を愛する理学博士)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2020/12/12

■節子への挽歌4843:相変わらず時間を浪費しています

節子

昨日はなんとテレビを5時間も見てしまいました。
テレビドラマ「7人の秘書」と映画「ロクヨン」です。
一時、暇すぎたので、テレビドラマばかり見ていた時期がありましたが、テレビドラマは同じ話の繰り返しなので、見なくなっていたのですが、またみてしまったのです。
見ればそれなりに面白い。

「7人の秘書」は「ドクターX」のような荒唐無稽な話なのですが、そこからのメッセージは快いほどに勧善懲悪です。
こちらは完全な娯楽作品で見終わるとすっきりするのですが、「ロクヨン」はとても重い映画で見終わった後もすっきりしません。
今頃なんで観たのかと言われそうですが、何かが原因で、半年ほど前に観たくなったので娘に頼んでいたDVDが届いたのです。

5時間も続けてテレビを観ていたら、目も疲れますが、見終わった後に、ああ無駄な1日だったという後悔に襲われてしまいます。
もっとやるべきことがあったのではないか、と罪の意識まで浮かんできます。
困ったものです。

5時間を使って、部屋の片づけをしたら、かなり片付いたはずです。
5時間を使って、机の上に積んでいるフアン・リンスの「民主体制の崩壊」を読めたはずです。
5時間を使って、来週頼まれているZOOMで頼まれている1時間の話の準備ができたはずです。

先行きの時間がそんなにないと知っても、人はやはり無駄に時間を使うものです。
困ったものです。

今日はもう少し意味のある時間を過ごそうと思います。
うまくいくといいですが。

 

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2020/12/11

■節子への挽歌4842:貧しいものは救われる

節子

午前中、リフォーム工事の細かな作業の追加でクロス関係の人などが来てくれました。
その関係で、昼食を食べそこなったので、娘が回転寿司に行こうということになりました。私と違って、娘はお寿司が好きで、お寿司なら何でもいいのです。
待ち時間があるといやなので、確認してもらったら、空いていたので今日はスシローで昼食でした。

前回は意外とスシローもおいしいではないかと思い、予想以上に食べられたのですが、今日は食が進みませんでした。
2皿ほど食べたところで、全くおいしく感じられずに、食が進まなかったのです。
私につられてしまい、娘もあまり食べませんでした。

娘は、先日、武田さんにおいしいお寿司をごちそうになったので、まだその時の味覚が残っていて、おいしいと思わないのではないかというのです。
確かに言われてみるとそうかもしれません。
同じものを食べても、前回はおいしいと思ったのに、今日はおいしく感じない。

回転寿司は寿司ではないという人は、いつもきっとおいしいお寿司を食べているのでしょう。私のように、普段あまりおいしいお寿司を食べられない貧しい人は、どんな回転寿司もおいしく食べられる。
さてどちらが幸せか。

どんなお寿司もおいしく食べられるほうが幸せなのではないか。
そんな気がします。

いつもおいしいお寿司を食べられるのが、一番幸せではないかという考えもあるでしょうが、そのためにはたぶん失うものも多いはずです。
おいしいものは、たまに食べるのがいい。
分不相応な食事は、人を不幸にしかねません。

次回は断らないといけませんが、さて断れるでしょうか。

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2020/12/10

■節子への挽歌4841:恒例の花かご会のカレンダーが届きました

節子

恒例の花かご会のカレンダーを山田さんが持ってきてくれました。
この活動も来年で20年になるそうです。
今年は我孫子市の市制50周年なのですが、その関係で市からの表彰も受けることになったそうです。
こうした地道な活動が認められるのはうれしいことです。
節子が元気だったらどんなに喜ぶことでしょう。

ただメンバーはなかなか増えないようです。
そこで今度、まちづくり編集会議で呼びかけてもらうのはどうかと思いつきました。
どういう形での呼びかけがいいのかまだ思いつきませんが、若い世代に知ってもらうだけでもいいかもしれません。
節子がいたらどういうでしょうか。

最近は花かご会の作業日である水曜日に駅を通ることがほとんどなくなりましたので、皆さんが作業しているのに出会うことがなくなりました。
また機会を見て差し入れに行こうと思います。

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■節子への挽歌4840:人生は早く旅立ったほうがいい

節子

先日の階段事故の痛みは病院で骨に異常なしと言われた後も、痛みが日増しに強まっていたのですが、ようやく痛みが快方に向かったのを実感できるようになりました。
やはり歳をとると回復も時間がかかるのでしょう。
昨日まではくしゃみをしたり笑ったりすると痛みが走り、つらかったのですが、今日はもうほぼ大丈夫です。
テレビ体操はまだ自重していますが、身体を動かすのも不自由はなくなりました。

しかしちょっとした事故で生活が一変してしまう恐れがあることを改めて実感しました。気を付けなければいけません。

痛みはなくなってきたのですが、この2週間ほど、身体を動かすことが少なかったので、多分どこかに不都合が生じていると思います。
そのうえ、2階での生活体制が整ったので、階段の上り下りも以前に比べて一挙に減ってしまいました。
テレビ体操もそろそろ復活し、意識してもっと歩くようにしなければいけません。
しかしだからと言って、散歩しようとは思わないのですが。
こういう時にはやはり節子の不在が残念です。
そういう意味では、最後まで一緒に散歩する相手がいた節子は幸せだったというべきでしょう。

やはり人生は早く旅立ったほうがいいです。
最近つくづくそう思うようになりました。
せめて、身体が不自由になることは避けたいものです。

もう少し注意深く生きたいものですが、それが私には難しい。
困ったものです。

 

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■湯島サロン「スマホ5G時代のSNSの効果的な活用法」のご案

