■節子への挽歌4860:年末感が異様にない年です
節子
毎年、年末には「合唱」をうたっている友人がいます。
昔、ビジネスの相談で湯島にやってきた人と一緒に来た人ですが、そのビジネスとは関係なく、なんとなくその後も湯島に来てくれて、今はサロンの常連の一人になっている人です。
人との出会いや付き合いの面白さはたくさん経験していますが、そのおかげで、「こちらの人」か「あちらの人」かは、すぐわかるようになってきました。
この人は、間違いなく「こちらの人」、つまり私の世界の人です。
その人が、今年はコロナで「合唱」が歌えないので、年末感がないと言っていました。
あるべきことがないと、人はなかなか季節を実感できません。
私の場合も、年末の行事が次第になくなってきています。
これは年末だけの話ではありません。
日々に変化がなくなり、季節感や時間感覚が希薄になるというのは最近、よく感じることです。
もしかしたら、これも「生きる」面白さなのかもしれません。
時間感覚が消えていくということは、「死の世界」「彼岸の世界」に入ったということと同じかもしれません。
そう考えると、生と死を分ける境は、思ったよりも小さいような気がします。
それはともかく、今年は私にとっても、異様に年末感のない年です。
今年がもう1週間もないとはとても思えない。
いつもなら、年末大掃除に入っているのですが、そんな気が起きません。
年賀状もやめてしまったので、年賀状書きもありません。
何もないままに、今年が終わり、新しい年が始まる。
けじめをつけるのが難しい時代になってきました。
いや、時代ではなく、年齢というべきでしょうか。
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