■節子への挽歌4845:なぜ人は話すようになったのか
節子
また挽歌の番号と節子後の経過日数とが20程ずれてしまっています。
年内に追いつこうと思っていたのですが、どうも難しそうです。
無理をせずに、ゆっくりと追いつくことにしました。
先日、ダニエル・エヴェレットの「言語の起源」という本を読みました。
私の関心は、なぜ人は言葉を身に着けたのだろうかということなのですが、本書によれば、自然と発声し、それが言葉になり、文字になったようです。そして、言葉を話し、文字が書けるように人間が変化した。
私が知りたかったことは何もわかりませんでしたが、わかったのは、鳥のさえずりから九官鳥が話をしだすようなことなのだということです。
悲しみや喜び、驚きや不安が、「叫び」や「振動」を起こし、音になる。
その音が多様に豊かになり、共有できるようになる。
その繰り返しから、音や声が意味を持ち出し、共用されるようになり、音声と意味が共有されてくる。
鳥の鳴き声がコミュニケーション手段になるように、人の叫びや歌が言葉になっていく。
まあそんな感じでしょうか。
先日、万葉集サロンをやりましたが、そこでも言葉の誕生に関連した話題がでました。
人は神に仮託して自らを育てていったという話です。
そんな本を読んだり話し合いをしたせいか、昨夜はおかしな夢を見ました。
人のさえずりの中から、言葉が生まれだす世界に、私がいるのです。
そこでは言葉が通じ合えない。
不思議な夢でしたが、目が覚めた時に、とても不安な感じでした。
目が覚めた後、バベルの塔が崩れ落ちた後の世界を思い出しました。
バベルとは散乱という意味があると、「言語の起源」に書いてあったような気がします。
最近思考がかなり散乱しています。
この歳になって、なぜ心が乱れるのか。
困ったものです。
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