私のように、どんどん時代に取り残されていく世代のことはお構いなしに、コミュニケーションツールとしてのスマホはますます進化の速度を速めているようです。であればこそ、スマホに背を向けることなく、スマホを使いこなしていくことがますます必要になっているように思います。
そこで湯島サロンでも、新しい生活ツールとしてのスマホを取り上げることにしました。スマホの技術的進歩に管理されないように、逆に使い込んでいくことを学べればと思います。

お話しいただくのはソーシャルメディアマーケティング代表の菅野弘達さんです。
コロナ禍によって社会のコミュニケーション方法が大きく変わりつつあるなかで、菅野さんは引っ張りだこですが、実践者として新しい道を切り開いている菅野弘達さんに今年最初のテーマサロンをお願いすることにしました。

菅野さんからのメッセージです。

コロナ禍、会社も家庭もテレワーク、ステイホームでコロナ前よりスマホやSNSを使うことが格段に増えました。期せずして、スマホが5Gになりました。4Gより速度が20倍になるということは、これからの主流は、テキスト→静止画→ほぼ動画になっていきます。

コロナ禍で、露呈された日本のIT活用力の低さ、いや無さ!

いまさらデジタル庁を作ったところで欧米から20年くらい遅れてしまったので、今さら追いつきはしません。…なので、個人のSNS、スマホのリテラシーを高めていかないと、益々、世界からおいてけぼりになってしまうと危惧しています。

現在の日本のSNSのリテラシーは、世界は元より、アジアの中でも最低であります。

このような状況を踏まえて「スマホ5G時代のSNSの効果的な活用法」のお話をさせていただければ幸いです。

5G導入に伴う電磁波障害なども話題になっていますが、新しい技術はいずれもメリットもあればリスクもあります。先日の山森さんのサロンでも話題になりましたが、まずはきちんとした知識を学ぶことが大切です。
時代の流れに抗うためにも、まずは時代の流れをしっかりと見つめたいと思います。
「否定」からは何も始まりません。
ぜひ新しいコミュニケーションの世界を学びたいと思います。

菅野さんは、ZOOMを活用しての新しいサロンをしたいのではないかと思いましたが、今回は私のわがままで、いつものようなオフラインでのサロンです。
よろしくお願いします。

〇日時:2021年1月16日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「スマホ5G時代のSNSの効果的な活用法」
〇話題提供者:菅野弘達さん(SNSコミュニケーションの名手)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2020/12/09

■湯島サロン「ローカル線廃止問題から見える地方の現状と将来」報告

「乗り鉄」の溝端さんの「ローカル線廃止問題から見える地方の現状と将来」のサロンには15人の参加者がありました。
ローカル線ファンが多いのに驚きました。

溝端さんは全国のローカル線を乗り歩く旅が好きだそうですが、その体験も踏まえて、ローカル線の実情やそこに込められた問題をていねいに話してくれました。

最初にローカル線廃止の背景として、「沿線人口減少に伴う利用者の減少」と「最近の大規模自然災害による被害からの復旧の難しさ」を挙げ、北海道や九州の具体的な状況を話してくれました。
そして、どうしてこうなってきたのかを、経済や地域開発スタイルの変化で説明したうえで、なぜ廃止が問題なのかをバス転換の難しさにも言及しながら話してくれました。また、ローカル線維持のための解決策の一つとして、上下分離方式(軌道事業と運行事業を分ける考え)を採用した京都丹後鉄道の事例を紹介してくれました。
最後に、そうしたローカル線の現状と課題から見えてくる日本の地方の問題や人口減少問題について問題提起してくれました。
そこには、たくさんの問題が含意されています。

ただ、都市住民の人たちで語ってしまうと、どうしても都市住民の発想の議論になってしまい、ローカル線沿線で生活している人たちはどう考えているのだろうかと、いつも気になります。そもそも「ローカル線」というネーミングも私には違和感があります。
鉄道問題に限りませんが、日本で地方の問題が語られる場合、「都市」や「国家」からの視点で語られることがほとんどで、私はそこにいつも大きな違和感をもっています。

サロンでも話が出ましたが、鉄道は、生活のためという視点よりも、経済開発の視点で広がってきました。鉄道が日本の高度経済成長に果たした役割は極めて大きいものがあります。
象徴的に言えば、地方から大量な労働力を集めるために鉄道が日本全国にはりめぐらされたと言ってもいいでしょう。鉄道を通して多くの安い労働力が都市や工業地帯に集められたことが、日本の経済成長の最大の理由でした。
しかし、いまや地方から呼び集める労働力はもう国内の地方には多くはありません。

日本で鉄道が最初に敷設されたのは、鉱山からの鉱石の搬出用でしたが、鉱石を掘りつくせばその鉄道は廃線になる。同じように、地方に余剰労働力がなくなれば、廃線になるのは当然です。鉄道輸送だけで採算が取れるはずはありません。
そろそろ「経済のために鉄道」というとらえ方を見直す必要があるでしょう。

鉄道を社会のインフラとして捉え、経済的な採算基準を変えなければいけないのではないかという議論もありました。たしかに新自由主義経済の下で民営化された日本やアメリカと違い、軌道も運行も公営を守っているフランスでは、今も鉄道交通網はしっかりと維持されています。

「生活のための交通インフラ」という発想に立てば、おそらく現在の問題の立て方とは全く違ってくるでしょう。しかし、残念ながら大きな流れは「観光のための鉄道」にと相変わらず「経済発想」に向いています。せめてその「観光」が「地域を輝かす」という意味での観光であればいいのですが、お金を落とす消費者(観光客)を呼び込もうという発想が多すぎて、私には悲しい思いがします。

そもそもローカル線がなくなって、その地域の住民たちは移動に関して本当に困るのか。
私見ではあまり困らないような気がします。むしろ、高齢化の中で、生活のための交通システムこそが問題なのではないか。

