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2020/12/22

■湯島サロン「日本の聖母信仰を通して日常生活と神道の関わりを考える」報告

日本の神道における「聖母信仰」をテーマにした本間さんのサロンは、「プロローグ」でした。大きな物語が始まることを予感させるサロンであり、今回は、そのプロローグとして、有史以前より続いている大地母信仰の話から始まり、日本の聖母信仰(神功皇后信仰)の伝統を時代背景や国家の成り立ちにまで言及しながら、ていねいに話してくれました。

Shoumo20201220

今回の参加者も、いつもとは違い女性が多く、半数が女性でした。
ちなみに案内でも書きましたが、日本の場合、聖母は「しょうも」と発音するそうです。

本間さんは、最初に、子と母を一緒に祀る母子神信仰が聖母信仰につながっていくことを話してくれました。その根底にあるのは「豊穣の祈り」であり、聖王を生み育てる存在への感謝です。

私たちは聖母というとすぐに聖母マリアを思い出しがちですが、そもそも「聖母」は中国では漢の武帝の時代からあった言葉のようです。また、聖母の処女懐胎も東西共通しているそうです。世界各地に伝わる神話や伝承には共通することが多いですが、聖母信仰も処女懐胎も、その一つのようです。

日本における「聖母」の文字の初見は、現在のところ13世紀だそうですが、その対象となる聖母は「神功皇后」で、八幡信仰とつながっています。
かつては神功皇后は有名な存在でしたが、最近はあまり話題にはなりません。そこで本間さんは、神功皇后とはどのような存在だったのかを、記紀や風土記などの伝承を中心に解説してくれました。

このあたりの話は実に面白くて私も大好きなのですが、紹介しだすときりがないので省略して結論だけを言えば、神功皇后聖母信仰が創られたのは8世紀で、当時の国際的緊張関係を背景に、各地で別個に伝わっていた女神神話を統合して、国家守護神としての聖母=神功皇后を生み出していったのではないかというのが本間さんのお考えです。

ちなみに、神功皇后の子供は応神天皇。「神」の文字を諡号に持つ天皇は3人しかいませんが、普通に考えれば、王朝の始祖と考えられますが、応神天皇はその最後の天皇で、しかもその母は神の文字を諡号に持つ唯一の皇后というのは、とても興味深い話です。
また応神天皇は、「八幡神」として神格化されていて、応神天皇を祀る大分の宇佐神宮は、伊勢神宮に並んで皇室の「宗廟」になっています。

とまあこういう話をしてくれた最後に、本間さんは、神功皇后聖母信仰は、日本の「イエ」の典型であり象徴でもある皇室の現在につながっているとともに、日本の「イエ」を守る神にもつながっていた、というのです。つまり、日本の伝統的家族制度の問題にもつながっているというわけです。

残念ながら今回は、そこまでで時間切れ。本間さんが呼びかけた問いかけは次回以降に持ち越されました。
神功皇后信仰と家族制度がつながっているとは思っていなかったので、本間さんの問いかけに興味をそそられましたが、最後に本間さんはさらに大きなメッセージを出されました。

混迷している世界の状況に対して、日本の神道に果たす役割があるのではないかというのです。日本の神道に、そんな普遍性があるのかという意見もありましたが、デカルトと神道を学んだ本間さんがそういうのであれば、神道にはデカルトから始まる近代西欧を超える何かがあるのでしょう。
となれば、やはりこのテーマは何回か続けていきたくなりました。

というわけで、来年から本間さんには連続で、神道サロンを開催してもらうことになりました。時々、他の人にも神道を語ってもらいながら。

話し合いも示唆に富むものだったのですが、長くなったので省略します。

私は本間さんの話を聞きながら、映画「ターミネーター2」で、主人公のサラ・コナー(この映画では「聖母」にあたる存在です)の言葉を思い出していました。
「生命を生み出せるのは女。男が作るのは死」

しかし私には神功皇后は、どうも大地母神的な存在には思えないのですが。
子どものころ見た神功皇后の像の写真に、母性や慈愛を感じなかったのです。
サラ・コナーにも感じませんでしたが。

 

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