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2020/12/03

■節子への挽歌4832:家族の財布

節子

昨日から寒さが厳しくなりました。
家庭な転居でバタバタしていて、庭や室内の植物へのケアが不十分で、注意しないとまたさらにいくつかの植物を枯らしてしまいそうです。
室内は少しずつ片付けていますが、なかなかたづきません。

今日は、片づけはちょっとお休みして、寒さに備えてセーターを買いに行きました。
節子がいたころは、毎年、11月頃に新しいセーターを買うのが決まりでしたが、節子が病気になって以来、その習慣はなくなりました。
ということはもう15年ほど、新しいセーターは買っていないということです。
最近はきたこともなくしまわれていたセーターを引っ張り出してきていますが、それもだんだんなくなってきました。

衣服を買いに行くのは苦手で、いつも娘のユカに同行してもらい、娘に買ってもらいます。
私は昔から財布も持っていないので、お店で実際にお金を払って買うという行為が苦手です。節子がいたころは、すべてを節子がやってくれていました。
今はカードで簡単に変えるのですが、どうも苦手で、いつも娘に頼んでしまいます。
節子役は娘が果たしてくれています。ありがたいことです。

そういえば、一昨日、友人が来て、親の財産状況を知っている子どもたちは少なく、それが時に親子や家族の争いになると話してくれました。
私には信じがたい話です。
そもそも私は節子のいたころから自分のお金という概念がなく、家計はすべて節子に任せていました。ですから夫婦別々の財布を持っている夫婦がいると最初知った時には驚きましたが、それが普通なのだと知ってさらに驚きました。

また親の財産が子供たちに知らされていないので、相続問題がこじれることもあるといわれて、それもまた驚きでした。
私は今は現金はほとんど持っていませんが、銀行貯金の残高もすべて公開しています。
私名義の銀行の預金通帳は娘が保管し管理しています。
自宅などの不動産資産もすべて娘たちも知っています。
それらは娘たちのものでもあると思っていますので、勝手に処分し引き出してもらっても不都合はありません。

まあ現在は、私の貯金残高があまりに少なくて、むしろ入金してもらいたいほどですが、もちろんそれも拒むつもりはありません。
家族であれば、財産もシェアするのが当然だと思っているからです。
家族が広がるということは、そういうシェア関係が広がるということだろうと思いますが、残念ながら今では私はどちらかと言えば、お金を提供される側に身を置いているので、家族はむしろ狭まる感じです。
きちんと稼ぐことができるときに稼いでお金を残し、みんなに開放するべきだったと、数年前に後悔した時がありますが、今となってはもう稼ぐことなどできるはずもありません。

話がずれてしまいました。
セーターは残念ながら気に入るものが見つかりませんでした。
そのうえ、昼食もお目当てのお店に行ったら、行列ができていたので、やめました。
どんなにおいしいお店でも、行列してまで食べる気には昔からなれないのです。

結局、ショッピングモールのフードコートで、長崎ちゃんぽんを食べてしまいました。
今日もまた貧しい食生活でした。
もちろん感謝しながらいただきましたが。

夜は寒いので、鍋にしてもらおうと、具材を買い込んでもらいました。

 

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