私も15年ほど前に新潟市のある地域で住民たちが自分たちでバスの運行会社を立ち上げようというプロジェクトにかかわったことがあります。コンパクトシティの話も出ましたが、生活視点で考えると問題は全く違ってくるような気がします。
「生活のための交通システム」という視点からは鉄道は重装備すぎて、たぶんこれからもますます廃線が増えると思います。
せっかくのレール施設を活かすという発想は大切だと思いますが、その場合は思い切り発想を変える必要がありそうです。

ローカル線廃止から見える「人口減少問題」も話題になりました。
私自身は人口が減少することがなぜ問題なのかわかりませんし、それ以上にそれを埋めるために海外から労働力を呼び込むなどという、まさに身勝手な経済成長路線には反対ですが、なぜかほとんどの人がそうした「経済成長発想」で考えているようです。
そもそも「過疎」とか「限界集落」とかいう概念がなじめません。
経済成長や市場づくりにとっては、人口減少は問題かもしれませんが、生活から言えば、大切なのは人口にあった生活のあり方であり、人口の年齢構成だろうと思います。

他にも、流域生活圏発想のような沿線生活文化圏の話題も少し出ました。
鉄道運賃の話や定住人口と関係人口の話、さらには日本が世界の引っ越したい国ランキング2位の話も出ました。
鉄道を話題にすると話はどんどん広がるようです。

どうも鉄道への親近感を持っている人は多いようですが、最近の若い世代はどうなのでしょうか。
それがちょっと気になりました。

Local20201206

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2020/12/08

■節子への挽歌4839:汗がいい人を育てる

節子

エアコンが入りました。
1階にはあまり使うことのないエアコンがあるのですが、2階にはエアコンはありませんでした。2階のほうが暑くて寒いのでエアコンは必須だと言われていたのですが、私が好きではなかったのです。
しかしこれからは生活の中心が2階になるので、エアコンを設置することになりました。
これでもう夏も冬も大丈夫でしょう。
生活環境が徐々に整えられています。

2階のリビングのカーテンもつけました。
相変わらず散らかっていますが、ネット環境もほぼ完了しました。
ネットに関しては、これまで1階にあるルーターを2階に持ってくる予定で、工事会社に依頼し、先週来てくれたのですが、光回線のセンターを2階に持ってくるのは大変だと言われました。
というよりも全室にLANが配線されているので、要はそこにWi-Fiルーターをつければいいということがわかり、せっかく来てもらったのに、工事が不要になりました。
来てくださった工事会社の人は、太川陽介に似た人で、とても親切に説明してくれたうえ、代金の請求もなく、とても気持ちのいい対応をしてくれました。

今回のリフォームで何回も体験しましたが、汗を流して働いている人はみんないい人ばかりで、汗がいい人を育てるという私の仮説がまた証明されました。

唯一LAN回線が配線されていない寝室も部品をつければWi-Fiが現在使用中のデスクトップパソコンもネットができると坂谷さんに教えてもらったので、早速、その部品も頼みましたので、寝室をPC作業場にしようかと思います。

こんな感じで、リフォーム後の環境整備も少しずつ進んでいます。
ただ、今もまだ節子の位牌壇は仮置きのままです。
もう少し待ってください。

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2020/12/07

■節子への挽歌4838:湯島の継続問題が解決しそうです

節子

湯島のオフィスを維持するのはそれなりに大変です。
去年はもう引き払おうと思ったほどですが、何とかまだ維持してきています。

ところが来年はもしかしたら、湯島の維持が経済的に楽になるかもしれません。
2つのグループから、湯島を利用したいので、家賃の一部を負担するという提案があったのです。
両方を合わせると10万円近くになります。

ある人からの寄付が毎月あるので、それを充当してきましたが、コロナもあって、今は寄付がなくなったうえに、私の貯金が底をついたのです。
それでも最近はサロンの会費も比較的みんな入れていってくれるので、管理費はそれでほぼできるようになりました。
毎月、20万円ほどかかりますので、あと毎月5万円ほどの負担ができれば大丈夫なのです。
節子が残してくれた資金があれば、全く問題ないはずだったのですが、それはある事件ですべてなくなってしまったので、この2年は結構大変でした。

サロンの会費を払わない人も多いのですが、自分の経済状況が厳しくなると、そういう人が多いとちょっと人嫌いになってしまい、それで自分が嫌になることも少なくなかったです。
まさに「貧すれば鈍する」です。
お金というのは本当に人の本性をあらわにし、恐ろしい      ものです。

来年は、そういう状況から抜け出せそうです。
これで少しは「人嫌い」に陥ることも少なくなるでしょう。

 

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■節子への挽歌4837:リンカーンクラブがまた始まります

節子

昨日、リンカーンクラブの武田さんから電話が来ました。
久しぶりに湯島に来るというので、急いで出かけました。

実は武田さんとはちょっと行き違いがあって、猛煙を切ろうと彼が言い出して数か月音信不通だったのですが、1か月ほど前からまた長電話がかかってくるようになったのです。
これまでも何回も繰り返されたことですが。

急いでいったのですが、間に合わず、彼を待たせてしまいました。
久しぶりですが、武田さんはいわゆる基礎疾患を抱えていることもあって、コロナ騒ぎが始まって以来ずっと自宅だったそうです。
久しぶりにあった割にはあんまり大した話もせずに、またまた危うく言い合いになりそうになりました。
困ったものです。

