■節子への挽歌4851:惜しみながら捨てる
節子
在宅で1日が終わってしまう日が多くなっているのですが、家にずっといると、生活にリズムができにくいので、挽歌がなかなか書けません。
毎朝、起きてすぐに挽歌を書くというのが、基本だったはずですが、それが崩れてしまっています。
何とかそのリズムを取り戻そうとしているのですが、1日、在宅するとなると、まあ後でいいかなどと思ってしまいがちなのです。
困ったものですが。
在宅の割には、やることはいろいろとあります。
外出する日はもっといろいろとあります。
怠惰になる口実は、いつも「忙しさ」です。
だから「忙しさ」と「暇」は私のは同義語なのです。
「倉庫暮らし」ももう3か月を超えましたので、慣れてきてしまいました。
まあこれでもいいかと思わないこともないのですが、このままで死んでしまうと娘たちも大変でしょう。
だから死ぬ前に生活環境を整えなければいけません。
この歳になって生活環境を整えるとは、周辺を身ぎれいにしておくこと、つまり物をなくし、人付き合いも整理しておくということなのですが、それが結構難しい。
物一つ捨てるにも、それは思いを捨てることなので、時間が必要なのです。
惜しみながら捨てたいからです。
そのためなかなか整理ははかどらないのです。
昨日はかなりの物を捨てました。
しかし、捨てようと思っていたのに、いざ捨てようとすると、やはりもう少し手元に置いておこうなどと思ってしまうこともあります。
一時期、フクロウの置物を集めていました。
その関係で、節子の友人がフクロウをデザインした壁時計を送ってきてくれました。
たぶん私も会ったことのある方だと思いますが、節子がなくなって以来、次第に付き合いも途絶え、最近は交流がありません。
その時計は使っていないので今回廃棄しようと思ったのですが、昨日はやはり残してしまいました。
こういう繰り返しを2,3回してから、ようやく捨てることができるのです。
そんなわけでなかなか整理が進まない。
物の整理は、まさに人生の整理なのです。
日があけてきました。
朝焼けがきれいです。
今日もいい日になりそうです。
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