■節子への挽歌4859:めげてしまった1日でした
節子
「礼とは何か」という本を読みました。
下村湖人の「論語物語」を読んだのは、確か中学生の頃でした。
私の記憶に残っている最初の本と言ってもいいでしょう。
その後の生き方は、論語とは真反対の生き方だったような気がしますが、いつもどこかで、論語が言動の基軸の一つだったような気がします。
この本を手にしたのは、先日、図書館に行ったときに、新刊棚に置いてあったのが目についたからです。
借りてきて、読みだしたら、やはり私の世界の本ではないなと思ったのですが、読んでいるうちに、次第に引き込まれて、結局、読み終えてしまいました。
いろんなことを考えさせられました。
そして、やはり私には論語の世界への共感があることを再認識しました。
子どものころ読んだ本の影響はやはり大きいのです。
最近、かなりの「人嫌い」になってきていますが、それもやはり《礼節》が関係しています。
私が考える礼節と他者の考える礼節とは違うのかもしれませんが、ずれを感ずることが多いのです。だからがっかりしてしまうことも少なくありません。
今日もいささかの失望を重ねた日になりました。
そんなわけで、今日はすっかり元気がありません。
頼まれたことを何でも引き受けてしまうことは、やはり疲れます。
困った人がいれば、手を差し伸べるのは当然のことですが、それに対して一言のお礼もなく、約束も守ってもらえないことがつづくと、やはりめげてしまいます。
今日はちょっと挽歌も書く元気がありません。
困ったものです。
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