武田さんは、またリンカーンクラブを再開したというのです。
これもこれまで何回も繰り返された会話です。
まあ長い付き合いなので仕方がありません。

武田さんの相談料は「うなぎ」と決まっています。
私のような貧乏人はうなぎなど食べられないだろうという、武田さんの心遣いからです。
それで湯島のおいしいうなぎ屋さんに電話しましたが、日曜日なのでお休みでした。
しかたなく庶民らしい定食屋に行こうと思ったらそこもお休み。
それでお寿司屋さんに行きました。

コロナのためお客さんが減ったそうですが、それなりに混んでいました。
私にとっても久しぶりのお店です。
武田さんはお寿司と言えば久兵衛だと言って、以前私を連れて行ってくれましたが、その武田さんが久兵衛よりもおいしかったと言っていました。
確かに最後に食べた大トロは久しぶりにおいしかったです。
何しろ貧乏な庶民としては、回転ずししかいけないので、そもそも握ってもらうことな最近はないのです。

まあこうやってごちそうになってしまうとまたリンカーンクラブもやらなければいけません。
まあ武田さんと付き合いの葉もあと数年でしょう。
どちらが先かはわかりませんが、彼がやりたいというなら、それなりに一緒にやろうと思いますが、まあまた喧嘩別れする可能性は大きいです。

来年の1月にリンカーンクラブ再開のサロンをやることにしました。

 

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■節子への挽歌4836:お金に餌付けされた社会

節子

また時間の進み方が速度を増してきているようで、挽歌が追いつきません。
時間の速度は時々変わってしまうので、それに合わせるのを時々失敗してしまいます。時間の速度が速まったのに、私の心身の速度がダウンしてしまっているのです。
困ったものです。

5日は生活哲学学会の講座でまた3時間話をしました。
テーマは、「事業構造総論」です。
私の「事業」の捉え方は、プロジェクトであり、生きることですので、最初はみんな戸惑うでしょう。
しかし、話していて、それなりに伝わったとは思うのですが、やはりあまりにもみんな「お金」の呪縛されているのが伝わってきます。
今回はかなり手稲に話したので、それなりの手ごたえはありました。

ところがそのあとがまたよくありませんでした。
山口県の地域おこしプロジェクトにプロボノとして協力させてもらっているのですが、夕方、その関係のプロボノミーティングがありました。
みんなの発言を聞いていると、やはり「地域おこし」が「お金」に深くつながっていて、産業おこしや資金集め(たとえばふるさと納税のような)のほうに向きがちなのです。
プロボノのたちがまるで自分の稼ぎ仕事を探しているようにさえ感じられて気分が悪くなりました。

念のために言えば、今回参加しているプロボノ達にはそんな思いの人はおらず、みんな善意で誠実に取り組んでいるメンバーばかりなのですが、だからこそ、その根底に感じられるお金の呪縛に気分が悪くなったということです。
みんな意識することのないほどに、お金浸けの世界に生きている。

そんな1日だったの、とても気が萎えてしまいました。
こういう気分の時には、節子に慰めてもらいたいなあと思います。

 

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■湯島サロン「仲直りを広げよう」のご案内

2021年の最初のサロンのテーマを「仲直り」にしました。
社会の「分断」が問題になっているなかで、いろんな意味での「仲直り/和解」がますます大切になってきているように思います。

湯島でのサロンは本来、いろんな人の出会いを目指してきていますが、そこでは「分断」とは反対のベクトル、「寛容」と「共生」を大切にしています。それも受け身ではなく、むしろ相互に「越境」し「異論」をぶつけ合い、わかり合うことを目指しています。
「対立」や「馴れ合い」からは、何も生まれないというのが、私の思いです。
そこで重視しているのが、不幸にして起こってしまった「行き違い」を見直す「和解/仲直り」です。

そんなこともあって、来年から湯島を拠点に「関係改善支援の会」の活動も始まるのですが、どうも私もその仲間に入っているようです。
そこでいささか身びいきなのですが、その活動の中心になっている吉本精樹さんに、仲直りをテーマに、サロンをやってもらうことにしました。
吉本さんはこれまでもさまざまな仲直りに取り組んできていますので、なぜ「仲違い」が起こってしまうのか、そしてどうしたらそれが解決されるかなどを具体的な事例も紹介してもらいながら話していただ、「仲直り」の知恵を学べればと思います。

誰にも、ちょっと仲違いしている家族や友人・知人がいると思いますが、来年は「仲違い」を解消する「仲直りの年」になるように、たくさんの人の参加をお待ちしています。
個人生活の面での仲直りが広がれば、きっと世界も平和になるでしょう。
湯島から、その風を起こしていければうれしいです。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2021年1月9日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「仲直りを広げよう」
〇話題提供者:吉本精樹さん(仲直りサポーター)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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2020/12/04

■節子への挽歌4835:3つの「私」

節子

先日の階段事故による打撲の痛みが、一向に治りません。
というよりも、痛みが増しています。
骨の異常は見つからなかったのですが、大胸筋に問題が生じているのでしょうか。
リフォーム後の片づけで、身体を使わざるを得ないのですが、時々、痛みで声を出すほどです。
身体のありがたみがよくわかります。

身体が自分の思うように動かないことは普段はあまりありませんから、身体のありがたさはあまり意識したことがありません。
節子が闘病中、一緒に散歩した時に、身体のことに気づいたことはありますが、その後また忘れてしまっていました。
今回、最初はあまり痛みを意識しなかったのですが、病院で待っているときに、若い友人から、「痛みをきちんと意識したらどうか」とアドバイスをもらったのです。
確かにそうだと異思い、痛みを意識しだしたら、だんだん痛くなってきたような気もします。

身体が痛いと、身体への思いやりが生まれます。
いや身体への感謝といってもいいでしょう。
これまであまりに粗雑に身体を扱ってきたこと肉付きます。
それを改めようと思います。
私にはなかなか難しいでしょうが。

よく言われることですが、3つの「私」がある。
身体の私、思考する私、感ずる私です。
どれが「私」なのかはわかりませんが、もう少し身体の私を意識し提供と思います。

 

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■湯島サロン「2020年を振り返る-新型コロナが問いかけたこと」のお誘い

2020年は歴史の分岐点になるかもしれないほどの「特異」な年になりましたが、皆さんにとってはいかがでしたでしょうか。
その2020年も、何やらすっきりしないままに終わろうとしています。

そこで今年最後のテーマサロンは「2020年を振り返る-新型コロナが問いかけたこと」をテーマにすることにしました。
ただ言葉だけで振り返るのではなく、湯島のサロンらしく「一人称自動詞」で、それぞれの生き方や生活を振り返れればと思っています。
そこで、今年の初めに、ハンナ・アレントのサロンをしてくれた、デザイナーの林さんに、自分の生活の変化を絡ませながら、今年を振り返ってもらい、それに合わせて、参加者それぞれの1年の振り返りができればと思っています。
ちなみに林さんは、昨年、40歳を迎えたばかりで、これからの生き方を改めて考えようとしていた矢先のコロナ騒ぎでした。

「コロナ前」「コロナ後」という言葉が使われ始めていますが、世代によって、その受け止め方は全く違うでしょう。それは同時に、それぞれが今をどんな社会ととらえているかにつながっています。
湯島のサロンを続けていて感ずるのは、同じ時代に生きているはずなのに、世代や立場によって見えている世界や感じている世界は違うのだということです。
同じ時代の違う世界に生きている。
世界が違うので、コミュニケーションも難しい。
しかし違いがわかれば、仲良くはできるはずです。それ以上に、学び合うことができるでしょう。そうなれば、お互いに人生は豊かになる。

林さんのメッセージをお伝えします。

インターネットのせいかスマホのせいかSNSのせいか、実は大事なことからどうでもよいことまで、日々次々と起こる様々なことが地球中を縦横無尽に駆け巡り、通り過ぎるのを眺めているだけで目眩がします。せめて年末には一旦立ち止まって、今年はどういう年だったのか、振り返って考える時間を作りたいと思いました。お暇な方はお付き合いください。

どんなサロンになるかわかりませんが、お時間が許す方はぜひご参加ください。
なお、新型コロナ感染予防のために、感染予防には十分に留意されてのご参加をお願いします。

〇日時:2020年12月27日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「2020年を振り返る-新型コロナが問いかけたこと」
〇話題提供者:林裕也さん(フリーランスのグラフィックデザイナー)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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■緊急サロン「日本茶会運動の呼びかけ」報告

緊急サロン「日本茶会運動の呼びかけ」は、平日の午後の急なお誘いにもかかわらず12人の参加者がありました。コロナ感染がある程度抑制されている福岡からわざわざやってきてくださった玉井さんの2時間近くにわたる熱弁は、止まるところを知らず、止めなければ無限に続いたような気さえします。

玉井さんはまず、私がフェイスブックで書いた記事の中にある、日米の政治の違いを次の4点に整理してくれました。

日本ではアメリカと違い、国民と政治がつながっていない。
日本の政府組織には人間を感じない。
争点が明確なアメリカ、同じに見える日本。
日米ともに分断が進んでいるが、日本の方が分断が陰湿。

そしてアメリカでの生活体験を踏まえて玉井さんが実感しているアメリカの政治について、3点を指摘してくれました。
まずは「日本とは納税の形が違う。国による徴収が基本の日本と違い、アメリカは税がもっと自立・自治的」。
次に「三権の形が違う。アメリカでは、三権のすべてで、事務局と調査機関をもっている。明確な地域での三権があれば、自治を与えられる」。
そして「アメリカではそもそも自治は〈憲章(Charter)〉を通して自分たちで創られる」。

そして、日本でも、アメリカのように、国民が税に目を向け、自治に目を向けて行動を起こすべきではないかというのが、玉井さんの呼びかけです。税こそが政治と国民をつなぐ大きな仕組みなのではないかというわけです。
そして、その活動の拠点になるのが、「茶会」、ティーパーティーです。

玉井さんの呼びかける「茶会運動」には2つの意味が込められています。
まずはアメリカの「茶会運動」、いわゆるティーパーティー運動です。
アメリカのティーパーティーといえば、アメリカ独立戦争につながる「ボストン茶会事件」、そしてオバマ大統領時代の「大きな政府」路線に対する抗議運動を思い出す人が多いでしょう。いずれも「もう税金はたくさんだ(Taxed Enough Already)」の頭文字をつなげた“TEA”と「茶会」を重ねています。

玉井さんが「茶会」に込めたもう一つの思いが、利休につながる日本の「茶会」です。
玉井さんは、日本の歴史を振り返ると、最も節度のある美を創り出しているのは、利休の時代だといいます。茶会にはその理念が象徴されている。
その時代精神に戻る運動が、玉井さんの考える「日本茶会運動」なのです。

話のポイントは以上なのですが、玉井さんはそれにつながるようなさまざまな思いを自分の体験とつなげながら、2時間の熱気あふれる呼びかけをしたわけです。
ただ思いの強さが勝ちすぎて、では具体的にはどう動くのかが参加者には十分に伝わりませんでした。そこで、話し合いでは、そう言う質問が玉井さんに向けられました。
ところが玉井さんは、それをみんなで考えていきたいというのです。
そういうことを話し合い、行動につなげていく話し合いの場を全国に広げていきたい、今日は私にとってはその最初の場だというのです。
なるほど、それこそが「運動」です。誰かに何かを期待している限り、運動は起こらない。賽(サイ)はどうも参加者に投げられたようです。

話し合いでは、地域通貨の話とか、地方自治と税制度の話とか、日本刀を持つと意識が変わるとか、2時間話しっぱなしの茶会は茶会なのかとか、いやさまざまな茶会(サロン)があってもいいとか、スイスの民間防衛の話とか、いろんな話題が出ました。

サロンでは時間切れで玉井さんは直接は話されませんでした、資料によれば、玉井さんの思いは次のようなことのようです。

政治運動であり文化運動でもある「日本茶会運動」を始めたい。
それは、「文化」と「政治運動」をつなげた「文化政治運動」である。
心まで変わらないと本当の意味での改革はできない。
「政治運動」としては、まずは「源泉徴収ストップ運動」から、そして、「地方税」減税によるインセンティブでの地域づくり運動を展開する。さらには、憲法改正によるすべての税の地方税化を図りたい。
「文化運動」としては、日本文化で最も誇れる美しさをつくりだした、「茶の湯が生まれた時代精神」の復興を目指したい。理屈を超えた「美」で、目指すところを設定する。「茶会(茶文化の会)」を開いていきたい。

玉井さんの熱い思いが強すぎて、話題が飛び交ったため、こうしたメッセージが必ずしも参加者に十分シェアできなかったのですが、まあそのおかげで、本音がぶつかり合うサロンになった気もします。
玉井さんは、思いも含めてパワーポイントをまとめてきてくれていましたが、途中で時間切れになってしまって、肝心のこの部分までたどりつかなかったのです。しかし、玉井さんの話を聞いて少し頭が冷えたところでこのパワーポイントを読み直すと、玉井さんの意図がよくわかります。
関心のある人には、そのパワーポイントを配布するようにと玉井さんから頼まれました。ので、私宛にご連絡いただければ、お送りいたします。
それをじっくりと読めば、サロンに参加されなかった方も、玉井さんの思いは実感できると思いますので、ぜひお読みください。
そして玉井さんのメッセージを受けて、それぞれに何かを始めてもらえれば、わざわざ福岡からコロナの危険をおかしてやってきてくれた玉井さんも報われます。
来年もし機会があれば、玉井さんのその後の活動の話も少し話してもらうとともに、参加者の話もじっくりと聞いてもらうサロンを企画したいと思っています。玉井さんの熱い思いを鎮めなければいけませんから。

Tamai20201201

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2020/12/03

■節子への挽歌4834:柳田邦夫さんの思い出

柳田邦夫さんのインタビュー記事を読んで思い出したことがあります。

以前、もう30年以上前のことですが、柳田さんの取材を受けたことがあります。
まだ会社にいたころの話ですが、私が取り組んでいたプロジェクトに関連して、社長が取材を受けることになり、私も同席させてもらいました。
取材は無事終わったのですが、終わって職場に戻ると、柳田さんから電話が来ました。
名刺交換していたので私の電話番号がわかっていたのです。
会社近くの喫茶店にいるので、会いたいという電話でした。

当時はまだ会社は自由な雰囲気があり、私は毎日のように、勤務時間内にも1度か2度は近くの喫茶店で過ごしていましたので、何の抵抗もなく、出かけていきました。
そこで2時間近く話し合いました。
柳田さんの取材姿勢に感動しました。
実に丁寧に、そして誠実に、ディテールをついてくる。

私はもちろん当時も柳田さんの著作はそれなりに読んでいました。
他のノンフィクションライターとは違うとは思っていましたが、その理由がわかったような気がしました。
以来、ノンフィクションという作品を見る目が少し変わった気がします。
取材の後も、ていねいな礼状が届きました。
当時私も取材はそれなりに受けていましたが、通り一遍の令状は来るものの、人柄を感じさせる令状は初めてでした。

その時の取材内容は、柳田さんの著作に書かれています。
社長の発言よりも私の発言が実名で書かれている。
実名が出るのは、組織人の場合、あまり喜ばしいことではありませんが、事実を正確に伝えるのであれば、社長よりも私の発言のほうが正確なことは言うまでもありません。
建前の報告であれば、社長に言葉のほうが効果的ですが、現場の実態は社長にはわかるはずがない。
どこを見て取材しているかが、そこにはっきりと表れます。

私が柳田さんと会ったのは、その時だけです。
柳田さんの作品はそれなりに読ませてもらっていますが、あの取材のときに柳田さんのイメージがあるので、言葉の一つ一つが、いつも私には生き生きと伝わってくるのです。

 

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■節子への挽歌4833:「あいまいな喪失」

節子

今朝の朝日新聞の「いま考える「死」とは」と題する、柳田邦夫さんのインタビュー記事が掲載されています。
「あいまいな喪失」とは、「はっきりしないまま、解決することも、終結することもない喪失」のことで、死者の最期に時間を共にできないときに起こる喪失感です。
私には体験はありませんが、そのやりきれなさは想像できます。
立ち上がれなくなる人は少なくないでしょう。

私は両親も節子も、3人とも最期を共にできました。
節子とは最期はもちろんですが、死後も2晩ともに時間を過ごしました。
今はあまり記憶がありませんが、3晩かもしれません。
お通夜の後の夜は、広い葬儀場で、真夜中も節子と2人だけで過ごしました。
異様な体験もしましたが、ゆっくりと話せました。
ですから「あいまいな喪失」ではないのですが、それでもその喪失感から立ち直るのは時間がかかりました。
いやいまなお完全には立ち直れはいないかもしれません。

だからこそコロナによる死者との面会を拒否することには大きな違和感があります。
どう考えてもおかしい。
感染を防止することは難しい話ではないはずです。
感染予防という名目で、死に際に会えないとか死者との接触を認めないというのは、私には理解できません。
どこか間違っている。
その一事をもってしても、今のコロナ対策は基本から間違っているとしか思えません。

柳田さんは、インタビューに答えて、思い返す中に亡き人は生きていると言っています。
その言葉にも、心から共感できます。
仮想現実で死者をよみがえらせる技術には、共感は全くできない。
もっとも実際にそれが現実化したら、心が揺らぐかもしれませんが。

 

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■節子への挽歌4832:家族の財布

節子

昨日から寒さが厳しくなりました。
家庭な転居でバタバタしていて、庭や室内の植物へのケアが不十分で、注意しないとまたさらにいくつかの植物を枯らしてしまいそうです。
室内は少しずつ片付けていますが、なかなかたづきません。

今日は、片づけはちょっとお休みして、寒さに備えてセーターを買いに行きました。
節子がいたころは、毎年、11月頃に新しいセーターを買うのが決まりでしたが、節子が病気になって以来、その習慣はなくなりました。
ということはもう15年ほど、新しいセーターは買っていないということです。
最近はきたこともなくしまわれていたセーターを引っ張り出してきていますが、それもだんだんなくなってきました。

衣服を買いに行くのは苦手で、いつも娘のユカに同行してもらい、娘に買ってもらいます。
私は昔から財布も持っていないので、お店で実際にお金を払って買うという行為が苦手です。節子がいたころは、すべてを節子がやってくれていました。
今はカードで簡単に変えるのですが、どうも苦手で、いつも娘に頼んでしまいます。
節子役は娘が果たしてくれています。ありがたいことです。

そういえば、一昨日、友人が来て、親の財産状況を知っている子どもたちは少なく、それが時に親子や家族の争いになると話してくれました。
私には信じがたい話です。
そもそも私は節子のいたころから自分のお金という概念がなく、家計はすべて節子に任せていました。ですから夫婦別々の財布を持っている夫婦がいると最初知った時には驚きましたが、それが普通なのだと知ってさらに驚きました。

また親の財産が子供たちに知らされていないので、相続問題がこじれることもあるといわれて、それもまた驚きでした。
私は今は現金はほとんど持っていませんが、銀行貯金の残高もすべて公開しています。
私名義の銀行の預金通帳は娘が保管し管理しています。
自宅などの不動産資産もすべて娘たちも知っています。
それらは娘たちのものでもあると思っていますので、勝手に処分し引き出してもらっても不都合はありません。

まあ現在は、私の貯金残高があまりに少なくて、むしろ入金してもらいたいほどですが、もちろんそれも拒むつもりはありません。
家族であれば、財産もシェアするのが当然だと思っているからです。
家族が広がるということは、そういうシェア関係が広がるということだろうと思いますが、残念ながら今では私はどちらかと言えば、お金を提供される側に身を置いているので、家族はむしろ狭まる感じです。
きちんと稼ぐことができるときに稼いでお金を残し、みんなに開放するべきだったと、数年前に後悔した時がありますが、今となってはもう稼ぐことなどできるはずもありません。

話がずれてしまいました。
セーターは残念ながら気に入るものが見つかりませんでした。
そのうえ、昼食もお目当てのお店に行ったら、行列ができていたので、やめました。
どんなにおいしいお店でも、行列してまで食べる気には昔からなれないのです。

結局、ショッピングモールのフードコートで、長崎ちゃんぽんを食べてしまいました。
今日もまた貧しい食生活でした。
もちろん感謝しながらいただきましたが。

夜は寒いので、鍋にしてもらおうと、具材を買い込んでもらいました。

 

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2020/12/02

■節子への挽歌4831:骨は異常ありませんでした

節子

先日会談で背中を打って以来、横腹の痛みが日増しに強まっています。
最近はくしゃみをしたり欠伸をすると痛みがさします。
夜寝ているときの寝返りもつらいです。

そこで月曜日に病院に行きましたが、あいにく整形外科の診察日ではなく、無駄足だったので、今朝、改めて病院に出かけました。
最近はコロナの関係で、病院はすいているのですが、整形外科医は混んでいました。
1時間半も待たされましたが、レントゲン撮影をした結果、骨には異状なく、打ち身の痛さのようです。
3週間もすれば、直るでしょうと医師は言います。
湿布薬でも出しましょうかというので、それは辞退し、自然の回復に身を任せることにしました。

冬になると階段事故は増えるようです。
頭をうたなくてよかったです。

帰りは病院から歩いて帰りました。
25分かかりましたが、久しぶりの運動でした。
階段事故の後、毎朝のテレビ体操を休んでいるのですが、それもあってか調子があまりよくありません。

1時間半、病院の待合室で待ちながら、節子と一緒にがんセンターで長い時間、いつも待っていたのを思い出しました。
あの時間は、いつもとても不思議な時間でした。
もっといい過ごし方がったはずなのに、いつも無駄に過ごしてしまったなと今となっては後悔するだけです。

病院の待合室にいると、さまざまな物語を感じさせられます。

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2020/12/01

■節子への挽歌4830:久しぶりの玉井さん

節子

久しぶりに福岡の玉井さんが湯島に来て、サロンをやってくれました。
どこで玉井さんに会ったのか思い出せないのですが、ともかく一度、玉井さんと食事をし、その時にアメリカの都市計画家のジェイン・ジェイコブスの話で盛り上がったことだけははっきりと記憶しています。
ともかく自分を生き生きと生きている人です。
そして自分の道を自分で切り開いていく人です。
私とは考えはだいぶ違うと思いますが、そういう生き方にひかれて,以来、つながりが続いているのです。

今回も、玉井さんがひと月ほど前の私のフェイスブックの記事に反応し、それが契機になってサロンが実現したのです。
フェイスブックの私の書き込みは、いつも長いものが多いので、きちんと読む人は少ないでしょうが、玉井さんはよく読んでくださっているようです。
私がけがをしたとかいう、どうでもいいような記事には多くの人が反応しますが、少しでも政治カラーや特別の主張がある記事には、多くの人は反応しません。
そいう風潮が私にはとても寂しいのですが、玉井さんのように湯島に乗り込んできてくれるのはとてもうれしい。

玉井さんは、ともかく「実行の人」です。
フットワークもよく、世界中に出かけているようです。
人生を生き生きと生きている。
今の私にはなかなかできない生き方です。

 

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■湯島サロン「資本主義の先に何があるか?」報告

坪田さんから斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』の紹介をしてもらうサロンは、14人の参加者がありました。
大きなテーマは、改めて経済や社会のあり方を考えようということです。
斎藤さんは30代の若者ですが、サロンにも30代の若者が2人参加しました。
ちなみに、斎藤さんはマルクス研究会の最高峰の賞といわれるドイッチャー記念賞を世界歴代最年少で受賞しています。
提唱しているのは、「脱成長経済」です。

坪田さんは、『人新世の「資本論」』の内容を、しっかりとまとめてきてくれて、各章にわたって内容をていねいに説明してくれました。そして最後に、全体を200字で要約してくれました。それを掲載させてもらいます。

気候変動は人類絶滅の危機。SDGsはまやかし。資本主義では対応不可能。マルクスが晩年に考えたように生産力至上主義を捨て、「脱成長コミュニズム」で対応するほかない。水、エネルギー、教育などを〈コモン〉として共同管理すべき。環境負荷をグローバル・サウスに押しつける「外部化社会」を脱しよう。その挺子が「気候正義」と「食料主権」。「信頼」と「相互扶助」を基礎に参加型民主主義を拡張していこう。

キーワードは、「脱成長コミュニズム」「コモンの共同管理」「気候正義と食料主権」「信頼と相互扶助を基礎にした参加型民主主義」です。要約にはありませんが、もう一つ「多様なローカル運動」も出てきました。
このキーワードはいずれも湯島のサロンで1回ならず登場した概念です。

参加者は、私も含めて、同書を読んでいない人が多かったのですが、同書を読んだ30代の参加者は、合理性と計画経済が20世紀の重化学工業と結びついたために、生産の拡大が社会主義のように思われてしまったが、マルクスの原点では、合理性は抑制のために使われていたという指摘に着目すべきだと問題提起しました。
私の認識不足で、その意味を消化できずに、理念と政治とはいつも反転するものだなどというコメントをしてしまい、議論が深められなかったことを、後になって反省しました。マルクス理解は人によって真反対のことがありますので注意しなければいけません。

もう一人の30代の若者は、弱者が切り捨てられる今の資本制社会の中ではレールに乗れないと生きていけない、と激しく発言しました。
前の30代若者もそうですが、どうも今の社会では、30代の知性は「生きる意味」を見出しにくいようです。2人の強い感受性に、言葉の無力さを改めて感ずるとともに、先日の20代の若者の身体知サロンとはまた全く別のエネルギーを感じました。

彼らの誘導のおかげで、コミュニケーションの捉え方やレールに乗った生き方は幸せなのかなどといった、話にまで広がりました。
斎藤さんが示唆する「価値の反転」とまではいきませんでしたが。

新自由主義的な欲望の資本主義はいま、新型コロナのおかげで、その限界や矛盾が少しずつ見えるようになってきています。斎藤さんが言うように、「資本主義では対応不可能」という認識も高まってきています。
そうしたなかで、改めて、マルクス資本論への関心が戻ってきている。

マルクスは、多くの経済学者と違って、資本主義を歴史を超えたものとは捉えていません。むしろ資本主義は人類の歴史にとっては、一時的な形態だと捉えています。
しかし、まだまだほとんどの人が「資本主義」を批判しながらも、資本主義の枠の中で考えています。資本主義の枠の中で考えている限り、何も変わらない。

たまたまですが、資本主義の枠を超えて暮らしている霜里農場の金子友子さんが参加していました。
彼女たちの生き方から考えると、「脱成長コミュニズム」などという言葉は私にはむなしく響きますが、実際には重なるところもあります。
そういう意味では、霜里農場の実践は示唆に富んでいます。

食料主権に絡んで、金子さんには種苗法の問題を少し話してもらいました。
食は文化の基本であるばかりではなく、生きる基本であり、身体知につながっています。昨今の食文化の劣化には資本主義の象徴を感じていますが、斎藤さんが「食料主権」に注目していることに安堵します。歴史における多くの革命や圧政は、「食」を起点にしているといわれます。

大切なのは、「脱成長経済」は「定常経済」なのかということです。
定常経済は、200年近く前にすでにジョン・スチュアート・ミルが理想の経済として提唱しています。そもそも「成長」とは何かがきちんと語られなければいけません。
そのあたりの「ビジョン」は、本書ではまだ明らかにはなっていないようですが、坪田さんはこれから斎藤さんは書いていくだろうと期待しています。

希望の資本主義は1970代くらいまでは人々を豊かにしてきました。
しかし、1970年代に流れは反転し、希望ではなく欲望の資本主義へと変質し、経済は市場の拡大に向かい、人々は消費者へと駆り立てられました。そして、「顧客の創造」が企業の役割にされだしました。マルクスが危惧したように、汎商品化が進み、今や人間さえもが「商品」になりだしています。

1970年代は、また経済成長の限界が語られだした時期でもありました。
そこからSDGs運動へとつながっていくわけですが、斎藤さんは「SDGsは大衆のアヘンである」と、いささか過激に語っています。
確かに、気候変動危機は臨界点を越えはじめているのかもしれません。

そういう状況の中で、マルクスの「資本論」に戻ろうという動きが高まっているわけです。資本論を通して、資本主義の先を考える。できれば来年の湯島サロンの大きなテーマのひとつにしたいと思います。

Sihonron20201127

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